第73話 バランベル号突撃
統一歴九十九年四月十日、午後 - バランベル号船上/アルトリウシア湾
「何をやっとるか!
火薬を減らしすぎだ、馬鹿者!!」
『バランベル』号
初撃は最大射程三マイル半(約六キロ半)に達するという
それは良い。遠距離での砲撃は
八門全弾が
そして
仮に計算出来ていたとしても、船にも大砲にも不慣れで体格の貧弱なゴブリン兵では砲弾の
何度もやり直してそのうち計算が面倒になった
今度こそと期待した砲撃は見事に全弾外れた。
目の前に広がった発砲煙のカーテンを『バランベル』が突き抜けた時、水柱は『ナグルファル』のだいぶ手前にばらけて立っており、『ナグルファル』自体は舵を右に切っていた。
『バランベル』の砲撃のあまりの酷さにディンキジクは怒り心頭、普段の冷静さはどこへやら、猛獣のように吠えたのである。
避ける必要も無いモノをわざと大袈裟に避けてあざ笑っているかのように見える『ナグルファル』の動きも余計に
せめて
ディンキジクのそうした要求は無理と言うものだった。
だからハン族が知っているのは陸上での砲術だけである。船上での大砲の撃ち方など何一つ知らない。
艦載砲では火薬の量ではなく、砲身の
彼らは甲板に砂を撒くことすらしてなかったのである。
これで勝てと言う方が最初から無理なのだ。
しかし、船にも海戦にも素人な彼らには、自分たちの無謀を正しく認識することさえできなかった。それに気づくために必要な知識が最初からないのだから仕方ない。
「ディンキジク・・・
「何!?」
イェルナクの指摘を受け、ディンキジクは彼我の位置関係を確認する。
確かに、『ナグルファル』の進む先にはハン族が接収し、随行させている七席の貨物船がいた。それには『バランベル』に積み切れなかった物資が大量に積み込まれている。
まずい、貨物船には大砲なんか積んでない。剣と
「くそ!
左だ!左に舵を切れ!!」
貨物船に積んでいる荷物は半分が火薬などだが、脱出後のハン族が生きていくために、外敵から身を守るために必要なものだ。失うわけにはいかない。
ディンキジクの号令で『バランベル』は左へ回頭し始めるが、その動きは実に緩慢で船首楼の
それに対し『ナグルファル』はさっきから舵を右に切ったり左に切ったりを繰り返し、まるで
「
もう
ディンキジクがいくら叫ぼうとも、彼らの足元にある砲室で行われている
無理もない。
ハン支援軍が普段使っている陸戦用の大砲は『バランベル』が搭載している大型艦載砲よりずっと小さい。ハン支援軍が装備してる標準的な大砲の砲弾重量は六リブラ(約二キロ)、大きい大砲でも十二リブラ(約三・九キロ)しかないのに、『バランベル』の艦載砲の砲弾は二十八リブラ(約九・二キロ)もあるのだ。
しかも
やっとのことで砲弾を装填し終わったら、今度は砲車を射撃窓まで押さねばならない。目標を狙うのはその後の作業である。
船首楼
「
その時、左へ舵を切り続けている鈍重な『バランベル』から見てやや左前方にいた『ナグルファル』はまっすぐ『バランベル』と貨物船の間へ突っ込む進路をとっていたが、舵を大きく左に切って進路を急激に変えつつあった。
彼我の距離は既に百ピルム(約百八十五メートル)を切っている。
クソッ、今度はどっちへ行く気だ!?
『ナグルファル』はロングシップの中では史上最大の大きさを誇る巨艦ではあるが『バランベル』に比べれば二回り近く小さく、その動きは軽快そのものだ。
のっそり動く『バランベル』を
「右だ!
舵を右へ切れ!!切れるだけいっぱい切れ!!」
ディンキジクはムズクの最初の命令通り、『バランベル』を『ナグルファル』にぶつけるつもりで指示を出した。
『バランベル』は右に傾いていた船体を今度は左に傾け、右に向かって回頭し始める。
「ディンキジク、
ディンキジクはイェルナクの指摘を受け、しばらく考えた。
現状、『バランベル』はとにかく
櫂を漕ぐ捕虜たちの監視のためにかなりの人数がとられていたし、
「そうだな・・・いや、今砲術の出来る者はみんな船首砲に就いてるはずだ。」
「旋回砲ぐらいなら素人でも使えるんじゃないのか?」
そこまで単純なものではないが、砲車に乗せられて数人がかりで操作しなければならない大型の艦載砲と違って、旋回砲は
近接戦用で距離や火薬量の計算などが必要ないから、直接照準で
「・・・わかった、やらせてみよう。」
「そっちは
「できるのか?」
イェルナクはハン族の武人である以上、一応戦闘訓練と騎乗訓練は子供のころから積んではいるし、兵学も学んでいる。ディンキジクは子供の頃、イェルナクと同じ師の下で机を並べて兵学を学んだのでそのことは知っていた。
だが、イェルナクは貴族の家柄ゆえに最初から
「それくらい、やれるさ。」
「・・・わかった、頼む。」
ディンキジクがそう言うとイェルナクは「任せろ」と言って船首楼から主甲板へ降りて行った。
その後ろ姿を見送るディンキジクに背後で観戦していたムズクが声をかけた。
「来たぞ、ディンキジク!」
ディンキジクが前を見ると右へ急旋回を続ける『バランベル』のすぐ二十ピルム(約三十七メートル)先を『ナグルファル』が斜めに横切ろうとしていた。
今が砲撃のチャンス!
「船首砲、どうしたぁ!?
撃てぇー!」
だがディンキジクの命令に対し、下の砲室からは情けない返答が帰ってきた。
「無理です!
低すぎて狙えません!!」
ロングシップの
その上に上段の櫂用舷窓があり、その上に砲列甲板があって舷側砲が並んでいる。主甲板は更にその上にある。
二階建て構造になっている船首楼の下の段の船首砲四門が主甲板と同じ高さにあり、上の段の船首砲四門がその上の階にある。
ガレー船やガレアス船の船首砲は
したがって、背の低い『ナグルファル』のような船にあまりにも近くまで接近されると、砲の位置が目標に対して高すぎるため狙えなくなってしまう。
「いいから撃て!
船体が狙えんでもいい、
通り過ぎる前に撃て!!」
最早、ヤケクソである。揺れる船の上から微調整の利かない大砲で一本の帆柱を狙えと言うのだから無茶も良いところだ。
「はいっ!!」
船首楼砲室の砲兵将校が慌てて返事をしたが、ディンキジクの命令が実行されることは無かった。
ズッズゾォォォォォォォッ!!
これまで聞いたことのない轟音が足元から響き、船が急激に減速する。
左に傾斜して右への旋回をし続けていた『バランベル』号は急に右へ傾斜の向きを変え、頭を左へ振りながら急停止した。
何だ、何が起きた!?
『バランベル』船上の全員がよろめき、あるいは転倒する。船首側よりも大きく右へ振られるかたちとなった船尾楼の
「陛下!御怪我はありませんか?!」
ディンキジク自身は
「大事ない!余にかまわず、
ムズクは駆け寄ろうとするディンキジクを手で制すると、立ち上がりながらそう答えた。
「はっ!」
再び前を向いたディンキジクの眼前で、『ナグルファル』は急停止した『バランベル』の真ん前を何事も無かったかのように高速で通り過ぎていく。
ディンキジクは見た。『ナグルファル』の主甲板では兵士たちが右舷側に
くそ、あいつらめ・・・。
ディンキジクは船首楼の後ろ側の手摺へ駆け寄り、主甲板に向けて叫んだ。
「撃てぇ!
何でもいい、撃てる者は
既に装弾の済んでいた旋回砲が次々と『ナグルファル』に向けられ、
この時、ディンキジクは確かに見た。
旋回砲の砲弾一発が『ナグルファル』のテントに命中するのを、そして他の一弾が船尾楼に居たブッカの一人に命中し、船尾楼から主甲板へ叩き落すのを。
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