第1192話 人選

統一歴九十九年五月十日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



 メークミー・サンドウィッチ殿とナイス・ジェーク殿の御二人がペイトウィンホエールキング様との再会を歓迎されておられない理由が分かった様な気がするよ……カエソーはルクレティアにそう言いかけたが、実際に口から言葉が出てくることは無かった。相手は名にし負うペイトウィン・ホエールキング二世……この世界ヴァーチャリアで最も高貴とされる聖貴族、その頂点に立つハーフエルフの中でも最も裕福で最も聖遺物アイテムを数多く所有していることで知られる有名人だ。上級貴族パトリキの中の上級貴族……そんな人物の陰口を不用意に漏らすのは流石にはばかられる。ペイトウィンとはこれからしばらくの間、良好な関係を築かねばならぬのだ。

 

 しかし、どうしたものか……


 カエソーは目を開けると額にあてていた手を降ろし、背もたれから身体を起こした。

 ペイトウィンをメークミーやナイスと一緒にするのは避けた方がいいだろう。ペイトウィンが二人をそそのかして脱走や抵抗を試みるということは無いとは思うが、あの様子では安心できない。自分の立場も理解せずカエソー相手にあれだけ大様おおように振る舞う性格からすると、何か気に入らないことがあればどれだけ極端な行動に走ったとしても不思議ではないような気がする。一応、全ての装備を取り上げてはいるが、ペイトウィンは魔力に優れたハーフエルフで魔法の名手だ。メークミーやナイスのように装備を失ったというだけで大人しくなるとは限らない。そう、何せ世界で最も多くの聖遺物を持っているのだから、今回の旅で持ち出した物は全体のごく一部にすぎず、今取り上げている全ての持ち物を失うこともいとわないかもしれないのだ。


「ひとまずペイトウィンホエールキング様の処遇を考えねばなりません。

 誰にハーフエルフ様の御世話を任せればよいのか……」


 カエソーが憂鬱そうな表情で、誰を見るでもなく目の前の円卓メンサに視線を落として言うとルクレティアは緊張を新たに顎を引いた。

 高貴な人物の世話は高貴な人物によって為されねばらならない。聖貴族の世話は同じ聖貴族か神官の手によってなされねばらないだろう。だがさすがにルクレティアがするわけにはいかない。まだ彼女の背景は明らかにできないが、ルクレティアは既に降臨者に仕える聖女サクラ……ましてその主人が《暗黒騎士リュウイチ》その人なのだから、その身分はペイトウィンよりも上なのである。序列を無視したとしてもルクレティアからリュウイチへの手がかりがペイトウィンに漏れるリスクを考えれば、ルクレティアをペイトウィンに近づけることさえ避けたいところだ。

 では他に誰が・・・となると順当に言えばスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルとなるだろう。ルクレティアの従兄いとこであり婚約者だった男だ。ルクレティアと同じスパルタカシウス氏族なのだから生まれも育ちも問題ない。が、スカエウァをペイトウィンに付けるのは問題がある。

 スカエウァにはメークミーとナイスの世話を任せてはいるが、ムセイオンの聖貴族を目の当たりにした彼はすっかり舞い上がって自分を見失ってしまっている。決して愚かな人間ではなかった筈だが、互いの立場をすっかり忘れてしまったかのようにメークミーとナイスに便宜を図り、擦り寄ることに夢中になっている。ヒトの聖貴族相手ですらこんな風なのだからハーフエルフを相手にしたとしたらどうなってしまうことか……

 かといってレーマ側の聖貴族は今、ルクレティアとスカエウァの二人しかいない。二人には配下の神官フラメンが多数付き従っているが、さすがに下級神官を責任者に据えるわけにはいかないだろう。頭の痛い問題だが結論は先延ばしにできない。必要性は既に現実のものとなっているのだ。


スカエウァプルケルではいけないのですか?」


 ルクレティアの声にカエソーはとんでもないという風に首を振る。


「ダメです。

 彼は自分を見失ってしまっている。

 ヒトの聖貴族を相手にしてさえ舞い上がってるのに、ハーフエルフ様など……」


 カエソーは言いながら顔をあげ、自分を見つめるルクレティアの目に警戒が色濃く浮かんでいるのを見ると話を中断し、慌てて否定した。


「ああ!

 さすがに既に聖女サクラとなられた貴女にさせはしませんよ!?」


 カエソーがそう断ると、ルクレティアは溜息をついて警戒を解きながらも憂鬱そうな表情は崩さなかった。


「ですが、それだと他に誰を充てるのですか?

 まさかカエソー伯爵公子閣下御自らというわけにもいかないでしょうに。」


 グナエウス砦ここに居る間だけならまだしも、これからの行程を考えるとさすがに無理だ。カエソーは率いている部隊の指揮官として、『勇者団』捕虜の護送の責任者として、色々とやらねばならないことがある。部隊の指揮だけなら配下の百人隊長ケントゥリオに任せることも出来るが、他人の領土で活動している以上、外交交渉のような機会も頻繁となるだろうから部隊責任者としての職務は免れない。


 スカエウァアイツだったらこんなことで悩まなくて済んだのに……


「アルトリウシアから神官フラメンを派遣していただくことは?」


 ルクレティアの父ルクレティウス・スパルタカシウスならアルトリウシアの神官を束ねる立場だ。ルクレティアを通じて頼めば配下の神官を派遣してもらえるだろう。アルトリウシアからここまで一日の距離……こちらはどうせダイアウルフのせいで足止めを食らうのだから、その間に派遣して貰えれば都合がつく。

 しかしルクレティアは頭を振った。


「無理です。

 神官フラメンは派遣してもらえるでしょうが、さすがにハーフエルフ様の御世話が務まるほどの高位の神官フラメンは父しかいません。ですが父は……あの身体ですし……」


 ルクレティアはレーマ帝国屈指の名門聖貴族の家系であり、父ルクレティウスはその頂点に立つ宗家当主だ。ムセイオンにも長く滞在して研究に身を投じていた時期があり、おそらくペイトウィンとも知己があるだろう。だが一昨年の火山災害の際の余震で倒壊した家屋の下敷きになってしまい、以来下半身不随になってしまっている。呼べば来てくれるかもしれないが、ペイトウィンの世話をするどころか逆に世話になってしまう羽目になりかねない。

 二人が話し込んでいる間にクロエリアが戻り、カエソーの前にかすかな湯気を立てるワインの入った酒杯キュリクスを置いた。カエソーは酒杯を手に取るとしばらく香りでも楽しむかのように口元に留めて酒杯を満たすワインを眺め、それから口をつけた。熱すぎずぬるすぎない丁度良い温度のホットワインは、口に入ると豊かな甘みと香りをほとばしらせながら喉へと滑り込んでいく。意識がボォーッとしてくるような、何とも言えない満足感にカエソーはあえて意識を集中し、先ほどまで頭を一杯にしていた心配事を一度忘れた。


「はぁ~~~……」


 身体が芯からホカホカと暖まり始め、鼻からワインと蜂蜜の香が吹き抜けていく。


 やはり酒を飲みほした後のこの心地よい瞬間が好きだ。何とも言えぬ……

 ああ、全部忘れてこの瞬間を永遠に味わうことが出来たらいいのに……


 しかし、現実はそうもいかなかい。彼は貴族であり、軍人であり、今この場における最高位の責任者なのだ。その立場は否応なく現実を突き付けてくる。


「失礼いたします!

 グルグリウス様、スパルタカシウス・プルケル様がおいでになられました!!」


 食堂トリクリニウムの入り口に控えていた従兵が告げ、グルグリウスとスカエウァがリウィウスたちと共に入室してきた。

 グルグリウスはペイトウィンを寝室クビクルムに連れて行く際、ペイトウィンが面倒を起こさないよう念のためについて行っていたのだった。ペイトウィンを寝室に押し込め、落ち着かせたのでこちらへ戻ってきたのだろう。


 そうか!


 カエソーはパッと目を見開くと、手にしていた酒杯を円卓メンサに戻し、パッと立ち上がってグルグリウスを迎えた。


「おお!

 グルグリウス殿!!」

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