第994話 アルトリウスとコト

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『花嫁の家ドムス・ノヴス・スポンサ』/アルトリウシア



 次だ!げ!


「「「おっ、おっ、おっ、おおーーーー!!!」」」


 どうだ!飲んだぞ!?


「すごいっ!!」

「飲んだぞ!?」

「今度はリクハルド卿の番だ!!」

「いけますかな!?」

「なんの!オレッチだってまだイケらぁ!

 おら、注ぎやがれぇ!」

「「「「「おおおおーーーーーっ!!!」」」」」

「すごいぞ!まるで底なしだ!!」

酒甕アンフォラごと飲み干してしまうんじゃないか!?」

「おお、行くぞ!」

「おおおリクハルドぉーーー!!」

「「「リクハルド!リクハルド!リクハルド!

   お、お、お、おおおーーーー!!!」」」

「飲んだぁ!!」

「さすがはリクハルド卿!!」

「灰色のリクハルド!!」


 ああ、まだ続くのかあ!?


「子爵公子閣下、もうその辺で」


 まだだ!さあ次を注げ!!


「おおーーまだ続けるおつもりだぞ!」


 当たり前だ!さあ注げ!注ぐのだ!!


 あ、ああ!?


 さあ、リクハルド卿!勝負はこれからだ!


 うーん……


 おお、養父上ちちうえ……いや、ああ……あれ……ええ、少しばかり、飲みすぎたようです……いやなに、えっと……誰だったかな……そうだ……少し飲み比べを……ええ、相手はたしか……ああ、養母上アンティスティア……いや、少しふらついてはおりますが、大したことは……なんのこれしき……いや大丈夫です……ええ、そうですな、それでは酢水ポスカを一杯いただけますか……ああ、いやもう酒は……ええ……ああ?……あー……ウァレリウス……カストゥス殿は……ええ、えっとどちらだったかな?……ああ、カストゥス殿ぉ!!こちらにいらっしゃったのですかあ!?……ああ、いやいや養母上アンティスティア、大きな声を出して申し訳ありませぬ……いや大丈夫……ああこれはかたじけない……あれ、これは酢水ポスカではありませんか?……ああいやいや、酒はもう……ええ、酔い覚ましには冷えた酢水ポスカが……いや気が利きますな……は、あーかたじけない……おおおーーカストゥス殿おおぉっ!ごゆるりとお休みなさいませぇ!!……うっ……ああ養母上アンティスティア、いや大きい声を出してすみません……いや、わざとでは……はい……はいもちろん、心得ております……明日はちゃんと……ええ、おやすみなさいませ……はぁ……家へですか?……しかし養父上ちちうえ養母上アンティスティアは今……そりゃ帰れるのなら私もコトの顔を見たく存じ上げますが……そうですか……いや私は……ええ、大丈夫です……


 ああ……何だ……馬車?……どこへ行くんだ?……ああ、気持ち悪い……おい!ちょっと止めろ!止めてくれ……


 ああ……風が冷たくていい気持ちだ……ああ?何だと?……ああ、わかった……乗る、乗ればいいんだろ?……


 ん、んんーーー、何だ、着いたのか?

 おおユルス!お前なんでここに?


 んんーーーーっ……んんーーーっ……


 おお、コト……元気だったかコト、会いたかったぞ……

 アウルスは!?……ああそうか、寝てるのか……

 大丈夫だ、騒がん……騒がんとも……


 おおコト……会いたかったぞ……


 んん……


 んんーーーーーっ……


 ああ、何だこの夢は……変な夢だ……いくら酒に酔ったからって、夢の中で家に帰らなくても……いや、夢の中くらいでないと帰れんか……ああ、このまま覚めねばいいのに……こうなれば一分一秒でも長く留まってやる……


 ああ、せっかくの我が家なのに……夢から覚めてしまう……起きたくない……起きたら我が家の夢から覚めてしまう……



 だが、不思議なくらいにパッと、一瞬で目は開いてしまった。先ほどまでの微睡まどろみなどすべて嘘だったかのように、目に映るすべてがハッキリと見える。が、自分の目に映る物が何なのか理解できない。


 あれ、ここは……どこだ?


 薄暗くはあるが部屋の様子はどれもこれもハッキリ見えている。見覚えのある部屋だ。見覚えのある部屋だが、そこがどこかわからない。いや、そこがどこかは分かっているが、自分が何でそこにいるのかが分からない。

 寝たままの姿勢で目だけを大きく広げ、アルトリウスが必死に状況を確認しようとしているとフフッと笑うような息遣いが聞こえ、耳にやけに生々しさを感じる声が飛び込んでくる。


「アナタ、起キタ?」


「!?」


 驚いたアルトリウスが首を捻って声の方を向くと、そこには何日も見たいと思い続けていた顔が優しく微笑んでいた。


「コト!?」


ハイイーモ我ガ君ドミヌス・メウス


 そこは『花嫁の家ドムス・ノヴス・スポンサ』にあるコトの寝室だった。南蛮の文化、風習に従い床に敷かれた布団に寝かされたアルトリウスを、妻のコトは既に南蛮風の服に着替え、キッチリと身だしなみを整えた状態で、優しく微笑みながら座って見下ろしている。

 帰りたいと思っていた。会いたいと思い続けていた。だが、仕事が忙しくて帰れない日がずっと続いていた……


 そうだ、何で俺はこんなところに……


 疑問が次々と沸いてくるが、答を求めて記憶を手繰たぐる間もなく、急速に不快感が沸き起こってくる。世界がグルグル回り、目の前が暗くなる。


「う、うう~~んん……」


「アラアラ、イケナイ。」


 アルトリウスはそのまま布団に身を沈めた。


 ああ、なんてことだ……これは、二日酔いか?


 目を閉じたまま額に手を当てる。


 まずいぞ、今日はティトゥス要塞カストルム・ティティ朝食会イェンタークルムのはずだったのに……


 何とか起きねばと思うのだがどうにもなりそうにない。目を閉じていても頭がグルグルするのが止まらない。自分の息が猛烈に酒臭い。幸い、胃が空っぽなのか吐き気はしないが、だがまともに身動きできそうにないことだけは確かなようだ。


我ガ君ドミヌス・メウス、イケナイ、動カナイ。」


 何とか起きようとするアルトリウスにそう優しく声をかけながら、コトは両手でアルトリウスを布団へ戻る様に抑える。


「ああ、コト!

 ダメなのだ。急いでティトゥス要塞カストルム・ティティへ戻らねば……」


 コトに押さえつけられて諦めたように身体を脱力させながらも、それでもアルトリウスは何とか起きなければならない事を妻に伝える。


「大丈夫、心配ナイ、御役目、在リマセン。

 御客人モ、オ酒、飲ミスギ、起キレマセン。」


 だいぶ流暢りゅうちょうにしゃべれるようになったが、まだカタコトのような南蛮訛りの残るコトの言葉を理解するには、多少の反芻はんすうを要する。アルトリウスはコトの言ったことを頭の中で繰り返すことで、コトが言おうとすることを分析する癖がついていた。その癖に従い、コトの説明を頭の中で繰り返し、次第にそうか、それもそうだと納得していく。

 そういえば昨夜はマルクスもかなりしたたかに飲んでいた。あれだけ酔っ払って、二日酔いにもならずに平気でいられるわけがない。


「今日、ユックリ、大丈夫。

 心、平ラニ、安心シテ、休ンデ、クダサイ。」


 まるで喜びの歌でも歌うようなその言葉と共にアルトリウスの額に何か冷たいものが乗せられる。うっすら目を開けると、コトが冷えたお絞りをアルトリウスの額に乗せていた。先ほど枕元で聞こえていた水音は、おしぼりを絞る時の水音だったのだろう。

 全身を体毛で覆われているアルトリウスには、お絞りは体毛の無い人間ほどの効果はない。コボルトの短くも密生した体毛の断熱性は高く、水を弾くからだ。だが、それでも何もしないよりは、なんとなくだが気持ちが良い気がした。


「ああコト、すまない……私は……」


「イイノデス、我ガ君ドミヌス・メウス


 ここ数日、ずっと帰ってやれなかったことが気になっていたアルトリウスは詫びの言葉を口にする。しかし、それを言い切る前にコトがその言葉を遮った。コトの声はアルトリウスの耳にはどこまでも優しく響き、どことなく嬉しそうに歌うような心地よさがあった。

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