第1201話 ペイトウィンの不満
統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐
カエソーは引きちぎったパンの片方を皿へ置き、対面に座るペイトウィンを見ながらもう一方のパンにレバーペーストを塗った。
ペイトウィンの表情に特に変化があったようには見えない。ただ、パンを引きちぎる手は止まっている。
あまりにも反発が強いようならどうしようかと思っていたが……
「……よろしいですかな?」
一言そう尋ねると、カエソーはレバーペーストを塗ったパンを口に放り込んだ。そのまま顎を動かして
「それはつまり、グルグリウスがずっと私の傍にいるということか?」
顔の表情はともかく、その声にはわずかに困惑が
「そう言うことになりますな。
思うところはおありかもしれませんが、何分我らも行軍の途中ゆえ、聖貴族様の御世話の出来そうな人材がおらんのですよ。」
カエソーが二ッと笑いかけると、ペイトウィンはフッと低く笑うように息を吐いた。
「待て、お前たちは
結構な数の神官たちが付き添っていたはずだ。」
「あの者たちは下級の神官たちでして……とても
困った様な作り笑いを浮かべ、カエソーが首を振るとペイトウィンは身を乗り出して抗議する。
「
高貴な者の世話は高貴な者が行わねばならない。そして
つまり神官ならばペイトウィンの世話だって出来るはずだ。そしてカエソーの一行にはルクレティアが同道しており、ルクレティアは代々神官を務めるスパルタカシウス氏族の姫であり、多数の神官を供として伴っている。その中から何人か選抜してペイトウィンの世話をさせれば済むはずだった。
「それはそうですが、そもそもあの神官たちはスパルタカシウス家に仕える者たち……
いわば
つまり、ルクレティアの御供の神官たちは未熟すぎてペイトウィンの世話は任せられないということだ。ルクレティアは彼らの指導をする立場でもあるから彼らと一緒に居ても構わないが、より高位の聖貴族の許へ送り込むことはできないということなのだろう。
ルクレティアもペイトウィンも降臨者の血を引く聖貴族という枠組みでは同じだが、ペイトウィンがハイエルフのゲイマーの父を持つ息子であるのに対し、ルクレティアは何十代も前の先祖が降臨者だったというだけで実質的には一般人と変わらない。同じ聖貴族と言っても聖貴族としての格は全く違う。それを踏まえて「修行中だから」と言われてしまえば、ペイトウィンとしても「神官を寄こせ」と強情は張れなくなってしまう。
ペイトウィンはカエソーの顔を見たまま、何か不服そうに前のめりにしていた身を引いた。
「メ、メークミーとナイスはどうしてる?
アイツ等の世話は、まさかグルグリウスじゃないんだろう?
神官が世話をしてるんじゃないのか!?」
カエソーは片眉をあげて小さく首を傾げてから、千切ったパンの残りを手に取り、レバーペーストを塗り始める。
「確かに、おっしゃる通り神官に御世話させております。
「なら私の世話もそいつで良いではないか!
神官でスパルタカシウス氏族なら身分も血筋も申し分ないではないか?」
「彼は既に
カエソーはレバーペーストを塗り終えたパンを手元で眺めまわし、一口で食べるには少し大きすぎると判断すると二つに千切り始める。
「んん~~~」
ペイトウィンは二つに千切ったパンを両手に持ったまま唸った。
どうやらグルグリウスに近くに居られるのは嫌らしい。即座に拒絶しなかったのは、ひょっとしたらペイトウィンは自分の意見や感情を的確に相手に伝えるのが苦手なのかもしれない。
カエソーはそのことに気づきつつも、かといってペイトウィンの世話をさせることのできる人材に他にアテがない以上、なんとかペイトウィンを納得させるしかなかった。千切ったパンの一欠けらを改めて口に放り込み、ペイトウィンへ視線を戻しながら大きく顎を動かして咀嚼する。ペイトウィンはおもむろに上体を起こし、背もたれに背を預けるようにしながらカエソーを見下ろした。その顔には再び薄笑いが浮かんでいる。
「そういえば
彼女ではいけないのか?」
ペイトウィンがルクレティアを要求して来るであろうことはカエソーももちろん予想していた。というより、グルグリウスを付けることを思い浮かぶ前はルクレティアにペイトウィンの世話の協力を頼めないか真剣に考えたこともあったのだ。
カエソーはそのままペイトウィンの顔を見たままモグモグと顎を動かし続け、今度は飲み物の力を借りずにパンを飲み込む。
「申し訳ありませんが、彼女はいけません。」
表情を消してカエソーが言うと、ペイトウィンは
「ああ、そういえば彼女は南蛮の王族に
相変わらずペイトウィンは勘違いしているようだが、今あえてその誤解を解く必要は無い。
否定も肯定もすることなく、自分を見たまま黙々とパンを食べ続けるカエソーの姿に、ペイトウィンはフッとまた聞こえるように鼻で笑い。両手に持ったパンの内片方を皿に置き、もう片方にバターを塗り始める。
「だが、俺が世話せよといったら、
スパルタカシウス氏族は魔力を失って久しい。
聖貴族としての権威……魔力を取り戻せるなら取り戻したいだろう。
このペイトウィン・ホエールキング二世と南蛮の王……比べるまでも無いと思うがな。」
ペイトウィンはそう言うと、バターを塗り終えたパンのかけらを口に放り込んだ。それ以降、ペイトウィンはマイペースに自分で食べたいものを選んで食べ、カエソーが何を食べたかに注意を払い、合わせることは無かった。
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