第918話 戦略的撤退

統一歴九十九年五月九日、深夜 - ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 友好的だったグルグリウスの様子が一変し、ペイトウィンたちに緊張が走る。後ろからペイトウィン越しに様子をうかがっていたエイーは、グルグリウスが目を赤く光らせ、その身に赤黒く光って見えるオーラをまとうのを見て全身に怖気おぞけが走るのを感じた。


 アイツ、魔物だ!!


 馬たちはすっかり動揺し、パカパカと足を踏み鳴らし、盛んに首を振って自分のくつわを握るペイトウィンやエイーたちの手を引っ張り、今すぐ逃げようとうながす。


「悪いなぁ……知らない人について行っちゃ駄目って教わったんでね。

 誰だかも分からないお前について行くわけにはいかないんだ。」


 ペイトウィンは後ずさりしながらも強気に言い返す。だが、その声が少し震えていたのは今まで速足で歩き続けて息が乱れていたのが理由ではない。


「まだそのようなことを!?」


 グルグリウスが嘆くように眉を寄せる。


吾輩わがはいにとって貴方様はもっとも縁の深い人物の一人だというのに……」


「残念だがそれはお前の片思いって奴だな。

 生憎あいにくと俺には友人がたくさんいるんだ。

 友人以外にも、高貴なハーフエルフ様とよしみを結ぼうっていう奴なんて掃いて捨てるほどいやがる。」


 言いながらペイトウィンは後ろのエイーに「そうだよな?」と同意を求めるように振り返り、二度連続してウインクする。エイーはその意味は分からなかったが、ペイトウィンがこれから何かしようとしているんだという程度のことは気づいた。


 なんだ、どうしようっていうんだこの人は!?


 分からないがひとまず邪魔にならないようにすべきだろう。エイーはゆっくりと後ろへ後ずさり始める。ペイトウィンはしゃべりながら自然に視線を戻し、グルグリウス相手に時間を稼ぎながら後ずさりを続けた。


「まあ、俺も貴族だからな。礼節って奴はわきまえてるのさ。下心があるとはいえ、一応好意を持って声をかけてくる人間を邪険にするわけにはいかないからな。社交辞令くらいは欠かしたことは無いのさ。

 ところが、貴族社会に慣れてない奴がたまにいてね。社交辞令を真に受けて、自分のことを受け入れてもらえたと勘違いして、勝手に思いを募らせて突っ走ったりするんだ。お前みたいにな。」


 言いながら右手を馬の轡から放し、自然に外套の裏に忍び込ませた。そこにはいつでも取り出せるようにマジック・スクロールが忍ばせてある。指先にスクロールの感触を認めると、ペイトウィンはニィっと口角を引きつらせた。


「まっ、俺としちゃあ、迷惑なだけだねっ!!」


「!?」


 ペイトウィンがふところから取り出したスクロールを投げつけると、ペイトウィンとグルグリウスの間に突然紅蓮ぐれんの炎が噴き上がった。目がくらむほどの巨大の炎はそのまま広がり、赤く燃えさかる壁となってグルグリウスの姿を隠し、周囲の木々を明るく照らし出す。

 突然広がった炎に馬たちは驚きいななくが、その轡をペイトウィンが捕まえて引き戻した。そして「逃げるぞエイー!!」と叫ぶや否や、馬を引っ張って方向転換を始める。


「え!?あ、はいっ!!!??」


 エイーはペイトウィンが何かするつもりだと予感して先に馬と共に後ずさりしていたため、ペイトウィンとの間にはある程度距離が開いていたのだが、それでもエイーは一人で馬三頭を連れていただけあって方向転換には少しばかり手間取った。


「急げエイー!!」


「ハイッ!すみません!!

 ホラッ!行くぞ、ついてこいお前ら!!」


 方向転換している間に追いついたペイトウィンに急かされ、エイーは来た道を戻る方向へ馬を曳いて走り出す。馬たちも目の前の危険から逃げるんだと気づくと同時に、先ほどまでの動揺が嘘のように大人しくなり、轡を引くエイーを逆に引っ張るように加速し始める。


「何ですか!何ですかアレは、ホエールキング様!?」


 逃げ足の速度が乗り始めるとエイーは気持ち的にはひと段落着いたのか、走りながら背後のペイトウィンに悲鳴混じりの声で訊いた。


「あれは『炎の防壁ファイア・ウォール』のスクロールだ!

 スクロールなら魔法詠唱が要らないし、魔力も消費しない。

 それに、魔法発動前に相手に気づかれなくて済むだろ!?」


「そうじゃないです!!」


 鼻を明かしてやった……その思いから自慢げに答えたペイトウィンだったが、エイーの求めていた答えはそれではなかった。


「あれですよ!あの男!!あいつ、魔物ですよ!?何なんですかアレ!?」


「知らないよ!!

 あんな奴、見たこともない!!

 人間の姿してたけど、人間じゃなかった!

 アイツ、絶対ヤバいぞ?!」


 グルグリウスは間違いなく恐ろしい相手だった。最後のオーラをまとった時のグルグリウスが放った魔力の波動は、海峡での戦闘後に脅しをかけてきた時のアルビオーネほどではなかったが、本気で怒った時のフローリアと同じくらいはあったかもしれない。つまり、ペイトウィンが本気になっても絶対に勝てない相手だということだ。

 先週までのペイトウィンだったら、もしかしたらグルグリウスに対して挑みかかっていたかもしれない。ペイトウィンはハーフエルフの中では比較的柔軟に物事を考えることが出来る方だが、それでも世間知らずな点ではティフ・ブルーボールやスモル・ソイボーイたちに決して劣らない。ムセイオンにいた時は自分たちが勝てない相手はフローリアとルード・ミルフの二人だけだと思い込んでいたし、仮にフローリア並みの強さを持つ相手が存在したとしても、そう簡単に遭遇することは無いだろうと思い込んでいた。そして、フローリアやルードは常に手加減してくれていたのだから、強い相手は弱い相手に対して手加減してくれるものだと思い込んでいた。だから強い相手を目の当たりにしても死ぬかもしれないと本気で思ったことは無かったし、《地の精霊アース・エレメンタル》のゴーレム軍団を目の当たりにした時も内心では「コイツはヤバいぞ」と思いながらも臆病と言われるのが嫌であえて否定的なことは口にしなかったくらいだ。

 だがペイトウィンはここ数日で自分たちを遥かに上回る強大な精霊エレメンタルとの戦闘を経験したことで、自分が絶対に敵わない相手と対峙してしまう可能性というものに柔軟に対処できるようになっていた。


 勝てない相手からは逃げてもいい。勝てない相手に勝つ見込みもないのに無暗に突っかかり、無様に負ける方がみっともない。相手の力量を見極め、柔軟に対処するのが一番大事なんだ。

 だから、勝てない相手から逃げるのは恥ずかしいことでも臆病でもない。

 むしろ上手に生き残り、捲土重来けんどちょうらいを図るべきなんだ。

 相手の力量に気づき、敵が本気を出す前に撤退して被害を最小限に抑える……今のはその理想形だ!!

 やっぱ俺ってティフより凄いんじゃないか!?


「知ってますよ!

 アイツ、魔物です!!

 悪魔ですよ!!

 分かってるでしょ!?

 何で怒らせるようなことを……

 謝った方が良いんじゃないんですか!?」


「はあっ!?謝る!?この俺が!?」


 ペイトウィンはエイーの泣き言に我が耳を疑った。まさか身内のエイーからそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。


「俺が一体何したって言うんだよ?!

 謝らなきゃいけないようなこと、俺がいつしたっていうんだよ!?

 あんな奴、俺は知らないぞ!?」


「金貨だって嘘ついて!

 黄銅貨を渡したじゃないですか!!」


 エイーが言ったのはグルグリウスが言った事そのまんまだった。


 コイツ!アイツの肩を持つのか!?


 ペイトウィンは頭がグラグラし始めるのを感じたが、それは決して運動のし過ぎが原因ではない。ペイトウィンはエイーの“間違い”を正すべく、脚を速めてエイーとの距離を詰める。


「おいエイー!!お前、アイツの言うこと信じてんのか!?

 俺がいつ、だれ相手にそんな真似したって言うんだよ!?

 俺はあんな奴、会ったこともないぞ!?」


「気づいてないんですか!?」


 自分がとっくに気づいていることにペイトウィンが気づいてなかったことを知り、エイーは驚きの声を上げて一瞬振り返った。夜道を走りながらだったのですぐに前に向き直ったが……


「何にだよ!?」


「アイツ、インプですよ!!

 今日、ホエールキング様が召喚した、インプです!!

 ホエールキング様は、インプに金貨をやるって言って、黄銅貨を渡したんですよ!!」


 ムキになって追及して来るペイトウィンにエイーが返した答は、ペイトウィンにとってあまりにも意外なものだった。今度はペイトウィンの方が驚く番だった。


「はあっ!?」

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