第996話 ファンニとダイアウルフとバランベル
統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 《
農家の朝は早い。
農家の娘、ブッカのファンニはしかし先月来ずっとそうした重労働から解放されていた。児童労働が禁じられていない
朝起きたら顔を洗い、
ファンニはダイアウルフの内の片方に乗り、《
ダイアウルフに乗ったファンニは街の外にある畑や牧草地で働く他の農家たちを怖がらせないよう、誰にも近づかずに済むコースを選んで街を回る。それから街へ戻って今度は
たいして強くも無いくせに威張り散らすゴブリン兵、トラブルばかりを起こすならず者集団、日々の面倒ごとのみならず先月はついに叛乱まで起こし、アルトリウシアの街を焼き多くの人々を殺傷して逃げ出した不届き者たち
そのダイアウルフがハン族が去った後もなお街で大手を振って歩いているのである。住民たちからすれば面白いわけはない。そのダイアウルフの背に一般人のくせにいい気になって騎乗して目立っているブッカの少女ファンニにもヘイトが集まるのはごく自然な成り行きだったと言える。
坊主憎けりゃ
そうした住民たちのヘイトにダイアウルフたちは敏感に反応する。ファンニが止めるから攻撃こそしないが、彼らは自分自身を守るためにもファンニを守るためにも、自分たちを
しかしラウリの手下たちも街の住民であることに変わりはない。今はこうして壁となり盾となってファンニたちを守ってはくれているが、役目を終えて夜の店にでも行けば、他の住民たちと同じようにファンニやダイアウルフたちの悪口を言っているのだ。
俺たちだって好きでやっているわけじゃない。上に言われて仕方なくやってんだ……そう言い訳しておかねば、ダイアウルフたちに向かうはずのヘイトが今度は自分たちに向けられることを彼らは知っていたからだ。
最初はラウリの手下たちに感謝していたファンニも、人づてにそのことを聞いてからは手下たちの背中を少し冷めた目で見るようになっていた。いつしかファンニは社会から切り離されてしまったような孤独感……
そんなファンニにも周囲に対する警戒感を解き、安心できる場所があった。
「
「
ファンニのおかれた特殊な状況について、リクハルドはもちろん彼の配下らも心を砕いていた。セヴェリ川の南からダイアウルフの遠吠えが聞こえ、ファンニがアイゼンファウストに派遣されるようになってからは特に、リクハルドたちはもちろん、メルヒオール・フォン・アイゼンファウストとその手下たちもファンニが
それでもリクハルドたちの配慮がファンニの立場と居心地をかなり良くしてくれていることをファンニはちゃんと理解している。その中でも特にパスカルはファンニの家に直接訪れ、ファンニの家族たちにファンニがどれだけ素晴らしく役割を果たしているかを説明し、ファンニのことを褒め称えてくれても居た。おかげでファンニの家での居心地は悪いものではなくなっている。家族たちは当初、ファンニがダイアウルフに襲われたことにすら不快に思っていたのだ。しかし、自分たちが直接仕えているラウリや、ラウリと同じくらい身分の高いパスカルに娘を褒め称えられ、ファンニにお手当が貰えるようになってからというもの、家族たちのファンニへの態度は理解あるものへと変化していた。
実際、今のファンニは一家の中で一番の稼ぎ頭になっているうえ、ダイアウルフが狩ってくれたという
「今日もありがとう。
さあ、中で
「ありがとうございます、
ファンニは出迎えてくれたパスカルに笑顔を返す。リクハルドの手下たちの中で、ファンニを最も気にかけてくれているのはパスカルだ。ダイアウルフたちもパスカルは敵ではないと理解しているのか、あからさまな好意こそ見せないものの敵意や警戒心はパスカルには向けなくなっていた。
そのパスカルの前を通り過ぎ、リクハルドの屋敷へ入るとファンニはようやく気を緩めることが出来る。いや、本当なら街を治める郷士様の屋敷なのだからむしろ緊張するべきところなのかもしれない。しかし、いつ罵声や石を投げつけられるかわかったものではない外に比べて、そうしたことへの警戒をしなくてすむリクハルド邸はファンニにとって家に次いで安心できる場所となっていた。
ここでファンニは朝食をいただいている。通常、農家は朝の仕事をひと段落してから朝食をいただくのだが、ファンニの場合は朝一番にダイアウルフを散歩させた後、今度はダイアウルフを連れてアイゼンファウストへ行かねばならない。朝食ために家に帰るだけの暇がないため、リクハルドの屋敷で朝食を貰えることになったのだ。郷士様の御屋敷で朝食なんて恐れ多い……ファンニの両親は最初そう言って断ろうとしていたのだが、リクハルドの屋敷でダイアウルフに一仕事させる必要があるからとパスカルに言われ、今では納得している。
その仕事とは、ダイアウルフたちをバランベルに会わせることだった。
ダイアウルフたちに餌を与え、ファンニ自身も朝食を摂ると、ファンニはダイアウルフをリクハルド邸の一室へ連れて行く。ハン族のゴブリン兵、
バランベルはレーマ帝国に弓引いたハン支援軍の兵士であり、アルトリウシアの住民たちにとって憎むべき敵である。彼自身、そうした自分の立場をよく理解しており、負傷し気を失ったまま収容されたリクハルド邸で目覚めて以来、常に不安と恐怖と苦痛に
その光景をファンニはとても良いものだと感じていた。殺伐とした外の社会に疲れた彼女は、ここで繰り広げられる幸福なひと時の光景によって、最大の慰めを得るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます