第620話 焦るイェルナク

統一歴九十九年五月七日、午前 - サウマンディウム市街地/サウマンディウム



 ハン支援軍アウクシリア・ハンから叛乱軍の汚名を払拭し、ハン族を滅亡の運命から救うためにプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵を説得すべく、朝食を済ませたイェルナクはゴブリン兵たちが借りて来た座與セッラに乗って迎賓館ホスピティウムを出ると 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスへ向かった。だが、イェルナクの行く手にはいつにない人だかりが立ち塞がる。


「何だこれは!?

 おい、どうなってる!?」


 ゴブリン兵が担ぐ座與セッラの上からイェルナクは苛立いらだちをあらわにゴブリン兵に問いただす。

 レーマ帝国の街中の道路事情は実はあまりよくない。軍が移動するために計画された軍用街道ウィア・ミリタリスは良く整備されているのだが、それ以外の道路は狭く、舗装もされていない道路の方が多いくらいだ。ゆえに、貴族ノビリタスや特別な許可を得た者以外は馬車の乗り入れが制限されている街が多かったりする。サウマンディウムもその一つであり、軍団が通行するための街道と荷馬車が行きかう港湾地区以外の道路となると、馬車が乗り入れることのできないような狭い場所が大半なのだ。ゆえに、人が移動するための乗り物というとイェルナクが乗っているような座與セッラ臥與レクティカといった輿こしや一種の人力車みたいなものに限られてしまう。そして、そうした乗り物でさえ、狭いところに無理矢理入って行けば周辺住民の反感を買ってしまう。

 かといってある程度身分のある者や商人ならば乗り物に乗らないわけにはいかない。自らの権勢を示すのは上級貴族パトリキだけの文化ではないのだ。権勢をアピールしてはくをつけることは、商売をするうえでも非常に重要なのである。個人事業者や中小企業の経営者が多少無理しても高級車を乗り回すのと同じである。周囲の人間に舐められない事はぎょうを成す者にとって決しておろそかにはできない事なのだ。

 ゆえに、貴族ノビリタスなどは名告げ人ノーメンクラートルを走らせ、今から誰がここを通るぞと事前に告げ、これから乗り物を乗り入れる先の住民たちが事前に避けておくことができるように、そして他の有力者と不用意にぶつからずに済むように配慮するのである。


 イェルナクももちろんこのレーマのならいに従い、名告げ人を走らせていた。名告げ人を走らせておけば大抵は他の歩行者などは事前に道を開けてくれているのですんなり通り抜けることができる。ところが今日は違った。名乗り人が前を走り、これからイェルナクが通ることを告げているにもかかわらず道が塞がったままなのだ。イェルナクが苛立つのも当然と言えよう。


「ほ、報告します!」


 名乗り人としてイェルナクたちの前を進んでいた筈のゴブリン兵が帰って来て、息を切らせ半ばヘトヘトといった様子でひざまずき、拱手きょうしゅして頭を下げる。


「何だ、何がどうしたというのだ!?」


「ハッ、イェルナク様!

 街の住民どもに聞きましたところ、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの行軍のようです。」


 座與の上から苛立ちをぶつけて来るイェルナクに対しゴブリン兵は頭も上げず、跪き拱手したまま報告した。


「サウマンディア軍団だと!?」


「ハッ、アルトリウシアの復興支援へ向かう歩兵隊コホルスが港へ行進しているそうです。

 これを見送るための見物人とサクララウディケーヌスどもで、道がいっぱいで通れません。」


「何!?」


 しまった!今日だったか!?


 イェルナクは思わず座與セッラの上で腰を浮かし愕然がくぜんとする。

 イェルナクがアルトリウシアからサウマンディウムへ来る際の船に便乗させてくれたのはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアのテルティウス・ウルピウス・ウェントゥスだった。軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムである彼がサウマンディウムへ何しに行くのか?……もちろんイェルナクは知っている。本人に直接訊いたからだ。


 サウマンディア伯爵がアルトリウシア復興のために更に一個大隊コホルスを派遣してくれることになったので、詳細の打ち合わせと迎えに行く……


 イェルナクが知る限り既にアルトリウシアにはサウマンディア軍団が一個大隊コホルスを派遣している。そしてアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアも三個大隊コホルス以上の兵力を派遣している。さらにアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア西山地ヴェストリヒバーグで行っていた水道工事を冬に備えていったん中止し、アルトリウシアへ全軍が集結している。しかも、一昨日はアルビオンニウムへ一個大隊コホルスが派遣されている。その大隊はティトゥス街道再開通工事のためと言っていたが、アルビオンニウムからアルトリウシアまではほんの数日の距離だ。そこへ更に一個大隊が船でアルトリウシアへ派遣される……


 アルトリウシアの兵力は九~十個大隊……もはや完全充足状態の一個軍団レギオーに相当する兵力が集結することになる。対するハン支援軍は一個大隊分の兵力も残ってはいない。

 一般に野戦において、敵に確実に勝利するためには敵の三倍の兵力を用意する必要があるとされる。そして、城塞などを攻める場合は十倍の兵力が必要とされる。いくらエッケ島の要塞化が完成していたとしても守兵はゴブリンだ。ホブゴブリンやヒトの軍に十倍もの兵力で攻め寄せられてはひとたまりもない。だいたい要塞化工事だって完成どころか目途すら立っていないのだ。

 なのにハン支援軍の十倍以上の兵力がアルトリウシアに集結する……それはいよいよレーマ軍がエッケ島のハン支援軍を討伐する準備を整えたことを意味していた。


「いかん、急がねば!!」


 顔を青くして呻いたイェルナクにゴブリン兵が尋ねる。


「ハッ……その、銃で追い散らしますか?」


「バカ者!!」


 イェルナクはかしずいたままのゴブリン兵を怒鳴りつけた。その剣幕にゴブリン兵全員がビクッと身体を震わせる。イェルナクは座與セッラにどっかと腰を下ろすとゴブリン兵たちを叱咤した。


「ここで問題を起こしたらどうなるかわからんのか!!

 伯爵の機嫌を損ねるようなことは絶対に避けねばならぬ。

 ええい、探せ!他の道を探して進め!

 とにかく、『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスへ急ぐのだ!!」


「はひっ!!」


 イェルナクの命を受けたゴブリン兵は弾かれたように飛び上がると、慌てふためいて街路へ消えて行った。しかし、サウマンディア軍団は軍団兵レギオナリウスの士気高揚と領民への宣伝もあって町中を練り歩くようにコースを設定してパレードを敢行しており、パレードを盛り上げるためのサクララウディケーヌスも沿道を固めていたため、イェルナクの一行は広いサウマンディウムの街をかなり遠回りしなければならなかった。結果、イェルナクが『青山邸』にたどり着くころには陽も高く昇っていたのだった。

 しかし、せっかくたどり着いた『青山邸』でイェルナクは門前払いを受けてしまう。


「何故です!!

 私はハン支援軍幕僚トリブヌス・アウクシリアウクシリ・ハンイェルナク!ハン支援軍アウクシリア・ハンの正式な軍使レガトゥス・ミリトゥムですぞ!?

 伯爵に御取次ください!!」


 閉ざされた門扉もんぴの前でイェルナクは叫ぶが、門扉の向こう側にいる伯爵家の家令はわずかに眉をひそめ、困った様子を見せはしたものの、全体としてはまるで何も気にしていないかのようである。


「そうは申されまして、主はイェルナク様とはお会いになれませんし、ここをお通しすることはできません。」


「そんな!明日改めて参るよう言ったのはアナタの方ではありませんか!?」


 あまりにも理不尽な扱いにイェルナクは今にも地団駄を踏まんばかりに憤慨し、門扉の向こうにいる家令に詰問する。しかし家令は相変わらず訳が分からぬといったふうに首を傾げた。


「はい、確かに申しましたが?」


「だから、私は来たのです!

 伯爵にお会いするために!!

 なのに、何故取り次いで下さらないのです!?」


「ええ、ですから、明日改めてお越しください。

 前回、私がそう申し上げた時、既に日は暮れていたではありませんか?」


「ぐっ?!」


 家令が失笑をこらえるようにわずかに頬を引きつらせながら言うと、イェルナクは動きを止め、目を剥き顔を赤くして息を詰まらせた。

 レーマでは一般に日没で日付が変わる。たしかに昨日、イェルナクが『青山邸』の門前で「明日」と言われた時、既に日は没していた。つまり、まだあの時の「明日」にはなっていなかったのだ。昨日、「本日は伯爵はイェルナク様とはお会いになりません。」と言った時の「本日」は、まだ続いていたのである。


 なんという不誠実な応対!!夜が明けたなら「明日」ではないか?!


 イェルナクは完全にコケにされていることに気付いた。これが他のハン族ならば間違いなく剣を抜いていたことだろう。が、ここで激昂しては元も子もなくなってしまう。イェルナクは目を閉じ歯を食いしばって怒りに煮えくり返るはらわたを抑え込む。その形相に門扉の反対側にいた家令もさすがに気後れしたように眉を寄せ、ゴクリと唾を飲んだ。俯いたイェルナクの額から噴き出た汗が鼻に集まり、雫となってポタリと地面に落ちた。


「ぐはぁぁ~~~~~っ」


 イェルナクは叫びとも溜息ともつかぬ低い声を地面に向かって吐きながらゆっくりと身体を起こし、門扉の向こうにたたずんでいる家令を見た。その時、イェルナクの顔はまだ赤いままだったが、表情だけは平静を取り戻し、いつものイヤらしい卑屈な笑みが張り付いていた。


「これは失礼いたしました。私の早合点はやがてんでとんだお騒がせをしてしまい、申し訳ございません。

 では、本日は大人しく引き下がり、明日出直してくることといたします。その時は是非、確かに伯爵閣下に御目通り叶いますよう、御取り計らいをお願い申し上げます。」


 イェルナクはそう言うと「これは些少さしょうですが」と言い添えながら、門扉越しに家令に銀貨を差し出した。イェルナクのその様子にさしもの家令も顔色を無くし、おぞまし気な表情を見せながら銀貨を受け取る。


「わ、わかりました。必ずや、その通りに……」


「頼みましたよ?」


 イェルナクは地獄の底から聞こえてくるような低い声でそう言い残すと、ゴブリン兵たちを叱咤しながら再び座與セッラに乗って『青山邸』を後にした。

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