第995話 ラウリ

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 《陶片テスタチェウス》・エレオノーラ邸/アルトリウシア



 昨夜、ティトゥス要塞カストルム・ティティではサウマンディアからの使者を迎えて盛大な宴会コンウィウィウムが開かれ、アルトリウシアの貴族ノビリタスたちはこぞって参加した。参列した貴族たちは帰りには家族への土産みやげに菓子や料理まで持たされ、貴族の付き人たちも同じく持ち帰るのに苦労しそうなほどの土産を渡されていた。ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件以来、ティトゥス要塞に収容されている避難民たちにも料理と酒が振る舞われ、多くの者たちがその御相伴ごしょうばんに預かっている。


 たいしたもんだ、さすがは領主貴族パトリキ様だ……


 多くの者たちはそう思った事だろう。侯爵家マルキオー子爵家ウィケコメスが破産するかもしれない……一部で囁かれているそうした不安を払拭する意図をもって無理して強行された大盤振おおばんぶいは、見事にその目的を達することが出来たに違いない。実際、それほど参列者たちを圧倒する豪華さだった。

 サウマンディアからの使者とはいえ、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの救援部隊を引き連れて来たからとはいえ、たかが軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム一人のために開かれたにしては、振る舞い方がやけに大袈裟すぎることに人々が気づくのはもう少し先のことである。冷静さを取り戻すには宴の余韻をまず醒まさねばならない。参列者の多くはまだ二日酔いから醒めてすらいないのだ。

 が、いち早く余韻から醒めている者もいないではない。いや、最初から酔ってなかったと言っていいかもしれない。


 ラウリは昨夜、リクハルドに付き添ってティトゥス要塞へ行った。郷士ドゥーチェとして正式に招待されたリクハルドと違い、付き人に過ぎない彼はもちろん会場に入れたわけではない。付き人には付き人にと酒や料理が振る舞われたが、自分の主人の護衛という役目がある彼らの多くは振る舞い酒を無遠慮に楽しむことなど出来はしなかった。楽しんでいた者がいないわけではなかったが……まあ、少数である。使用人として、あるいは手下として、満足な教育も受けていないであろうそうした者たちは、他家の御同輩からは白い目で見られていたが、当の本人たちはそういう冷たい視線にすら気づいていなかった。

 その分、出されはしたものの手を付けられることもなく余ってしまった料理は包まれて手土産として渡されるわけだが、しかしラウリはそれをも楽しむことはできなかった。


「ほらカシラァ、着きやしたよ!」


「んあぁ?……だぁーっはっはっはっはぁっ!!」


 帰りの馬車の中で寝こけてしまったリクハルドを降ろす際、何を思ったか突然大笑いをし始めたリクハルドが勢いよくラウリの背中を叩き、その衝撃でラウリが抱えていた手土産は地面にぶちまけられてしまったからだった。ラウリの胃袋に入るはずだった御馳走は、今頃は運のいい浮浪者どもの胃袋に収まっていることだろう。

 そんなわけでラウリは結局、御馳走には預かっていない。エレオノーラの家の扉を叩き、リクハルドを預けてからエレオノーラに適当な余り物を分けてもらって終わりである。今朝は今朝で何も食べてない。家に家族がいないからだ。


 ラウリはリクハルドと違ってちゃんと結婚し、家庭を営んでいる。女房は漁師の娘でカタギの女だ。海賊だったラウリは元々まともな家庭など持つつもりはなかったのだが、エッケ島の海賊退治で挙げた手柄を評価されたリクハルドが正式に郷士ドゥーチェに取りたてられたのを機に、下級貴族ノビレスの一員として身を立てるべく決意してまずは家庭を持とうと嫁を探し始め、今の女房をめとるに至っている。おかげさまで今や二男二女の父親だ。

 が、その家族たちは女房の実家へ帰ってしまっている。別に喧嘩したわけではないし、愛想を尽かされたわけでもない。女房の親戚がハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件に巻き込まれたらしく、何人かが行方不明になっているのだ。それで気落ちした両親を元気づけるために、子供たちを引き連れて実家に帰っているのである。何も子供まで連れて行くことは無いと思うのだが、孫の顔を見れば元気になるからということらしい。


 どうせアナタは貴族ノビリタス様たちと御馳走食べに行くんでしょ?


 昨日、女房が家を出ていく際に残した捨て台詞が、今のラウリには虚しく思い起こされる。


「ごめんよぅ!」


「ああ、ラウリの旦那様ドミヌス・ラウリ

 おはようございます、今奥様ドミナを呼んでまいりますので……」


 誰も居ない家を出たラウリはすきっ腹を抱えたままエレオノーラの家へ姿を現した。リクハルドとエレオノーラの仲を邪魔するつもりで来たわけではもちろんない。リクハルドは郷士として働いてもらわなければならなかったから迎えには行かねばならなかったし、酔いつぶれたリクハルドをエレオノーラの家に放り込んだ結果が上手く行ったのかどうかを確認したいという気持ちもあったからだ。朝になったら迎えに来るとは昨夜のうちにエレオノーラには言ってあるから問題も無い。

 使用人に取り次いでもらい、玄関ホールで果たして昨夜の首尾はと思いめぐらしていたラウリはさほど待たされもせずにエレオノーラに出迎えられた。


「ああ、ラウリ兄さんボア・ラウ!」


 奥から聞こえて来た聞き馴染みのある声に、ラウリは頭を抱える。泣きつくような声の響きからして結果は聞くまでも無いだろう。だいたい「ラウリ兄さん」という呼び方自体、エレオノーラがラウリに甘える時の呼び方だ。

 エレオノーラの方を見もせずにトタトタという女の足音が間近に迫って来るのを待ったラウリはおもむろに顔をあげ、やや苦し気な笑顔を見せた。


「おう、エレ。

 カシラぁ迎えに来たんだが?」


 『灰色のリクハルド』の情婦おんなにふさわしい勝気な態度で知られる彼女がメソメソとした弱気な態度を見せる相手は限られている。ラウリはその数少ない一人だった。

 ラウリとエレオノーラの付き合いは長い。ラウリが海賊になった頃には既にエレオノーラは海賊の根城で働いていたのだ。当時、エレオノーラはまだ十歳に満たない子供だった。それから二十歳そこそこのリクハルドが入ってきて海賊の頭領を倒し、海賊一家を丸ごと乗っ取って……二十年近い歳月を経て今に至っている。考えてみればエレオノーラと一番付き合いが長いのはラウリかもしれない。親子ほどというほどではないが、一回り以上年齢の離れたラウリはエレオノーラにとって一番頼りになる相談相手であり、甘えらえる相手なのかもしれない。


「うん、今お風呂に入ってる。」


 わざと話題を逸らせようとするラウリに戸惑いながら、エレオノーラは答えた。ハーフコボルトの彼女はラウリより背が高いくせに、身を小さくしてモジモジしている。


「風呂?」


 ラウリは眉を寄せて訊き返した。

 コボルトもブッカも寒さには強い。そんな彼らにとって風呂といえば冬でも水風呂が当たり前。お湯の風呂に入ったとしてもヒトなら凍えかねないぬるま湯だ。だからリクハルドが朝から風呂に入ったとしてもそれが途方もない贅沢というわけではない。昨夜の様子では間違いなく二日酔いだろうから、酔い覚ましのために水風呂に入っているのかもしれないが、リクハルドの様子次第では随分待たされることになる。

 どれくらい待たされることになるのかが気になって訊き返しただけだったのだが、しかしそれはエレオノーラの愚痴の引き金になってしまった。


「うん……彼ったら酷いのよ!?

 今朝、目を覚ました途端、吐いちゃって。

 それから色々変なこと言い出して……」


「変なこと?」


「自分ちと勘違いして何でアタシがここにいるんだとか怒り出して……

 そうかと思ったら子爵公子様と飲み比べして勝ったとか変な自慢話しはじめるし……」


「あ、ああ……」


「そんで寝ぼけてるんなら目を醒ましなって、枕なげつけたらさっき自分で吐いたばかりの手桶に頭から突っ込んじゃって……」


「それで風呂に入ってるってのかい?」


 唐突に始まってしまったエレオノーラの愚痴に思わず呆れてしまう。エレオノーラ自身も不本意なのだろう。口には出さないが何でこんなことになってしまったんだろうと悲しそうにどこか部屋の隅の方へ視線を投げかけ、両手でモジモジと衣服の裾をこねくり回すようにいじっている。

 その姿にラウリはあきらめをつけた。リクハルドが風呂から上がって来るまで、エレオノーラの愚痴にしばらく付き合う覚悟を決める。


「ああ、うん、わかったエレ……

 ひとまず何か食わしてくれるか?

 ちょっと腹減ってんだ。」

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