第722話 欺瞞と説得

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ ライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア/アルビオンニウム



「いやっ」


 サウマンディア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・サウマンディイアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスは反射的に否定の言葉を口にしながらジロリと目の前の男をにらみ上げた。今、第三中継基地スタティオ・テルティアを預かっている第二中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニス・セクンダフルーギー・ユーニウスはその視線にわずかに悶えるように身動みじろぎし、再びゴクリと唾を飲む。


「‥‥‥し、しかし‥‥‥」


 ならアンタアッピウスは何でこんなところに来たんだ?

 メルクリウスを捜索するからこそ、わざわざ隣国へ乗り込んできたんじゃないのか?


 フルーギーの頭の中に駆け巡る疑問はアッピウスにも予想できた。


「貴官がそう思うのは無理もない。

 確かに、盗賊どもの背後に此度こたびのメルクリウス騒動の容疑者らしき者の存在はある‥‥‥サウマンディウムへ連行された捕虜たちの証言から、そのように判断し、我々はここへ来た。」


 アッピウスはそういうと手持無沙汰てもちぶさたまぎらわすために、麦茶アリカの入った茶碗ポクルムを円卓の上でもてあそびながら、フルーギーから視線を放して続けた。


「だが、まだ断定しておるわけではない。」


 アッピウスが視線を外したことで緊張が和らいだフルーギーは、直立不動の姿勢はそのままに、向かいの壁の天井にほど近い部分を睨んでいた視線をチラリとアッピウスへ向ける。


「盗賊どもの証言にあった、異常な力を持つ者‥‥‥そいつらの正体を見極めに来た‥‥‥そんなところだ。」


 話す相手であるフルーギーから視線を外し、自分の正面の、何もない場所に視線を向けて言葉を探すようにアッピウスはそう言った。フルーギーの目には、そうしたアッピウスの態度は何か隠し事をしているように映った。


「これまでの幾度かの戦で、我らも幾人かの捕虜を得ております。

 奴らの首領、怪しげなスキルや魔法を使うという話です。」


 何か隠し事をしている。後ろめたいものを感じている。……そうしたアッピウスの気配に気づいた瞬間から、フルーギーは不思議とそれまでの緊張が和らぎ始めるのを感じていた。話す声も、さきほどまでの上ずった様子が収まり、平静を取り戻しつつあるようだ。

 フルーギーのわずかな気配の変化に気づいたアッピウスが再びフルーギーに視線を戻す。


「貴官はそれを、信じておるのか?」


「いえっ!!」


 アッピウスと視線が合った瞬間、フルーギーは再び視線を正面の壁へ戻す。


「しかし、盗賊どもの首領の用兵術は生中なものではない……伯爵公子閣下も、キュッテル閣下もそのように評価しておられるようです。

 少なくとも、只者ただものではない……その評価は正しいかと……」


 フルーギーは相変わらず直立不動の姿勢を保ち、正面をジッと睨むように見据えていたが、その声色や顔色からは先ほどまでの過度な緊張感は見られない。


「……仮にその首領どもがメルクリウスだとして、何故に盗賊どもをひきい、我らを襲うというのだ?」


 フルーギーのわずかな様子の変化に、具体的に何故かはわからないがアッピウスは面白くないものを感じていた。それがわずかな攻撃性となって声色ににじんでいる。フルーギーはアッピウスの声色に怒気のようなものを感じていたが、それが再びフルーギーをして過度に緊張させることはなかった。


「わかりません!」


 そう答えるフルーギーの声には反骨の響きがあった。フルーギーは緊張が解けていたわけではない。むしろ緊張は保っていた。ただ、先ほどまでのような過度な緊張……いわゆるというような状態ではなくなっていた。長年、警察消防隊ウィギレスとして犯罪者と対峙し、治安を維持し続けた男の嗅覚は、アッピウスから社会の汚い部分が放つ腐臭のようなものを嗅ぎ取っていたのだ。そして、相手が不正を隠しているという勘は犯罪者を狩る狩猟者としての自覚を目覚めさせ、立場を超えて精神的な優位を彼に与えていた。


 どうやら最初に会った際に抱いた印象ほど甘い男ではなさそうだ……そのことに気づいたアッピウスは不味い麦茶を口に運んで一口、口をすすぐと茶碗をタンッと音を立てて、叩きつけるというほど強くではないが少しばかり勢い良く卓上に戻す。


「『降臨を引き起こすための生贄いけにえが必要』なのだそうだ。」


 茶碗を卓上に戻すとき、アッピウスの視線は再びフルーギーから外れ茶碗を追っていた。そのことに気づいていたフルーギーの視線が再びアッピウスへ戻される。


「生贄、で、ありますか?」


 アッピウスをチラ見しながら訊き返すフルーギーの声には困惑の色があった。その困惑に気づいてアッピウスはわずかにほくそ笑む。


「そうだ。

 何でも降臨を引き起こすには生贄が必要で、そのためにメルクリウス団は戦を引き起こすのだそうだ。」


「………」


 アッピウスの話しっぷりはまるで自分自身が下らないと思っている冗談を自嘲しながら披露しているような響きがあった。真面目な話には聞こえないが、かといって冗談を言うような状況ではない。アッピウスの話をどう受け止めるべきかフルーギーが迷っていると、アッピウスは半笑いを浮かべたままの顔をフルーギーに向けた。


「この話、誰が言ったと思う?」


 フルーギーはサッと視線を外し、正面を見据える。


「?……小官には、わかりかねますが……」


 戸惑うフルーギーに、アッピウスはたちの悪い冗談の最高のオチを披露するかのように笑みを強め、両手を広げて見せた。


ハン支援軍アウクシリア・ハンのイェルナクさ!」


「!?」


 訳が分からず、フルーギーは正面を見据えたまま顔をしかめた。


「ハン族は叛乱はんらんを起こした。そのままアルトリウシアから逃亡するつもりだったようだが、果たせずエッケ島にこもっておる……それは、貴官も知っておるな?」


「もちろんであります。」


「このままでは奴らは叛乱軍として討伐される。

 そこで、言い逃れのために奴らはメルクリウス団を利用しようとしておるのだ。」


「……その、おっしゃる意味が、わかりかねます。」


「そうだろうな。私だって理解が及ばんさ。」


 アッピウスは茶碗から手を放すと、それまで茶碗を持っていた手を卓上に置いたまま、その指で卓をトントンと叩き始める。


「奴らの、イェルナクの言い分はこうだ。

 メルクリウス団が降臨を起こそうとしている。

 そのために奴らは生贄を必要とし、そのためにハン支援軍アウクシリア・ハンは利用されたのだ。

 精神支配を受けた住民どもが暴徒と化し、アルトリウシアで暴れたので自分たちは自己防衛のため戦わざるを得なかった。

 自分たちは叛乱を起こしたのではなく、真の犯人はメルクリウス団である……だとさ。」


 話すアッピウスの顔は笑っているかのようであったが、その眼には怒りが宿っている。その話を聞くフルーギーもまた何か汚らしいモノを見せつけられたかのように表情を歪ませていた。


「そして、イェルナクはその愚にもつかない説明のためにサウマンディウムへ来た。そして偶然にも今回の盗賊騒ぎを嗅ぎつけた。そして、盗賊どもからそのメルクリウス団による陰謀論に都合の良い証言をかき集めておる。」


 何が言いたいんだこの人アッピウスは?

 確かに叛乱を起こしたハン族は許しがたいが、盗賊どもをハン族に利用させるなってことか?

 だが、盗賊どものせいで被害を受けているのは事実なんだぞ?


 気づけばフルーギーは視線をアッピウスに戻していた。フルーギーと視線が合ったアッピウスの顔が笑みに歪むが、フルーギーは今度はアッピウスから視線を外さなかった。


「例の異常な力を持っているという盗賊の首領……そいつらが今回のメルクリウス騒動の容疑者であることは事実だ。だから我々は彼らを捕まえに来た。

 だが、だからといってそれを大々的に認めればハン族に言い逃れの機会を与えることになってしまうかもしれん。」


 アッピウスは顔から笑みを消し、フルーギーから視線を外すと椅子から立ち上がった。フルーギーはその様子を目で追い続ける。


「我々は盗賊どもの首領を追い、捕まえはする。

 だが、仮に盗賊どもの首領が本当にメルクリウスだったとしても、誰にもそうとは知られんようにしたい。いや、知られんようにせねばならん。少なくとも、メルクリウス容疑をかけられた人物が盗賊と繋がっているという部分は隠すつもりだ。

 そして、メルクリウス容疑者は誰にも知られぬようにサウマンディウムへ連行し、アルビオンニアの外で捕まった、盗賊どもとは全く関係のない存在だったということにする。盗賊どもも、メルクリウスとは関係なかったということにする。盗賊どもを率いていたのは何のことは無い、只の人間だったということだ……そうせねばならんのだ。」


 フルーギーと視線を合わせることなく説明しながら、アッピウスはフルーギーに近づき、そして顔を間近に近づけてようやく視線を合わせる。


「わかるな、ユーニウスフルーギー?」


 ゴクリ……フルーギーは唾を飲んだ。


「それは……侯爵夫人閣下は?」


「もちろん、同意してくださるものと信じておる。」


 尋ねるフルーギーに、アッピウスは視線を外すことなく答えた。

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