第920話 追跡者

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



「でっ、出たっ!!」


 第四中継基地スタティオ・クアルタへ続く間道の先にグルグリウスは立っていた。あからさまに動揺するエイーの向こうに見える不敵に笑うグルグリウスの姿を、ペイトウィンは苦々し気ににらみつける。


「くそっ、いつの間に追い越しやがった!?」


 グルグリウスの追跡を阻むために使った『炎の防壁』ファイア・ウォールはマジック・スクロールを使って展開したため、呪文を唱えて展開する場合とことなり一分間程度は燃焼し続けるはずだった。たった一分間ではあるが、その間は炎の光と熱で敵の視界と魔法攻撃は遮断される。相手に炎耐性や魔法耐性があれば簡単に突破されはするが、それでも目眩めくらまし程度にはなるはずだ。

 要は逃げるための時間稼ぎに使ったわけだが、こうして追いつかれてしまった事を考えればどうやらその効果はペイトウィンの期待を満足させるほどのものでは無かったらしい。


「いけませんなぁ、このような森の中であのような火炎魔法を使うなど……

 もし山火事にでもなったらどうするつもりだったのですか?」


「エイー、後ろへさがれ。

 そこに居たら邪魔だ。」


 穏やかにとがめるグルグリウスにペイトウィンが答えることなくエイーに指示を出すと、エイーはペイトウィンの方を一度振り返り、それから再びグルグリウスの方を見て慌てて三頭の馬を曳いて移動を始めた。エイーが通り抜けやすいよう、ペイトウィンは間道からはみ出すように脇へ避けるが、それでも狭い間道であるからエイーがすり抜けるほどの余裕は出来ない。エイーはペイトウィンがいる方とは反対側へ間道からはみ出し、ガサガサと枯れ草を踏みながら今来た道を戻る方向へと移動する。


「やれやれ、まだ逃げようというのですか?」


「おいっ!」


 呆れながら一歩を踏み出したグルグリウスを牽制するようにペイトウィンが声をかける。


「お前、俺が召喚したインプなのか?」


 グルグリウスは歩みを止め、驚いたように目を丸くした。それから感心したようにオホッと一瞬笑い、胸の前でパンパンと手を叩く。その音はシンと静まり返った夜の森にやけに高く響き渡った。


「ようやく思い出していただけたのですか?!

 いや感心、感心……てっきり気づいていただけないかと思いましたよ。」


「気づかなかったさ!」


 ペイトウィンは悔しさを滲ませた声で吐き捨てる。そしてまだペイトウィンの横をエッチラオッチラと枯れ草を踏み分け、馬たちと共に後方へ通り抜けようと悪戦苦闘しているエイーのたてる音に負けないよう、ペイトウィンは声を張った。


「まだ半日と経っていないのに、随分な変わりようじゃないか!?

 それで、召喚主に逆らおうってのか?」


「おやおや!?

 手紙を届けた後は好きにして良いと言ったのは貴方様ではありませんか!

 そもそも、報酬を偽った貴方様に吾輩わがはいの主人たる資格はありません。」


「そう言うな!」


 嘲笑あざわらうかのようにペイトウィンは顔をゆがめる。


「黄銅貨を渡したのは悪かった。

 本当に騙したつもりは無かったんだ。」


「金貨と間違えたとでも?」


 笑みを消し、片眉を持ち上げて尋ねるグルグリウスにペイトウィンの歪んだ笑みがどこか柔らかなものに変わる。交渉の余地を見つけた……そんな感触を得たからだった。


「ああ本当だ。

 何なら今からでも金貨を払ってやってもいいぞ?

 どうせケントリ金貨はここらじゃ使えないんだ。

 もし、俺たちをこのまま見逃してくれたら、その分も割増しで支払おう。」


 ペイトウィンはムセイオンから脱出する際、まとまった量の金貨を持ち出していた。地獄の沙汰も金次第……かさ張らずに持ち運びしやすい金はもっとも便利で使い勝手がいい道具だ。旅先でも重宝するだろう。

 しかし彼が持ち出したケントリ金貨はレーマ帝国では流通していなかった。いや、ケントリ金貨のみならず他のどの金貨も流通していなかった。金貨に含まれる金の価値はムセイオンでもレーマ帝国でも同じだが、普段一般の市場で流通していない金貨を、ましてやレーマ人の誰も見たことの無いケントリ金貨を使えば人々の目を引いてしまう。そこにムセイオンの人間がいると宣伝してしまうようなものだ。身を隠して旅を続けなければならない彼らにとって、それは避けねばならない事態だった。結局、せっかく持ち出した金貨は使えず、彼らは自分たちで現地の金を稼ぐ必要に迫られることになってしまう。

 そのような今の彼らにとって、ケントリ金貨など邪魔なだけだ。使えない金貨に価値はない。たとえムセイオンに戻れば支障なく使えるとしても、このまま得体の知れない魔物に捕まってムセイオンに戻れなくなるくらいなら、手持ちの金貨を惜しむことには何の合理性も無いだろう。それに、必要な支払いを惜しむのは彼の矜持モットーに反する。


 勝利のために課金しろペイ・トゥー・ウィン!!


 そう、勝利をもぎ取るためには出し惜しみなどしてはならないのだ。今ここでグルグリウスを買収することが直接的な勝利につながるとは限らないが、しかしグルグリウスの追及を逃れられなければ敗北しか待っていないのは確かだろう。


「フンッ」


 ペイトウィンの顔に満ちていた自信を嘲笑うかのようにグルグリウスは鼻を鳴らすした。


「言ったハズですぞ?

 吾輩は既に新たな主人の元、新たな任務を得ているのです。

 金貨ごときのために、それをたがえることなどあり得ませんなっ。」


 この時グルグリウスが見せた微笑ほほえみは憐れみだったのか、嘲笑だったのか、それとも呆れだったのかは分からない。が、いずれにせよペイトウィンにとっては屈辱的なものでしかなかった。

 最も裕福と言われたゲーマーの息子が相応の対価を払うと言ったにもかかわらずグルグリウスはそれを蹴り、あまつさえ鼻で笑ったのだ。金での解決を全否定するなど、ペイトウィンにしてみれば魔導具アイテムで地力を底上げし強引に勝利をもぎ取っていく父のスタイルを否定されたに等しいかった。

 苦労して地道に成長させることなく、物や金の力に頼る父のスタイルは確かに他のゲーマーやその子たちから否定的に評価されることが少なくない。だが、それでもペイトウィン本人はそうした父のやり方を誇りに思っていた。堅実に、確実に実力以上の実績を積み上げていった父のやり方に間違いはない。最小の犠牲で勝利をもぎ取ることの何が悪いというのか!?財貨で問題を解決できるなら命を犠牲にするよりずっと安いではないか!!

 ペイトウィンは歯噛みするように怒りに顔を歪め、グルグリウスを睨みつける。


「新しい主人ってのは誰だ!?

 任務は、俺を捕まえることか!?」


 グルグリウスはペイトウィンの名前を呼んだ。そして迎えに来た、同行しろと言って来た。おまけに金貨を払うという申し出を蹴ってもいる。ということは、グルグリウスの新しい主人とやらがペイトウィンを捕まえてくるように命令したのだろう。今更聞くまでもない質問にグルグリウスはヤレヤレと困ったように眉を寄せ、口角を上げた。


「ええ、そのとおりですホエールキング様。

 ですが吾輩としましても手荒な真似はしたくないのですよ。

 なんといっても貴方様は吾輩の召喚主なわけですからな。

 だからせめて穏やかに事を運ぶべく、吾輩は『お迎えに参上しました』と申し上げたのです。」


 グルグリウスの見せた微笑みはペイトウィンより何十歳も若いくせにやけにペイトウィンを子供扱いする大人たちが、ペイトウィンをなだめる際に見せるものと同じだった。ペイトウィンにとって、心の底から人を馬鹿にしているようにしか見えない、不愉快極まる笑みだ。


「フンッ?

 じゃあ訊くが、何処へ連れて行かれるのかな?

 それにお前は新しい主人は誰かという俺の質問に答えてないぞ!」


 エイーが完全に自分の背後に回り、間道の脇から路上へ戻ったことを確認したペイトウィンは懐に右手を忍ばせる。それに気づいたグルグリウスの顔から笑みが消え、子供の悪戯いたずらに気づいた大人のように表情が固くなった。

 ペイトウィンは先ほどグルグリウスから逃げる際、懐からスクロールを取り出して『炎の防壁』ファイア・ウォールを展開した。このような真冬の乾燥した森の中では山火事になってもおかしくない無謀な行為である。同じ《地の精霊》の眷属である《森の精霊ドライアド》の森が直ぐ近くにあることを知っていたグルグリウスは、ペイトウィンを追う前に『炎の防壁』が延焼して山火事にならないようわざわざ消火しなければならなかったのだ。

 これ以上、同じような真似をしてほしくないグルグリウスはやや低い声で警告する。


「先ほどのような無駄な抵抗はせんことです、ホエールキング様。

 吾輩の新しい主人は貴方様もよくご存じの《地の精霊アース・エレメンタル》様、そしてお連れするのはルクレティア・スパルタカシア様の御前みまえです。」

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