第721話 藪蛇
統一歴九十九年五月九日、午後 ‐
ブルグトアドルフ住民たちの話によれば、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの一行とともにシュバルツゼーブルグへと出立したらしい。それはアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスがブルグトアドルフに到着する二時間ほど前のことで、ほぼ入れ替わりに近いタイミングだった。追いますか?という配下
カエソーの後を追い、カエソーとの再会を果たし、情報を共有したうえで既に捕虜になっているというムセイオンの聖貴族を引き取ることができれば……それはアッピウスにとって魅力的な選択肢に思える。だがアッピウスらは住民たちから話を聞くために半時間以上もの時間を費やしてしまっていた。仮に二時間半の時間差でカエソーを追ったとして、急げば日没までに追いつくことは可能だろう。しかし、どれだけ急いだとしても追いつくのはシュバルツゼーブルグでのこととなってしまう。アルビオンニウム周辺で捜索を続けている隷下部隊と離れすぎてしまうし、土地勘のない場所で行動計画を大きく外れた行動は厳に戒めるべき愚行でしかない。
代わりと言ってよいかどうかは疑問だが、アッピウスは住民たちからある程度話を聞き終えるとブルグトアドルフの南にある
「では、既に安全は確保されたと……貴官らは考えておるのか?」
第三中継基地内の
彼の説明によると残された家畜の世話や被害復旧のため、十六人ほどの住民が代表として残っており、その護衛を兼ねて第三中継基地と第二中継基地の警察消防隊約三十名も第三中継基地に留まり、中継基地機能の復旧と周囲の安全確保に従事しているとのことだった。
「ハッ、推定ですが盗賊どもは多く見積もっても二十人程度しか残っておりません。その程度であれば
フルーギーはアルビオンニアの軍人ではあったが、ランツクネヒト族ではなくレーマ人である。
「だが、キュッテル殿はそうは考えておられぬのだろう?」
「ハッ、おっしゃるとおりであります。
キュッテル閣下がおっしゃるには、盗賊を率いる首領は大変危険な存在であり、盗賊どもが二十人どころか、さらにその半分まで減ったとしても油断ならぬと、随分と深刻にお考えのようでありました。
アッピウスはそれを聞くと、自分の目の前で直立不動の姿勢を保つ老兵を見据えたまま、
麦茶は貧乏人の飲み物だ。レーマ帝国では
「百やそこらで二百近い我が
ほかに出せる飲み物が無かったためにやむなく出した麦茶だったがアッピウスには最初に一口つけてもらって以降、一切飲んでもらえない。その状況でアッピウスのこの発言……フルーギーはアッピウスの不況を買っているのではと恐れ、不安になり、ごくりと唾を飲む。
「だというのに、何故貴官らは残っておる?
住民たちを引き連れてシュバルツゼーブルグへ退避すべきだ。」
真正面の壁を睨むように直立不動の姿勢で立つフルーギーがチラリと向けた視線の先にある顔からは、アッピウスのいかなる感情も見出すことはできなかった。
「ハッ、その……住民たちの強い希望がございまして……」
「希望はあろうが、安全を優先すべきではないのか?
住民の大半が被害を受けたのだし、これ以上の損害は回避すべきであろう?」
「で、ですが……」
フルーギーは胃が痛くなるような何とも言えない不快を覚えつつ、額に脂汗を浮かべながらゴクリと再び唾を飲みこむ。
「住民たちは避難できても、家畜どもは連れていくことができません。
数が多すぎるのです。」
「家畜か……」
「ハッ、住民たちは逃れることができても、家畜どもは置いていかざるを得ません。
置いていけば、家畜どもは死にます。
家畜は住民にとって財産です。
家畜が全滅すれば、それはそれで街の再建が困難になるほどの損害となります。」
アッピウスは姿勢を傾けて円卓に肘をつき、そのまま指をコメカミにあてて頭を支える。
「なるほど……」
「ゆえに、ツヴァイク殿がキュッテル閣下に対し、小官ら
盗賊どもを半減させた直後であったこともあり、キュッテル閣下もツヴァイク殿を説得しきれず、今回の措置をお認めくださいました」
「ふぅ~むむむ」
アッピウスはコメカミを指で揉み込みながら唸った。
正直言って住民の存在もフルーギーら警察消防隊の存在もアッピウスにとっては邪魔だった。
ムセイオンから来た
そのためにはアルビオンニアの住民や警察消防隊の目などない方がよかった。だから可能なら説得して残っている住民たちとフルーギーら警察消防隊をシュバルツゼーブルグまで避難させてしまいたかったが、どうやらそうもいかないらしい。さすがに他所の領地のことであるから、アッピウスといえども口出しすることもできない。
「し、失礼ながら、お聞きしてもよろしいでしょうか!?」
黙り込んでしまったアッピウスに、フルーギーは思い切って尋ねる。アッピウスの方は考え事の最中であったこともあり、何の気なしにフルーギーの質問を許した。
「何だ?」
「か、閣下は、閣下の部隊は、サウマンディアの
その閣下が、このアルビオンニアで活動していらっしゃるのは、お……おそらく、メルクリウス捜索のためであろうと推察いたします。」
メルクリウス騒動とその対策についての情報は彼らのもとにも届いていた。そも、先月のルクレティア・スパルタカシアが祭祀のためにアルビオンニウムへ往復するのに、陸路ではなく海路を取ったことからライムント街道とグナエウス街道上の
アッピウスとしても隣国で自身が活動することの正当性を確保しておかねばならない必要から、フルーギーの質問に対しては素直に認めざるを得ない。
「うむ、もちろんだ。
我らの行動はエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人もご承知である。」
肘を付くのをやめ、姿勢を戻しながらアッピウスはキッパリと断言した。フルーギーはそれを聞き、再びゴクリと唾を飲みこむと、それまで通りの直立不動の姿勢を保ったまま追加で質問する。
「で、ではっ……今回の盗賊どもの背後には、メルクリウスの存在があるのでありましょうか!?」
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