第1200話 世話係

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



 人と人が出会い交わる時、大概の場合は相手を不快にさせないようにしようとする。いたずらに不快にさせて敵を作っても得をすることは無い。損するばかりだ。そして相手が不快にならないように、相手が快く感じてくれるようにという気配りがやがて定型化し、一つの様式として成立していく……それが礼儀作法である。ゆえに、礼儀作法に正しくのっとって人と接していれば、相手を不快にさせることは基本的には無いはずだ。

 見たところペイトウィンの礼儀作法はしっかりしてしている。少なくともカエソーの見たところ、自分や自分の家族・親戚たちの方が一緒に食事をしていて恥ずかしく感じる点がよほど多いだろう。それはどうかと思う点が全く無いわけではないが、それは礼にかなっていないとわざわざ指摘するほどのものでもない。むしろ指摘する方が難癖をつけていると言われかねないような細かい部分だけだ。さすがは聖貴族様といったところか……だというのに、ペイトウィンと向かい合って食事をするカエソーは目の前のペイトウィンに対して、そこはかとない反感とか嫌悪と言った感情がどうしようもなく湧き上がってくるのを禁じ得なかった。


 一体何なのだろう?


 最初はペイトウィンの側に何かあるのかとその一挙手一投足まで細かく観察してみたが、前述しているように礼儀作法は完璧だ。では自分の側に何かあるのかと自省してみるが、はやり分からない。

 カエソーは湧き上がって来るイライラを理性で押し込める他なかった。


「それでは、この際ですからレーマ風をご堪能いただきますかな?」


 ペイトウィンにむけてカエソーは微笑みかける。内心を押し殺して愛想を振りまくくらい、上級貴族パトリキにとってはお手の物だ。


「もっとも、行軍の途中では出来ることも限られましょうが……」


「フッ……」


 ペイトウィンが鼻で笑い、カエソーはまたイラっとした。直接向かい合っているとはいえ御馳走の並んだ食卓を挟んでのこと……ある程度距離はあるしワザと息を吹きかけたところで届きそうもないくらいなのだが、何故かペイトウィンのの息遣いそのものが伝わって来るような気がする。


「レーマ風もいいがせっかくこうして辺境まで来たのだ。

 広いレーマ帝国でもここでしか味わえぬものがあるだろう?

 どうせならランツクネヒト風や南蛮風も楽しんでみたいものだな。」


 カエソーの見たところ、ペイトウィンには屈託くったくというものが全くない。自分がどういう立場にあるのか、本当に理解していないような様子だ。メークミーとナイスの二人は、自分が囚われの身であることは理解していた。聖貴族という身分を鼻にかけたような様子はもちろんあったし、それにすがって何とか自分を守ろうとしている節もあったが、それでもこれから自分がどうなるのかと切実な不安も持ち合わせていた。当初の彼らの反抗的な態度はそうした不安の裏返しでしかない。

 だがペイトウィンにはそれがない。少なくともカエソーには無いようにしか見えない。まるで自分がここにいるのが当たり前のことと考えているかのようだ。


「……御要望は料理人に伝えておきましょう。

 とはいってもここは山の上、今から食材を注文しても届くのは早くて明日以降になりますが……」


 ペイトウィンは悪い冗談でも聞いたかのように両眉をあげて笑みに顔を引きつらせる。


「我々が山を降った方が早いのではないか?

 貴公はアルトリウシアから船でサウマンディアへ戻るつもりなのだろう?

 どうせアルトリウシアへ行くのなら、アルトリウシアで馳走すればよいではないか。」


 旅程を知られている? ……いや、それくらい予想がつくか……


 カエソーは一瞬驚いたが、考えてみればここまで来た以上サウマンディアへ戻る他の方法は思い浮かばないことに気づくと、魚の揚げ物にフォークを向けた。フォークの先端はやけに固い揚げ物の衣に当たるとガツッと音を立て、揚げ物を少し弾いて動かしてしまう。が、揚げ物が逃げないように今度は上から下へ向かって突き立てるようにすると、今度はフォークの先端はザクッと小気味よい音を立てて突き刺さった。


「そうしたいのは山々ですが、現在この先の街道が封鎖されておりましてね。

 通行できるようになるまで、ここで待たねばならんのですよ。」


 フォークで突き刺した魚の揚げ物を口元まで持ち上げ、しげしげと見つめながらそう言うと、カエソーはかぷっとかぶり付き、フォークを口から脱ぎ去った。そして口に残った揚げ物を噛み砕き始める。

 シュバルツゼーブルガーカルプフェン……シュバルツゼーブルグ発祥の魚料理である。地名の由来となった湖『黒い湖』シュバルツゼーで獲れた鯉の唐揚げなのだが、揚げる前にワインビネガーでマリネし、それから白ワインと香草ハーブで煮てあるのが特徴だ。元々は余ってしまった『青い鯉』カルプフェン・ブラウという鯉料理を、捨てるのがもったいなくて一口大に切り分けて衣をつけて唐揚げにし、まかない料理として再利用したのが始まりらしい。衣がやけに固いのは、昨夜の料理を今朝温めなおす際に揚げなおしているせいだ。本来のシュバルツゼーブルガーカルプフェンはフォークの切っ先を弾くほど固くはない。

 ペイトウィンはバリバリと音を立てて揚げ物を噛み砕くカエソーを見ながら怪訝けげんそうに顔を歪め、自分も同じ揚げ物をフォークで突き刺した。


「街道が封鎖されている?

 事故でも起きたのか?」


 訊くだけ訊くとペイトウィンもシュバルツゼーブルガーカルプウェンを口に入れ、バリバリと音を立てて噛み砕き始める。下拵したごしらえの段階でワインビネガーを使って処理し、更に香草とワインで煮ているため鯉には泥臭さが全くない。外側の衣がやけに固いのもあって、揚げる前に充分煮られた鯉の身はフワッと柔らかく、それでいて爽やかな酸味が広がった。


 やはり……カエソーが食べる順番に合わせて召し上がっておられる……


 カエソーは揚げ物をゴクリと飲み込んだ。


「まあそんなところです。」


 ペイトウィンは顎を動かしながらジロッとカエソーに視線を向ける。衣の堅すぎる揚げ物に苦戦しているように見えなくもないが、もしかしたらカエソーが何かを隠そうとしていることに気づいたのかもしれない。

 カエソーは街道がダイアウルフの出没によって通行に制限がかけられていることについて知っていたが教えなかった。捕虜にすぎないペイトウィンに教えることでもない……そう判断したからだった。

 カエソーは今度はパンに手を伸ばす。スカエウァが砦のパン職人に依頼して特別に焼かせた白パンである。ペイトウィンはまだ揚げ物を噛み砕いている最中だったが、カエソーは構わず目の前のパンを手で引きちぎりながら続けた。


「その間ご不便をおかけしますが、なるべく快適に過ごせるよう配慮はさせていただきます。

 おおっ! そうそう……」


 ようやく揚げ物を飲み込んだペイトウィンが何かを言おうとしたが、カエソーはちょうど大事な何かを思い出したかのように、わざとらしく少し大きな声をあげてペイトウィンを牽制する。そしてペイトウィンが何か言いかけていたのを思いとどまったことを確認すると、微笑みかけるように続ける。


ペイトウィンホエールキング様の身の回りの世話はグルグリウス殿にお願いしました。」

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