第1202話 消化不良

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



「噂には聞いていましたが、宗派が違うというだけで死をたまわるなど、レーマでは考えられませんね。」


 スカエウァが薄笑いを浮かべて首を振る。特に馬鹿にしたという風でもなく、呆れているという風でもなかったが、ナイスとメークミーは少ししゃくさわったようだ。


「そうか?

 レーマでも神を冒涜ぼうとくしたとかで殺されることがあるだろ。」


「ああ、聞いたことあるぞ。

 ウェスタの処女とかいう奴らは、純潔を失うと生き埋めにされるんだろ?」


 家政をつかさどかまどの女神ウェスタはギリシャ神話のヘスティアと同一視される女神であり、レーマで最も権威ある神の一柱である。処女神であるウェスタに仕える巫女は「ウェスタの処女ウェスタリス」と呼ばれ、男尊女卑だんそんじょひ社会のレーマにおいて女性でありながら例外的に男性貴族以上の影響力を持っているが、その分ありとあらゆることに厳格さを求められ、巫女でいる間ずっと処女を守り通さねばならない。万が一にも男性と触れ合ったり恋愛したりすれば、それだけで生き埋めの刑に処されてしまう。一応定年があり、定年退職をすれば恋愛も結婚も許されるが、既に中高年の域に達した老女が結婚を遂げた例は極めて少ない。

 二人から相次いで質問され、スカエウァは自分が失言してしまったことに気づいた。しかし、今更吐いてしまった言葉を引っ込めるわけにもいかず、弁明するように答える。


「ああ、それは……女神ウェスタに立てた誓いをたがえたわけですから……

 宗派が違うからというのとは違うのではないですか?」


 スカエウァが答えるとナイスとメークミーは互いに顔を見合い、すぐにスカエウァに笑いかけた。


「同じことだろ?」


「何故ですか?

 ウェスタの処女は神に立てた誓いを破るから死を賜ります。言ってみれば神を裏切っているんです。

 宗派が違うっていうのとは違うんじゃないですか?」


「キリスト者にとっちゃ同じなのさ。」


「……申し訳ありません。スカエウァには分かりません。」


「たとえばある宗派では聖職者の結婚は認められているが、もう一つの宗派では聖職者の結婚は認められていない。

 認められている宗派の聖職者からすれば結婚は当たり前のことだが、認められない宗派からすると聖職者が結婚するのは神への信仰をけがす行為なのさ。」


「でも、宗派が違うのでしょう?

 違う教えを信じているのだから、それぞれが信じているようにすればよいのでは?」


 ナイスとメークミーはハハッと小さく、短く笑った。


「違う教えを信じているから許せないのさ。」


 スカエウァは二人が何を言いたいのか分からず、困った様な苦笑いを浮かべて無言のまま首を振った。


「お前はさっき言ったな、ウェスタの処女が誓いを破ったら生き埋めにされるのは仕方ないと。」


「……ええ、まあ、はい。」


「じゃあ、同じ女神ウェスタをまつる神殿なのに、一つの神殿が『女神ウェスタに仕える巫女は処女じゃなくてもいい』って言いだして、その神殿の巫女が実際に結婚とか恋愛とかしはじめたらどうする?」

 

 何を言い出すんだこの人は……スカエウァは愛想笑いを残しながらも顔をしかめて見せた。ウェスタの処女が純潔であることはウェスタの処女たちの権威の根源でもある。そのウェスタの処女たちが純潔を否定するなど、船乗りが海図もコンパスも捨て去るようなものだ。


「いや、そんなの認められないと思いますが……」


「それさ!」


 ナイスがすかさずスカエウァを指差す。


「キリスト教の宗派も言ってみりゃそれなんだよ。

 信じている神は同じなら聖典も同じ……だけど、信仰の仕方や考え方がちょっとずつ違うんだ。違う宗教じゃなくて同じ宗教なのに、考え方が違う。やり方が違う。だから間違ったやり方で祈りを捧げている奴らが気に食わないのさ。」


 スカエウァは苦笑いを保ちながらも口をへの字に結んだ。ナイスの言う理屈は分からなくもない。おそらくキリスト教の現状を正しく比喩して見せているのだろう。だがスカエウァには納得が出来ない。


 なら、違う宗派が存在していること自体が間違いなんじゃないのか?

 同じ聖典を読み、同じ神を信じているなら考え方とか祭祀の仕方なんて同じじゃなきゃおかしいだろ?

 違う考え方が出来るってことは、そもそも誰かが教えを間違えて広めてしまったってことなんじゃないのか?


 スカエウァはその考え方自体が宗派間対立が過激化していく原因そのものだとは気づいていなかった。

 ナイスはスカエウァがまだ理解していないようだと思い、話を続ける。


「たとえば離婚とかどうだ。

 キリスト教では離婚を認めてない宗派があるんだ。

 結婚は神に誓いを立ててやるから、離婚するってことは神に立てた誓いを破ることになっちまうんだ。

 な、ウェスタの処女が純潔を守らなきゃいけないのと、離婚が許されないのは同じ理屈だろ?

 だけど離婚を許す宗派もある。

 離婚を許さない宗派の連中から見たら、神に誓いを立てて結婚したくせに離婚しちゃう奴らは神を冒涜してることになっちまうのさ。」


「……だから、同じキリスト教徒同士で戦ってるんですか?」


 大戦争の後、啓展宗教諸国連合は事実上崩壊している。加盟国同士での内輪もめが始まり、小さな戦争が繰り返されている。今やレーマ帝国を相手に一丸となっていた結束はどこへやらといった有様だ。おかげでレーマは西以外の方面へ戦力を向け、版図を広げ続けることが出来ているのではあるが……


「……そればかりが理由ではないだろうがな。」


 朝っぱらから妙に挑発的なナイスに違和感を覚えつつ、メークミーが答える。


「まあ、それを理由に殺し合ってる奴らも確かに居るさ。

 狂信者って奴だな。

 でも、だいたいは戦いの大義名分に使ってるだけだ。

 レーマだって、チョクチョク内戦をしてるって聞いてるぞ?」


 メークミーが指摘したようにレーマ帝国も一枚岩では断じてない。現在のアルトリウシア領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の祖先は現在のアヴァロンニア属州の出身氏族だが、彼らがレーマの軍門に降って傭兵として帝国南端に送り込まれたのは大戦争終結後の話だ。ハン支援軍アウクシリア・ハンの例を挙げるまでも無く少数民族の叛乱は未だに無くならないし、その支配体制は盤石とは言い難い。レーマは実は連合よりも、東や南の蛮族よりも、恭順を示しながら支配を受け付けようとしないチューアを最も警戒しているくらいだ。


「それは否定できません。」


「王侯貴族ともなりゃ血を分けた肉親同士で殺し合うことだってあるじゃないか。

 それが赤の他人、おまけに国や民族が違うってんなら、いくら同じ神を信じ、同じ教えを信じてたとしても、それで争わないってことにはならないさ。」


 メークミーはパンにバターを塗り始める。スカエウァとしてはキリスト教徒が宗派が違うというだけで殺し合うという点に疑問を抱いていたのだが、メークミーには上手くはぐらかされた形となった。

 ナイスは一連の話が消化不良だったらしい。バターを塗り終えたパンを口へ放り込むメークミーを不満げにジトッとした目で見つめ、フンッと小さく鼻を鳴らしてシチュー皿から羊肉をすくい上げる。そして羊肉の塊をシゲシゲと見つめ、無言のままかぶり付いた。


 何か、お気に召さないことでもあったんだろか……


 スカエウァは急に笑みを消して黙りこくったナイスに不安を覚える。心配そうにナイスの表情を伺うスカエウァに気づいたメークミーは、ナイスが大人しくしているうちに話題を変えようと話し始めた。


「これからの話をしようじゃないか。

 俺たちは今日、アルトリウシアとやらへ行くんだろう?」

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