第1410話 会議の後

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 おめでとうございます。

 おめでとうございますリュウイチア様。

 ありがとう、ありがとう。そういえばアンタ、えっと……カトゥスカッシウス・クラッススさんだっけ? 何か言いかけてなかったかぃ?

 おお、御記憶いただき光栄です。

 さっき何か言いかけてたよね、何だったんだい?

 いえ、ルキウス子爵閣下の誤解を解きたいと思っていただけです。

 誤解があったってぇんなら聞こうじゃないさ、アタイは育ちが悪くて学も無いんだ。教えてくれるってぇもんなら断るつもりなんかないよ。

 何、先ほどのルキウス子爵閣下の発言、別にリュウイチ様やリュウイチア様を軽んじてのものではありません。

 そ、そうなのかい?

 ええ、もちろんです。何か問題があれば誰かが責めを負うもの……しかし、それがリュウイチ様やリュウイチア様であったとなれば恐れ多くてたとえ上級貴族パトリキでも何も言えなくなるでしょう。

 そう、そうなのかもしれないねぇ。

 そうなると人は責めやすいところへ責任を持って行こうとするものです。

 それがルキウス子爵様だってぇのかい?

 そうです。残念ながらアルトリウシア子爵家の地位はレーマ帝国において盤石とは言い難く、帝都レーマの元老院議員セナートルの中には隙あらば子爵家を排さんとする者が少なくありません。彼らはこぞってルキウス子爵閣下を責め立てることでしょう。ですがグルグリウス様ならば、リュウイチ様の眷属のそのまた眷属、責めたところでリュウイチ様に累が及ぶとは考えにくい。

 だからルキウス子爵様が責められなくて済むってぇことなのかぃ?

 ご賢察のとおりにございます。

 ゴメンよルキウス子爵様、アタイ頭が悪いもんだからそんなことも分かんなくって!

 いえいえリュウイチア様は上級貴族パトリキとなられたばかり、貴族ノビリタスの習いに疎くともいたしかたありません。これからも我々がしっかりと支えさせていただきます。

 ありがとう。何だか申し訳ないねぇ。アタイに出来ることなら何でもやらせてもらうからね。

 お気持ちありがたく頂戴いたします。


 ……というような会話を経て、一度は荒れかけた場はようやく収まった。その後リュウイチの念話を通じて《地の精霊アース・エレメンタル》を中継しグルグリウスと何とか連絡をつける。

 《地の精霊》を介してグルグリウスから得た報告によれば『勇者団』ブレーブスのリーダー、ティフ・ブルーボール二世は一度グナエウス街道上で仲間たちと合流、五人になった後で街道から南へ外れて森の中へ入ったそうだ。五人の内訳はハーフエルフが三人とヒトが二人で、五人とも馬に乗っている。が、気になるのは五人は一頭のダイアウルフを連れていたらしい。

 五人は山の中で野営の準備をしており、グルグリウスは今からでも捕まえましょうかと尋ねて来たが、アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシイアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は様子をみる決定を下した。何故ならグルグリウスによればティフは『勇者団』と合流したのちに、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子からのレーマ軍への投降の呼びかけをメンバー全員に伝える約束をしているそうで、アルビオンニア中に散ってしまったメンバー全員と接触して約束を果たすのはこれからになるであろうからだ。

 これから自主的に投降してくるかもしれないからとあえて猶予を与えたにもかかわらず、与えた猶予分も待たずに力づくで抑え込めば間違いなく相手の心証を悪くしてしまうだろう。『勇者団』は間違いなく犯罪者だが、しかしこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な聖貴族コンセクラートゥムであることには違いないのだ。その不興を買って得することなんて一つもありはしない。ましてカエソーが何らかの策を持ってあえて泳がせているとしたら、ここでアルトリウシア側が勝手に動いては邪魔することになってしまう恐れもあった。


 最終的にはグルグリウスにはそのまま『勇者団』を監視し続けてもらい、何かあれば即座に連絡し、『勇者団』がアルトリウシアへ向かいそうならば阻止する。その際にはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアとも協力するなどの指示を与えてその場は幕引きとなる。


カトゥスカッシウス・クラッスス!」


 リュウイチとリュキスカの退出を見送り、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵も部屋から退出、軍人たちも三々五々それぞれの職務へ戻ろうと部屋から出ていく最中、カトゥスは廊下で名前を呼ばれた。見れば車椅子に座った彼らの領主ルキウスがカトゥスへ手招きをし、控室へ入っていくところだった。カトゥスは脇に控えていた副官のセウェルス・アヴァロニウス・ウィビウスと互いに見合うと、「部屋の前で待っていてくれ」と隻脚の副官に命じ、自らはルキウスの後を追って入室した。


「お呼びでしょうか、子爵閣下?」


「うむ、忙しいところをすまんな」


子爵閣下ウィケコメスのおしとあらば」


「なに、先ほどの礼を言いたかっただけだ」


 ルキウスはそう言うと車椅子を押していた従兵にジェスチャーで飲み物を用意するよう指示する。


「先ほどの礼ですか……」


 あえてカトゥスの方ではなく従兵が香茶を用意する様子を見守るルキウスに、カトゥスはカトゥスでルキウスが何について言っているのか分かっていながら気づかぬふりをした。ルキウスはどうも、普段から下級貴族ノビレスたちを毛嫌いしているせいか、下級貴族に対して素直に礼を言えないところがある。自分が見下している相手の世話になり、挙句礼を言わねばならない自分が小恥ずかしいのだが、本人には残念ながらそうした自覚がない。こういう人物が軽く流そうとするのをそのまま許すと誰のためにもならない。不十分な礼でもルキウスは言ったつもりになるだろうし、カトゥスとしてもせっかく売った恩義も軽んじられて無駄になって終わるからだ。だが、だからといって露骨にはっきりさせようとし過ぎるとルキウスの反感を買うことになる。だからあえて愚鈍なフリをする。

 カトゥスのそうした意図に気づいたかどうかは分からないが、ルキウスは少し気まずげに咳ばらいをした。


「リュキスカ様の氏族名ノーメンのことだ」


 ルキウスが少し声を堅くして言うと、カトゥスはようやく「あぁ」と初めて気づいたふりをする。


「どうも、うっかりリュキスカ様の機嫌を損ねてしまったようだが、貴様のおかげで大事にならずに済んだ。

 いや、助かったよ。礼を言う」


「なに、大したことはしておりません」


 カトゥスが謙遜するとルキウスは初めてカトゥスに向き直った。


「いや、助かった。

 おかげでルクレティア様がリュウイチアと名乗ることも、こうしてお認めくだされたのだからな」


「ルクレティア様の方は既にそのおつもりだったようですが?」


 クスリと小さく笑いながらカトゥスが言うと、ルキウスの方は少し困ったように笑う。


「確かに、あの子の手紙にはリュウイチアの名に恥じぬようになどという文言が既に書かれておる。

 今更ダメとは誰も言えまいが、しかしリュウイチ様本人から裏付けを得られたことは大きい。

 ルクレティウスも喜んでくれることだろう」


「ルクレティア様のことも、今後はリュウイチア様とお呼びすべきでしょうか?」


 レーマ帝国の貴族たちは一般には互いの氏族名と家族名とを呼びあう。たとえばルキウスを他の貴族が呼ぶときは「ルキウス」ではなく「アヴァロニウス・アルトリウシウス」と呼ぶ。貴族は個人であっても一家の代表者として振る舞うべきとされていることが背景にあるからだ。だが女性の場合はその限りではない。男尊女卑だんそんじょひの傾向の強いレーマ帝国貴族は古い伝統を重んじ、自分の娘たちに独自の個人名プラエノーメンを与えない者も少なくないのだ。ルクレティアもそうした一人であり、彼女の「ルクレティア」という名は父親の個人名「ルクレティウス」を女性形にしたものにすぎない。貴族の娘は父親の名をそのまま女性形にしただけの名前を与えられるに過ぎないのだ。そうすると姉妹が生まれた場合一家の中に同姓同名の女性が増えることになるが、二人姉妹なら姉の方の名に「マイヨル」、妹の方に「ミノール」と付けて呼び分けたり、三人以上の姉妹なら上から順に名前に「一番目プリマ」「二番目セクンダ」「三番目テルティア」と付け加えて呼びわけるだけだったりする。そして家の中では「マイヨル」「ミノール」「一番目プリマ」「二番目セクンダ」などとだけ呼ばれ、家の外では氏族名と家族名を女性形にしただけの名で呼ばれ、少なくとも公式の場では個人名を呼ばれることなどほとんど無い。これには女性に政略結婚と為の道具としての役割以外全く期待されていないことが背景にある。

 そうした立場に反発を抱かない女性は少ない。特に反抗期真っただ中の十代ともなると顕著で、自らの個性を認めてもらいたいがゆえに氏族名や家族名で呼ばれるのを嫌うようになる子は珍しくなかった。ルクレティアもその一人であり、少しでも近しくなった相手には自分のことをスパルタカシアではなくルクレティアと呼ぶことを常に求めている。だからルキウスたちもルクレティアのことは、公式の場ではスパルタカシアと呼ぶが非公式の場ではルクレティアと呼ぶようにしていた。


「それは本人の要望次第であろうよ。

 公式の場ではスパルタカシア・リュウイチアと呼ぶことになるのだろうがね」

 

 ルキウスはそう答えながら従兵が淹れてくれた香茶の茶碗ポクルムを手に取り、口元へ運んで香りを楽しむ。


「しかし、御婦人の気まぐれには困ったものだよ。

 リュキスカ様がああも気分を害されるとはな……どこに逆鱗があるか分かったものではない」


 普段なら貴族同士の話にはまったく入ってこようとしないリュキスカの先ほどの言動はルキウスたちの全く予想のできないものだった。ただの貧民街の娼婦という今までなら取るに足らない存在も、今や立派に魔力を持った聖女サクラ……これからはリュキスカのことも配慮しなければならない。


「なに、あんなものはただのヒステリーですよ。

 聞けばが来ている真っ最中だそうではないですか。

 それほど気にすることも無いでしょう。

 向こうだって、きっと忘れてほしいと思っていますよ」


「だと、いいのだがな」


 カトゥスの小馬鹿にするような言い草に、ルキウスはわずかに眉をひそめつつ嘆息する。


「私としては、新たな貴婦人パトリキアの呼び名が定まったことに安堵しました」


「うん?」


「いやしくも聖女様サクラたる御方を、“雌狼犬”様ドミナ・リュキスカなどとふざけた名前で呼びたくはありませんでしたからな」


 ルキウスはカトゥスに救われた。さすがに年長者はそれだけ成熟しているのだろうと感心したばかりだったが、どうやらカトゥスもリュキスカのことは腹に据えかねていたらしい。

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