第919話 逃避

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 さっきの男がインプ???

 コイツ、何言ってんだ!?


 ペイトウィンはエイーが何を言っているのか理解できず、思わず脚が鈍る。が、立ち止まりかけたことでエイーとの距離が離れ、慌てて追い始めた。


「どういうことだ!!

 何でアイツがインプなんだよ!?」

 

 エイーのすぐ後ろまで追いついたペイトウィンが声を荒げる。


「知りませんよ!

 俺の方が知りたいくらいだ!!

 それより、これからどうするんです!?」


「何が!?」


「この先はレーマ軍の中継基地ステーションです!

 このまま行ったら見つかってしまいますよ!?」


 彼らが進む先にあるのはレーマ軍のライムント街道第四中継基地スタティオ・クアルタ・ライムンティ……一度彼らが盗賊たちを使って壊滅させ、今夜はその廃墟に泊まろうと思っていたのに、行って見たら既にレーマ軍が部隊を駐屯させていた。建物はもちろん焼け落ちたままだったが、レーマ軍は天幕を張って基地の機能だけを回復させていたのだった。それで仕方なくペイトウィンたちはブルグトアドルフ近郊の山荘まで移動しようと、来た道を戻っていた途中でグルグリウスに出くわしてしまったのだ。そこから回れ右をして走ってきたのだから当然、行きつく先は第四中継基地しかない。

 ペイトウィンは走りながら、回転が鈍くなった頭に地図を思い浮かべる。


「……そうだ!たしか右に折れる、脇道があったろ!?

 狭い道だが、そっから山荘へ行けたはずだ!」


「それならもう通り過ぎましたよ!!」


「クッ!?

 止まれエイー!!」


 エイーが泣き言でも喚くように空を見上げて叫ぶと、ペイトウィンは短く舌打ちしてブレーキを掛けた。急に立ち止まられてくつわを引かれた馬が不満そうにいななく。

 背後から聞こえるペイトウィンの指示と、馬のひづめの音からペイトウィンが本当に立ち止まったことに気づいたエイーもやや遅れて減速し、実に嫌そうに立ち止まって振り返った。


「何で通り過ぎちゃうんだよ!?

 そっちに行くしかないことぐらい分かってたろ!?」


 ああ、怒られるんだろうなぁ……と予想した通りに怒られ、エイーは溜息を噛み殺しながらうつむいた。


「いやだって、そっちは馬を連れて行くには……狭すぎますし……」


 ペイトウィンが言った道はほぼ獣道といって良いほど狭い道だ。人が歩くのもままならないほど険しい道で、脇から伸びた草や笹の葉で道そのものが覆い隠されてしまっているところも少なからず点在している。

 それなのに今の彼らは馬を連れている。一人が二頭三頭と左右に連れていて、おまけにすべての馬の背中には荷物を背負わせているので一頭あたりの横幅も随分と広がっている。なので馬車ぐらい余裕で通れるくらいの道幅が無ければ通行するのは難しいくらいなのだ。現にシュバルツゼーブルグからここまでくる間でさえ、結構苦労してきている。それなのに人間がようやく歩ける程度の幅の狭い道を、左右に馬を連れて歩けと言われても無理に決まっているではないか。だからエイーはそこを無視して通り過ぎたのだ。


「何だって、声が小さくて聞こえねぇよ!?

 言いたいことがあるならハッキリ言え!!」


 モゴモゴと口の中で言い訳するエイーの声は、ハーフエルフのペイトウィンの耳に全く聞こえてないわけではなかったが、エイーの態度が気に入らないペイトウィンはわざと聞こえてない風を装い威圧する。ハーフエルフのパワハラモードだ。

 ゲーマーの血を引く聖貴族はこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な存在とされ、身分社会のなかでも最上級の階層に君臨している。ステータスの高さで言えば小国の王族なんかより上だと言っていいだろう。その聖貴族の中でも魔力の高いハーフエルフは別格な存在であり、たとえ高名なゲーマーの直系と言えどもヒトの聖貴族なんかでは対等に口を利くことなど出来はしない。それが『勇者団』ブレーブスの仲間内であっても同じことだ。

 そういう身分制度の中で生まれ育ったハーフエルフはヒトが相手だと感情に任せて随分と傍若無人ぼうじゃくぶじんな態度をとってしまう癖を共通して持っていた。ペイトウィンも例外ではない。むしろ典型と言っていいかもしれない。

 そしてエイーもまた、そうした身分社会の中で生まれ育ったヒトの聖貴族だ。ハーフエルフを怒らせてしまったら面倒くさいことになることはよく承知していたし、そうしたことに慣れ切ってもいた。


「いえ、すみませんホエールキング様!!

 私が、動揺して冷静さを欠いておりました!」


 ここで言い争うのは全くの無謀だ。不毛ではなく無謀なのだ。ゲーマーの血を引く聖貴族とは言え、ヒトでしかないエイーがハーフエルフのペイトウィンに逆らえるわけがないのだ。ハーフエルフが白だと言えば、たとえそれが煤にまみれたカラスであっても曇りなき純白として扱わねばならないのである。

 そしてペイトウィンは今のエイーのように、身分差ゆえに不本意でも頭を下げて謝罪する人間を見慣れてしまっていた。


「チッ」


 うつむき、目を逸らせて謝るヒト……それが心からの謝罪ではないことをペイトウィンは知っていた。


 本心から反省して謝罪しているわけじゃない。

 ただ、これ以上面倒なことにしたくないからだけだ……


 いつからだろう?何かにつけて他人よりも優位に立ちたがるペイトウィンだったが、こうした謝罪が勝利を意味しているわけではないことに気づいてしまっていた。

 相手が誤った。相手が折れた。そして自分が正しいと認められた……だが、それによって得られるものは何故かいつもツマラナイものばかりだった。相手に謝らせた、相手が折れた、相手に自分の主張を認めさせた、なのに


 何故だ?


 その答えをペイトウィンをはじめ、多くのハーフエルフたちは見つけだせてはいない。


 アレは“逃げ”だ。

 んだ。

 勝利を諦めることで、徹底的な敗北を避けているんだ。


 そこまではペイトウィンも気づいていた。相手は謝っても心まで屈服していない。だから向こうは本当の意味で負けていないし、こちらも本当の意味で勝てない。そこまでは気づいているが、じゃあどうすれば本当の勝利を手に入れられるのか、それがさっぱり分からなかった。

 ただ、このまま追撃しても今以上の勝利など得られないことも分かっている。これ以上責め立てても、相手は心を閉ざしてしまうだけだ。


 ペイトウィンはしばらくエイーを睨みつけていたが、苛立たし気に溜息を吐き散らしながらエイーから視線を外した。


「まあいい、次は気をつけろよ!?」


 ペイトウィンはそう言うと馬を曳いて回れ右をし始める。先ほどの脇道へ戻ろうというのだ。意外なほどあっさりと諦めてくれたペイトウィンにエイーは肩透かしでも喰らったかのように驚いた。


「え?!……許して下さるんですか?」


「今は他に優先すべきことがあるだろ!?

 急いでここから離れるん……?!!?」


 突如、全身の毛が逆立つような異様な感覚に囚われ、ペイトウィンは吐きかけていた言葉を飲み込む。それはペイトウィンだけが感じた感覚ではなかったらしく、馬たちも激しく動揺していななき、逃げ出そうと暴れ始めた。エイーとペイトウィンは反射的に轡を引き寄せ、力づくで馬たちを落ち着かせようとする。そしてゴウッと激しい風が吹き抜けたと思った次の瞬間、彼らが先ほどまで向かおうとしていた先に再びヤツが立っていた。


「追いつきましたよ、ペイトウィン・ホエールキング様?」

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