第621話 増援隊の出発

統一歴九十九年五月七日、午前 - サウマンディウム港/サウマンディウム



 南レーマ大陸南端に位置するサウマンディウムも本来なら偏西風が強く吹き抜ける位置にあるが、サウマンディウム西方から北へ伸びるクンルナ山脈によってその勢いは大きく減じられる。湾口にそびえる岬に建造されたサウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウムのところまで行くとさすがに山脈の加護は受けられず、一年三百六十六日の間絶えず強い西風に晒されるのであるが、港湾最奥にある港町は今日も穏やかな風が吹いていた。

 そうは言っても山稜を越えて吹き下ろしてくる風は冷たく乾燥しており、晩秋も深まり間もなく冬に入ろうとしているこの時期ともなれば、今日の様に晴れた日の陽の温もりがなければ、もう冬の装いに身を固めなければとても堪えられないような寒さをもたらしてもいる。


 寒風の冷たさと陽光の暖かさ……相反する二つのバランスは、港へ押し寄せた船出を見送る群衆の熱気によって、一時的にではあるが随分と崩れてしまっている。サウマンディウム港を出発するサウマンディア艦隊の艦船と徴用された商船に便乗したサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの十個百人隊ケントゥリア分もの軍団兵レギオナリウスは、船上から岸壁で歓声を上げて見送ってくれる群衆たちに盛んに手を振っていた。このうちの六割に当たる第三大隊コホルス・テルティアは出港後西へ針路を取ってアルトリウシアへ向かい、残り四割の第一大隊コホルス・プリマの一部がアルビオンニウムへ渡ることになっている。第三大隊は予定通りアルトリウシアでティトゥス街道復興工事にあたることになっているが、第一大隊はアルビオンニウムに出没した『勇者団ブレーブス』を名乗るハーフエルフたちを捜索することになる。

 最初の船の帆柱マストに三角形の帆が張られ、それが弱い風を受けて膨らみ始めると群衆たちの熱気はまさに沸騰せんばかりに盛り上がた。


「それでは伯爵閣下プブリウス、後のことは間違いなく頼みましたぞ。」


 実の弟であるアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウス軍団長レガトゥス・レギオニス座上の一番船の船出を見送るプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵に、横から軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクス・ウァレリウス・カストゥスが念を押す。

 それを聞いてプブリウスは自分を見ているかもしれない群衆の視線を意識して作っていた上機嫌そうな笑顔をわずかに崩し、呆れるように答えた。


「分かっておる。

 むしろそれは私のセリフだぞカストゥスマルクス

 そろそろ乗らんでいいのか?」


「そちらは抜かりありません。

 どうせ私の船は一番最後に出港する予定ですからまだ大丈夫です。」


 マルクスの乗る船はまだ軍団兵レギオナリウスの乗船が終わっていない。仮に出港準備が整っていたとしても、今回出航する船団の中で一番陸側に停泊しているため、他の船が出港していなくなってしまわなければ出航したくても離岸さえ出来ないのだ。

 マルクスはようやく離岸した一番船と、まだもやいすら解いていない二番船、そしてまだ出港準備中の三番船以降の船の様子を一瞥しながら溜息をつくように言うと、そのままボヤくように続けた。


「むしろ、出航を明日に伸ばしたいくらいですよ。

 私もムセイオンの聖騎士と話をしてみたかったですな。」


「そんなものは帰って来てからいくらでもできるであろうよ。」


 予定ではプブリウスの実子で筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスであるカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が今日、彼らと入れ違いで帰って来るはずであった。捕虜にしたヒトの聖騎士と、『勇者団』について事情を知っているらしいヴァナディーズを連れて……マルクスはもちろん、一昨日アルビオンニアで捕まったジョージ・メークミー・サンドウィッチを見てはいたが、その時メークミーは魔力欠乏で失神しており、まともに会話すらできていない。最初の会話の機会として明くる朝の朝食イェンタークルムに期待したが、メークミーには体調不良を理由に断られてしまっていた。


「だが、思っていたほど長い時間はとれんかもしれん。

 だからこそ、お前には侯爵夫人エルネスティーネと話をまとめてもらわねばならん。」


「もちろん承知しております。

 捕虜の扱いの確認と、アルビオンニウムへの更なる増援部隊派遣の同意……たしかに取り付けてまいります。」


 ムセイオンから脱走してきた『勇者団』を名乗るハーフエルフたち……彼らの身柄を抑えてサウマンディアへ迎え入れることができれば、サウマンディアに莫大な利益をもたらすだろう。世界ヴァーチャリア叡智えいちが終結するムセイオンに大きなを作ることができるし、ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムたちとコネクションを作ることができる。そしてうまく行けばサウマンディアの女に彼らの子を産ませ、サウマンディアから新たな聖貴族を誕生させることができるかもしれないのだ。

 本来なら彼らはアルビオンニアで盗賊団を操って軍事施設や街を襲撃した犯罪者であり、アルビオンニア侯爵夫人に逮捕し処断する権限がある。捕まえたとしてもこのままでは全員の身柄をエルネスティーネに引き渡さねばならない。

 しかし彼らには同時にメルクリウス騒動の容疑がかかっているのだ。実際に彼らがメルクリウス団なわけはないし、本当にメルクリウス騒動の背後に彼らがいたのかどうかはわからないが、しかしセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスが……アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムがその口で言ったのだ。彼らの目的は降臨の再現だと‥‥‥であるならば、彼らをメルクリウス騒動の容疑者とすることが可能になる。本来の領主であるエルネスティーネから、彼らに対する逮捕権・捜査権を取り上げることが可能になるのだ。

 マルクスの今回の任務は残りの『勇者団』を捕まえるための増援部隊派遣を認めさせること、そして捕まえた『勇者団』全員をサウマンディア側に引き渡すことを認めさせることである。


 ただ、残念な事が一つある。ムセイオンからハーフエルフたちが脱走したという手配書が帝都レーマから届いたのだ。それは昨夜遅くに到着した早馬タベラーリウスによってもたらされ、今朝プブリウスに届けられた。

 本来なら「取り調べ」をじっくりと時間をかけて行い、ハーフエルフたちとじっくり懇意になり、その間にサウマンディアの女をあてがって子供を作ってもらうつもりでいた。ムセイオンへの報告は「取り調べ」が終わってからすればよい……そう考えていた。しかし、手配書が来てしまっている以上そうはいかない。見つけたという報告だけでも、すぐにでもしなければならなくなってしまった。当然、彼らをムセイオンへ返す時期も早まらざるを得ないだろう。だからこそ、早く『勇者団』の身柄を早く抑えなければならない。それもあってプブリウスはマルクスの交渉に期待をかけている。

 だが、期待するからこそ不安もある。プブリウスは群衆向けに作っていた笑顔をわずかに曇らせてマルクスが乗る船の方を見て行った。


「それだけではない。

 例の女、大丈夫なのだろうな?」


「ご心配召さるな、断られはせんでしょう。」


「断られなくとも、気に入られなければ意味はないのだぞ!?

 身元もアレだし。あの貧相な容姿で務まるとは思えんが‥‥‥」


 不満そうなプブリウスの視線の先には、プブリウスの言った通り、レーマ貴族の基準に照らし合わせる限り貧相な容姿の痩せた女の姿があった。マルクスは自分の献策によってアルトリウシアへ送り込まれることになった女の方をチラリと見、プブリウスの不安を払拭するように笑って見せる。


「アレはまだ本命ではありませぬ。

 ただの、今送り込めるのはあの女しかおらんではありませんか。」


「それはそうだが……」


「それに、これからもっと女を用意せねばならんのでしょう、閣下?

 そちらの方も、しっかりと探していただきませんと。」


「あ、ああ任せて置け。」


 これから彼らはサウマンディア中から妙齢の美女を探し集めねばならなかった。もちろん、高貴な血を宿す子を産ませるために。そのためにあてがう相手は第一にリュウイチであったが、リュウイチばかりではない。これからさらに女をあてがうべき相手は増える予定なのだ。

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