第1410話 会議の後
統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐
おめでとうございます。
おめでとうございますリュウイチア様。
ありがとう、ありがとう。そういえばアンタ、えっと……
おお、御記憶いただき光栄です。
さっき何か言いかけてたよね、何だったんだい?
いえ、
誤解があったってぇんなら聞こうじゃないさ、アタイは育ちが悪くて学も無いんだ。教えてくれるってぇもんなら断るつもりなんかないよ。
何、先ほどの
そ、そうなのかい?
ええ、もちろんです。何か問題があれば誰かが責めを負うもの……しかし、それがリュウイチ様やリュウイチア様であったとなれば恐れ多くてたとえ
そう、そうなのかもしれないねぇ。
そうなると人は責めやすいところへ責任を持って行こうとするものです。
それが
そうです。残念ながらアルトリウシア子爵家の地位はレーマ帝国において盤石とは言い難く、帝都レーマの
だから
ご賢察のとおりにございます。
ゴメンよ
いえいえリュウイチア様は
ありがとう。何だか申し訳ないねぇ。アタイに出来ることなら何でもやらせてもらうからね。
お気持ちありがたく頂戴いたします。
……というような会話を経て、一度は荒れかけた場はようやく収まった。その後リュウイチの念話を通じて《
《地の精霊》を介してグルグリウスから得た報告によれば
五人は山の中で野営の準備をしており、グルグリウスは今からでも捕まえましょうかと尋ねて来たが、
これから自主的に投降してくるかもしれないからとあえて猶予を与えたにもかかわらず、与えた猶予分も待たずに力づくで抑え込めば間違いなく相手の心証を悪くしてしまうだろう。『勇者団』は間違いなく犯罪者だが、しかし
最終的にはグルグリウスにはそのまま『勇者団』を監視し続けてもらい、何かあれば即座に連絡し、『勇者団』がアルトリウシアへ向かいそうならば阻止する。その際には
「
リュウイチとリュキスカの退出を見送り、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵も部屋から退出、軍人たちも三々五々それぞれの職務へ戻ろうと部屋から出ていく最中、カトゥスは廊下で名前を呼ばれた。見れば車椅子に座った彼らの領主ルキウスがカトゥスへ手招きをし、控室へ入っていくところだった。カトゥスは脇に控えていた副官のセウェルス・アヴァロニウス・ウィビウスと互いに見合うと、「部屋の前で待っていてくれ」と隻脚の副官に命じ、自らはルキウスの後を追って入室した。
「お呼びでしょうか、子爵閣下?」
「うむ、忙しいところをすまんな」
「
「なに、先ほどの礼を言いたかっただけだ」
ルキウスはそう言うと車椅子を押していた従兵にジェスチャーで飲み物を用意するよう指示する。
「先ほどの礼ですか……」
あえてカトゥスの方ではなく従兵が香茶を用意する様子を見守るルキウスに、カトゥスはカトゥスでルキウスが何について言っているのか分かっていながら気づかぬふりをした。ルキウスはどうも、普段から
カトゥスのそうした意図に気づいたかどうかは分からないが、ルキウスは少し気まずげに咳ばらいをした。
「リュキスカ様の
ルキウスが少し声を堅くして言うと、カトゥスはようやく「あぁ」と初めて気づいたふりをする。
「どうも、うっかりリュキスカ様の機嫌を損ねてしまったようだが、貴様のおかげで大事にならずに済んだ。
いや、助かったよ。礼を言う」
「なに、大したことはしておりません」
カトゥスが謙遜するとルキウスは初めてカトゥスに向き直った。
「いや、助かった。
おかげでルクレティア様がリュウイチアと名乗ることも、こうしてお認めくだされたのだからな」
「ルクレティア様の方は既にそのおつもりだったようですが?」
クスリと小さく笑いながらカトゥスが言うと、ルキウスの方は少し困ったように笑う。
「確かに、あの子の手紙にはリュウイチアの名に恥じぬようになどという文言が既に書かれておる。
今更ダメとは誰も言えまいが、しかしリュウイチ様本人から裏付けを得られたことは大きい。
ルクレティウスも喜んでくれることだろう」
「ルクレティア様のことも、今後はリュウイチア様とお呼びすべきでしょうか?」
レーマ帝国の貴族たちは一般には互いの氏族名と家族名とを呼びあう。たとえばルキウスを他の貴族が呼ぶときは「ルキウス」ではなく「アヴァロニウス・アルトリウシウス」と呼ぶ。貴族は個人であっても一家の代表者として振る舞うべきとされていることが背景にあるからだ。だが女性の場合はその限りではない。
そうした立場に反発を抱かない女性は少ない。特に反抗期真っただ中の十代ともなると顕著で、自らの個性を認めてもらいたいがゆえに氏族名や家族名で呼ばれるのを嫌うようになる子は珍しくなかった。ルクレティアもその一人であり、少しでも近しくなった相手には自分のことをスパルタカシアではなくルクレティアと呼ぶことを常に求めている。だからルキウスたちもルクレティアのことは、公式の場ではスパルタカシアと呼ぶが非公式の場ではルクレティアと呼ぶようにしていた。
「それは本人の要望次第であろうよ。
公式の場ではスパルタカシア・リュウイチアと呼ぶことになるのだろうがね」
ルキウスはそう答えながら従兵が淹れてくれた香茶の
「しかし、御婦人の気まぐれには困ったものだよ。
リュキスカ様がああも気分を害されるとはな……どこに逆鱗があるか分かったものではない」
普段なら貴族同士の話にはまったく入ってこようとしないリュキスカの先ほどの言動はルキウスたちの全く予想のできないものだった。ただの貧民街の娼婦という今までなら取るに足らない存在も、今や立派に魔力を持った
「なに、あんなものはただのヒステリーですよ。
聞けば月のモノが来ている真っ最中だそうではないですか。
それほど気にすることも無いでしょう。
向こうだって、きっと忘れてほしいと思っていますよ」
「だと、いいのだがな」
カトゥスの小馬鹿にするような言い草に、ルキウスはわずかに眉を
「私としては、新たな
「うん?」
「いやしくも
ルキウスはカトゥスに救われた。さすがに年長者はそれだけ成熟しているのだろうと感心したばかりだったが、どうやらカトゥスもリュキスカのことは腹に据えかねていたらしい。
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