第720話 ブルグトアドルフの戦況

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 甥であるカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が戦闘に巻き込まれ重傷を負った……その話を聞いて驚き、座輿セッラの上で突然立ち上がったアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスの表情に不穏なものを感じたブルグトアドルフの住民たちは慌てだした。


「やっ!でも、命に別状は無かったそうで!!

 サウマンディアの兵隊さんたちが勇敢にも身を盾にして伯爵公子様をお守りし、礼拝堂へ担ぎこんで治癒魔法でお命をお取り留めになられたんだとか‥‥‥」


 アッピウスはそれを聞くと住民の顔をじっと見降ろしたまま、表情も変えずにストンと座輿の座席に腰を下ろした。そのままアッピウスの身体から力が抜け、上体が背もたれへ沈み込むにつれて、その様子を見ていた周囲の兵士や住民たちの緊張感も弛緩していく。


「‥‥‥深手と言ったが、どれほどの傷かはわかるか?」


 数秒続いた沈黙を破り、アッピウスがおもむろに口を開くと安堵したばかりだった住民は不意を突かれ、飛び上がるようにアッピウスの方へ向き直った。


「え?!…あ、いや~それは何とも‥‥‥」

「話に聞いた限りじゃ一時は命も危ぶまれたほどだったそうでやすが、神官様の治癒魔法が効いたらしく、今日は自分で歩いて馬車に乗りこまれたんだとか‥‥‥」 「あっ、昨日ツヴァイク様とお話しになられたとか聞きやしたし、実際はそれほどでもなかったんかも‥‥‥」


「ツヴァイク?」


第三中継基地スタティオ・テルティア隊長さんプラエフェクトゥスでさ‥‥‥へい。」


 聞き覚えの無い名にアッピウスがいぶかしむと、別の住人がすかさず補足する。


「ふ~ん‥‥‥プルケルの治癒魔法でそこまで回復したというのであれば、確かにそれほどの重症ではなかったということか?」


 スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルはサウマンディアの神官で、降臨の起きたケレース神殿テンプルム・ケレースの調査に派遣され、その後そのままカエソーに付き従ってアルトリウシアへ向かっていると聞いている。スカエウァの魔法の実力はサウマンディアの神官たちの中では高い方だが、その実力はたかが知れている。傷口を一瞬で塞ぐような、それこそ伝説の降臨者のような強力なものでは決してなく、人が持つ自然治癒力を若干高めてくれるくらいだ。その程度の治癒魔法で翌日には立ち上がって歩けるくらいになったということは、重症なんて大げさなものでは決してなく、ただの軽傷だろう。額を切って顔が血で染まったりすると、実際は大した傷でもないのに大怪我をしたように見える‥‥‥そういうことはままあることだった。


 心配かけおって‥‥‥


 先ほどまでの心配は見る間にカエソーに対する怒りにとって代わる。急に機嫌を悪くし始めたアッピウスを見て、住民たちは慌てて訂正しはじめた。


「いえっ、違ぇやす!」

「ええ、伯爵公子様を治したのはプルケル様じゃねぇです。

 スパルタカシア様です。」

「プルケル様ぁ兵隊さんたちの治癒に当たられたって聞いてやす。」


 実際のところを言うと、聖女サクラになる前のルクレティアよりスカエウァの方が治癒魔法の実力は上である。だが、住民たちは他所の属州の神官のことなど知らなかったし、スパルタカシアはアルビオンニア属州では最も有名な神官の一人であり、住民たちはルクレティアの治癒魔法が一番だと思い込んでいた。

 本来なら住民たちがフォローのために言ったセリフの数々は的外れなものであり、カエソーに対するフォローどころか却って逆効果になるようなものだったが、奇しくもルクレティアはリュウイチから魔道具マジック・アイテムを与えられたことで伝説の聖女のごとき治癒魔法力を獲得していた。そしてアッピウスはそのことをマルクスから聞かされて知っていたため、本来符合するはずのない両者の異なる認識が見事に符合する。


「むっ!?

 スパルタカシア様の治癒魔法か‥‥‥そうか、なら本当に危うかったのかもしれんな‥‥‥」


「ええ、そらぁもう‥‥‥」

「けんど、もう心配ぇ無ぇって話で……」


 甥の話に一度は取り乱してしまったアッピウスも、その無事を知ると冷静さを取り戻した。住民たちも胸を撫でおろしたが、冷静さを取り戻したアッピウスは再び話を元に戻す。


「それで、戦はどう進展したのだ?

 カエソーは、伯爵公子閣下はそこからどう巻き返した?」


 その口調にはやや険があった。椅子に浅く腰掛け、背もたれに上体を深く沈めたアッピウスはブスッとした表情で頬杖を突き、脚を組む。アッピウスは自覚していたわけではなかったが、甥の軽卒な行動、そしてそれに振り回されてしまったことに対する不快感、人前で取り乱してしまった自分に対する恥ずかしさが彼の態度の背景にはあった。

 しかし、住民たちも兵士たちもアッピウスの心情など把握できるわけもなく、安堵したかと思ったら突然また不機嫌になりだした貴族に戸惑いを隠せず、狼狽うろたえ始める。


「へっ!?へぇ……そっからぁワシらも聞いた話なんでアレですが、サウマンディアの兵隊さんたちが伯爵公子様をお守りしつつ必死に反撃を始めたところへ、ちょうどアルビオンニアのキュッテル様がランツクネヒトの大隊バタリオンを率いて駆け付けやして……」


「キュッテル殿が!?」


 アロイス・キュッテルのその名にアッピウスが反応する。


「ヘイッ、盗賊どもは総崩れ、蜘蛛の子を散らすように……」

「盗賊どもは半分以上死ぬか捕まるかしたそうでやす!!」

「ワシらぁ胸がくようでしたぁ!なぁ!?」

「おおっ!ワシらのランツクネヒトは最強だ!」

「盗賊なんざ、もう怖かぁ無ぇ!!」

「キュッテル様万歳!」

「ランツクネヒト万歳!」


 住民たちは喜色満面といった感じで互いに喜びを分かち合うように言い合い、ランツクネヒトことアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアを称え始めた。


 くそっ、何をやっとるんだあいつカエソーは……


 嬉しそうに騒ぎ出す住民たちを見下ろしながらアッピウスはまるで不貞腐ふてくされるように口を尖らせる。


 盗賊ごときの罠にハマった挙句、深手を負いスパルタカシアに命を救われ、あまつさえキュッテル直卒のアルビオンニア軍団に救出されるだと!?

 本来なら盗賊どもを撃退してアルビオンニアに貸しを作らねばならん状況ではないか!

 それなのに貸しを作るどころか、借りなんぞ作りおって……それでもサウマンディア伯爵家の公子のつもりか!?


 ブルグトアドルフの住民たちはアルビオンニア軍団とアロイスを称えるのに夢中になって気づきもしないが、サウマンディア軍団の兵士たちは無言のままどんどん機嫌を悪くしていくアッピウスを見上げ気が気ではなかった。チラチラとアッピウスと住民たちを見比べ、ついに思い余って百人隊長ケントゥリオが住民たちを制止する。


「お、おい!お前たち静まれ!!静まらんか!!」


 喜びに沸く住民たちは突然脇から水をかけられ、戸惑いながらも騒ぐのをやめる、そして不機嫌を絵に描いたような表情を浮かべるアッピウスに気づくと慌てて取り繕った。


「こ、こりゃぁ……」

「す、すいやせん」


 何に対してアッピウスがそんなに機嫌を悪くしているのか誰にも理解できなかったが、権力者が機嫌を悪くすると色々まずいことになることは彼ら全員がよく知っていた。


「いや、良い……

 それで、伯爵公子閣下の部隊の損害はどれほどだったのだ?

 盗賊どもが半分以上死ぬか捕まったというのは、確かなのか?」


「へ、へぇ……

 サウマンディアの兵隊さんたちは七人だか八人だか死んじまったそうで……

 ほかにも十人だか二十人だか、鉄砲玉浴びて大怪我をなすったそうで……」

「でっ、でも、神官様が魔法かけてくだすったから、命に別状は無ぇって……」


「盗賊どもは?」


「人数までは……

 でも、大半が捕まるか死ぬかしたって話でした。なあ!?」

「ああ、ランツクネヒトがそんなこと言ってやした。

 残ってんのぁ二十人か、多くて三十人も居ねぇだろって……」

「あとはツヴァイク様の兵隊さんたちでも大丈夫だろって……」


 何に対して機嫌が悪くなってるのかわからない。何が理由で機嫌を悪くするかわからない……そんな不安に駆られた住民たちは連れてこられた時以上にビクビクしながらアッピウスの質問に答えた。


「ふぅ~む?

 それで、お前たちはシュバルツゼーブルグへ避難するのをやめ、ここへ残っておるのか?

 ということは、そのツヴァイクという隊長プラエフェクトゥスも残っておるのか?」


 アッピウスはシュテファン・ツヴァイクとは面識がないが、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスなら住民たちから聞くよりもずっと有益で詳細な情報を得られるだろう。中継基地スタティオの駐留部隊……すなわち、ただの警察消防隊ウィギレスでも対処できるという判断がされ、その判断を根拠に住民たちが街に残っているのだとしたら、シュテファンも残っているに違いない。アッピウスはそう予想したのだが、彼の予想は外れた。


「いんやっ、ツヴァイク様ぁ伯爵公子様に付き添ってシュバルツゼーブルグへ行かれました。」

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