第622話 キュッテル商会

統一歴九十九年五月七日、昼 - キュッテル商会/サウマンディウム



 アルビオンニウムとアルトリウシアへそれぞれ向かうサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの二つの船団は、港に集まっていた群衆……おそらく一万人に近かったであろう人たちに見送られて出港していく。群衆の半数近くはアルビオンニアへ派遣される軍団兵レギオナリウスの家族や友人・知人たちであったが、残りの少なからぬ人たちはプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵本人やサウマンディア貴族たちの被保護民クリエンテスであり、わざわざ動員されたサクララウディケーヌスであった。

 人が集まっていれば何があるのだろうと気になるのが人情だ。その人情を利用して人々を集め、領主や貴族たちが如何に立派なことをやっているかを目撃させ、権威を高めるのが彼らサクララウディケーヌスの役割である。一種のステルス・マーケティングであり、《レアル》古代ローマから受け継がれ今もレーマで一般的なプロパガンダの手法であった。

 このようなプロパガンダによって大衆の人気や支持を集めることが重要なのは、民主制の政体を持たない社会においても何ら変わらない。どれだけ強大な専制君主であっても世論を無視することなど決してできないからだ。世論は常に味方につけておく必要があり、そのためには日ごろからの積み重ねが重要なのである。今回のような軍団レギオーの派遣なんかはプブリウスのような領主にとって絶好の機会と言える。


 最後の船が出港してしまえばイベントは終了だ。イベントの主役たるプブリウスは帆を張って沖へと加速していく船に手を振ると、次は群衆に向かって大きく手を振る。それを受け、サクララウディケーヌスたちが歓声をあげて群衆の歓呼を誘うとプブリウスは満足し、イベントの幕を引くために馬車へと乗り込んでいく。主役は観客よりも後に舞台を去ってはならない。主役が舞台に残っている間は演劇は終わらないのだ。舞台に主役が居るのに観客が先に帰ってしまうのは、出来の悪い三文芝居だけである。プブリウスの乗った馬車はサクララウディケーヌスたちの扇動する万雷の拍手と歓声に包まれながら港を後にした。


 が、馬車はそのまま『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスへ向かうことなく、港の群衆から見えないところまで行くとコースを変える。軍団レギオーが行進するための規格で整備された軍用街道ウィア・ミリタリスから外れた先は、しかし馬車が通るのに何の支障もない程度に整備された広い道路ウィークスだった。サウマンディア属州の州都サウマンディウムは当然、それなりに商人たちも集まっている。プブリウスの乗る馬車が入っていた通りは、貿易も営むような大きな商店がひしめくように並ぶ地区であり、荷車が往来するのに都合の良いように道路も作られていた。

 プブリウスの馬車はそのまま一軒の大きな、だが比較的新しい商館の前で止まる。


「ようこそお出で下さいました。

 当家へ伯爵閣下をお招きできましたこと、光栄の至りであります。」


 プブリウスを迎えた初老のランツクネヒト族は人懐っこい笑みを浮かべながら、だが決していやらしさを感じさせない洗練された仕草でうやうやしくお辞儀をした。その背後にいた使用人たちも目障りにならないよう壁際に立ったまま、おごそかにお辞儀をする。もちろん、彼らも事前に連絡を受けたうえで待ち構えていたのだ。


「いや、すまんなキュッテル。

 息子カエソーの船が帰って来るまで少し時間が出来てしまったのでな。少し休ませてもらう。」


「歓迎いたしますとも。領主貴族パトリキ様の御休憩にお選びいただけたとあれば、当家の自慢になります。」


 鷹揚おうように応じるプブリウスに店の主人はますます機嫌を良くしたように御追従を続ける。


「ハッハッハ、兄上はキルシュネライト伯爵家から嫁を貰い、そのうえ実の妹をアルビオンニア侯爵家に嫁入りさせたのだ。二家の上級貴族パトリキの御用商人となったキュッテル商会に、今更私なぞが来たところで自慢になどなるまいが?」


「そのようなことはありません。キルシュネライト伯の御用商人はあくまでも兄エーベルハルト、そしてアルビオンニア侯の御用商人は弟のグスタフです。私は兄弟の中でただ一人どなたの御用商人でもなく、兄と弟の間で肩身の狭い思いをしておるのです。それに……」


「それに?」


「キルシュネライト伯は領地を持たぬ法貴族、アルビオンニア侯爵家は海の向こうの領主、ここサウマンディア属州の領主は伯爵閣下です。たとえ皇帝陛下インペラトルの御用商人に指名されようとも、ここサウマンディウムで伯爵閣下をお招きできぬのであれば、何一つ自慢にはできません。

 伯爵閣下を当家へお招きし、多少なりともお近づきになれましたなら、やっと商人としての立場ができようというものです。」


「はっはっは。

 そうか、では其方そなたの自慢の種になってやろう。」


 プブリウスが機嫌良さそうに笑うと、男はホッとしたようにプブリウスを奥へいざなった。


「ありがとうございます、ではお茶を御用意いたしますので奥へどうぞ。

 他の皆様もどうぞ奥へ……」


 男の名はオイゲン・キュッテル……エルネスティーネ・フォン・アルビオンニアの実の兄であり、キュッテル商会を営む兄弟たちの次男である。


 キュッテル商会は元々サウマンディア北部を中心に羊毛を買い集め、これを帝都レーマへ運ぶ中堅どころの商人だった。サウマンディアがレーマの新属州となってすぐに進出してきた古株の商家の一つであり、サウマンディアの発展と共に大きく成長を遂げていた。だがそれも彼らの父クリストフ・キュッテルの代で頭打ちになってしまう。

 属州を超えて商いをするには貿易の許認可が必要であり、本来ならばどこかの貴族の御用商人でなければできない。だがキュッテル商会は当時、どの貴族の御用商人にもなっていなかった。御用商人以外の商人が貿易を営もうとすれば、取引一件ごとに許可証を発行してもらう必要があり、そのために一々少なからぬ額のを払わなければならなかった。これが大きな負担になり、商売の規模を拡大しようにも出来なくしていたのである。その状況が変わったのはクリストフが死に、今の当主エーベルハルトの代になってからだった。


 エーベルハルトは父から家督を継ぐと賭けに出た。没落貴族キルシュネライト伯爵家の再興を図ったのである。

 キルシュネライト伯爵家はレーマ帝国で初のランツクネヒト族として元老院議員セナートルとなった法貴族であったが、残念ながら大成したのは初代だけで二代目以降で放蕩の限りを尽くし、今では元老院議員選挙に出ることも難しくなるほど没落してしまっていたのだ。

 エーベルハルトはこのキルシュネライト伯に対し、それまで代々貯めていた商会の資金を援助すると持ち掛けたのである。代わりにキルシュネライト伯の嫁の貰い手が見つからずに困っていた娘を嫁がせ、それを縁としてキルシュネライト伯爵家の御用商人の指名を受ける。キルシュネライト伯は再び元老院議員に返り咲き、キュッテル商会は伯爵家御用商人という地位と特権を得、そこから急速に成長を遂げたのだった。もちろん、キルシュネライト伯爵家の借金を肩代わりしたうえ、伯爵家再興に必要な資金を出し続けてのことであったから、「急速に」とは言っても二十年近い歳月をかけてではあったのだが……それでも、先代クリストフの代から比べれば数倍の規模に成長を遂げている。今やキュッテル商会の営業範囲はサウマンディア属州はもちろん全土を網羅し、南はアルビオンニア属州から北はレーマ本国までと、非常に広い範囲に及んでいた。


 オイゲンはそのエーベルハルトの四つ年下の弟として、兄を支えてキュッテル商会を切り盛りしてきた。兄エーベルハルトが帝都レーマを中心に活動するようになった今、キュッテル商会の母体であるサウマンディア属州の営業をオイゲンが担う形になっている。

 オイゲンはプブリウスに「兄弟に頭が上がらない」と冗談を言っていたが実体は決してそんなことは無く、オイゲンがキュッテル商会の母体を切り盛りしているからこそ、兄のエーベルハルトも帝都で頑張れるのであるし、弟のグスタフもアルビオンニアで働けている。いわばなくてはならない縁の下の力持ちだった。


 十分な広さがあるにもかかわらず、その広さを忘れさせるほど絵画や彫像を所狭しと並べた画廊タブリヌムには、まだ昼間だというのに贅沢に香料入りのロウソクがいくつも灯されていた。屋内の暗さを忘れさせるほどのロウソクは、同時に暖房の役割も果たし、今しがたまで客人をさいなんでいた外の寒風を忘れさせる。

 暖かな部屋で上等な香茶と、最近評判の良い菓子職人に用意させた新作の茶菓子で身も心もくつろいだプブリウスとその家臣は、それまで続けて来た他愛もない茶飲み話から話をようやく本題へと移し始める。


「しかし、今年もだいぶ寒くなってきた。

 私も歳かな、そろそろ朝晩の冷え込みが辛くてかなわんよ。」


「確かに随分と冷えるようになりましたな。

 私の様な年寄りにはなかなかにこたえます。」


「その割には元気そうではないか?

 毛布を一枚二枚多く重ねねば、寒さで夜中に目が覚めてしまってな。

 どうも寝不足になっていかん。

 だが其方はそう言う風には見えんな?

 キュッテル商会の扱う毛布は、暖かいのだろうな?」


「おかげさまでサウマンディアの羊毛は帝都でも評判でございます。

 これも皇帝陛下インペラトル御稜威みいつと伯爵閣下の御威光のおかげと感謝しておりますとも。」


「それほどのものか?」


「もちろんでございます。

 おかげさまで今年も売り上げは上々でした。

 帝都レーマで売られる毛織物の半分は、既に我らがサウマンディアの羊毛で作られておるほどでございます。」


「そうかそうか、それほどのものか。」


 オイゲンがそう言うとプブリウスは満足気に頷き、香茶を一口すすって続けた。


「しかし、その売り上げが他へ流れるのは、どうしたものかのう?」

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