第210話 ガレアトゥス出撃準備

統一歴九十九年四月十八日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 クィントゥスから奴隷をリュキスカの御供につける許可をもらったリュウイチが応接室タブリヌムから庭園ペリスティリウムを囲う回廊へ戻った時、気の早い奴隷たちが武装を整えて既に待ち構えていた。よほど急いでいたのか、全員が息を切らしている。


旦那様ドミヌス!準備出来ました!!」


 いつもの服装の上にミスリルのチェーンメイルとケトルヘルメット、手甲、足甲を付け、腰に巻いたベルトにミスリルのナイフを差している。ネロは右肩からたすきがけにスチールのロングソードを下げ、その他は左肩から同じく襷がけでミスリルのショートソードを下げていた。左手にはミスリルのラウンドシールドを所持している。履物も普段のサンダルから外履き用の『冒険者のブーツ』だ。

 そして一番上からリュウイチが使ってるのと同じ緑色の『冒険者のマント』。これは最初に支給される時にリュウイチから『何色が良い?』と訊かれ、最初は全員で赤を希望していたのだが、赤いマントだと軍団兵レギオナリウスと間違うかもしれないからということで却下され、それではとリュウイチのと同じ緑色が選ばれたのだった。


『お、早いな!?』


「お前ぇら、全員が行けるわけじゃないぞ!?」


 さすがにリウィウスが呆れて言った。

 実際、リウィウス以外の七人全員が武装を整えているというのはいくら何でもと思わなくもない。

 実は彼らも軟禁生活に嫌気がさしていて外に出たいのだ。オトとネロは昨日外出できていたが、それ以外の者たちはリュウイチ同様マニウス要塞カストルム・マニに戻って以来全く外出できていないのだから無理もない。一番遠くに出たのが、あの空掘の中での射撃評価試験だけなのだ。


「な、何人行けるんでしょうか?」


『四人だ。』


 それを聞いて三人が「ああーっ」と声をあげて崩れ落ちたり天を仰ぎ見たりする。おそらく七人の勇戦順番を決めていてあって、その三人は五番目以降の優先順位だったのだろう。


『その様子だと、ネロ、ゴルディアヌス、オト、カルスの四人か?』


「はい、その通りです旦那様ドミヌス


『一応、人選の理由を聞いて良いか?』


「ハッ、オトは八人の中で唯一、赤ん坊の世話が出来ますから欠かせません。

 自分ネロは武勇で八人の中で一番なので、護衛に適任です。

 カルスは一番足が速いので、何かあった時に伝令に最適です。

 残りは武勇の順番で決めました。

 ゴルディアヌスは自分ネロの次に強く、力も一番です。

 いざという時は奥方様リュキスカを抱えて逃げます。」


 ネロがシャキシャキと答える。


『じゃあ、一応全員が納得してるんだね?』


 選ばれた四人はハッキリと、選ばれなかった三人も渋々ながら肯定する。


『わかった、でもその武装は大袈裟じゃないか?

 クィントゥスさんが護衛を付けるんだから、仮に何者かの襲撃があるとしても君らが戦う事はほぼ無いよ?』


「で、でも、必要になるかもしれやせんし」

奥方様ドミナの盾になるにゃあ、それなりに防具は身に付けねぇと」


 奴隷たちは口々に意見を言い始めた。

 実を言うとこのピカピカの装備を見せびらかして自慢したいのだ。現に普段から必要もないのに鎧下ジャックを着ているし、最初の頃はチェーンメイルも普段から着たまま陣営本部プラエトーリウムの外へ出歩きたがっていたくらいなのだ。

 さすがにクィントゥスに見咎められて渋々着て歩くのをやめたが、それでも何か理由があると着ようとするのは今も変わらない。


『そうだろうけど、いざとなったら抱えて逃げるんでしょ?

 そん時、盾や武器は邪魔になりませんか?・・・特に盾』


 奴隷たちは黙り込んで自分たちの装備を見はじめる。よほど未練があるのだろう。まあ、気持ちは分からなくはない。


『落としたり捨てたりできないんだからね?』


 リュウイチのその一言で全員がションボリした表情になった。


「さぁさぁ、せめて盾は諦めろ。

 だいたい、この雨ん中せっかくの装備を濡らす事もあんめぇよ?」


 リウィウスが手を叩きながらそう言うと、渋々ながらも全員が納得したようだった。


『盾を持って行けない代わりに怪我をした時に備えてヒールポーションを預けておこう。

 どうやら一本でこの世界ヴァーチャリアのポーションの何十倍だかの効果があるそうだから、即死でもしない限り死人は出ないでしょ。

 それと、キュアポーションも持たせておくか・・・』


 リュウイチはヒールポーションを取り出し、配り始めた。


「え、あ、はい。」


 まだ盾の未練を断ち切れず心の切り替えもできていなかったが、主人から何か差し出されれば受け取るために手は出してしまう。

 気づけば彼らの手には青い液体の入ったガラス瓶が五本、黄色い液体の入ったガラス瓶が三本、赤い液体の入ったガラス瓶が二本ずつが乗せられていた。


「ド、ド、旦那様ドミヌス、こ、こ、これは!?」


『ポーションだ。青いのがヒールポーションで怪我を治す薬。

 黄色いのがキュアポーションで毒なんかを取り除く薬。

 赤いのがマナポーションで魔力を回復する薬・・・マナポーションは必要ないと思うけど、昨日の赤ん坊みたいに魔力が無いせいでっていうパターンもあるみたいだから一応預けておきます。』


 リュウイチのポーションはいずれもそれだけでとんでもない価値が代物だ。長年研究を重ねながら未だにこの世界ヴァーチャリアで再現できない秘薬であり、過去に存在したゲイマーガメルの遺物はほとんどが既に散逸してしまって残っていない。

 この世界ヴァーチャリアで複製した劣化版のローポーションではリュウイチの出したポーションとは比較にならない程効果が弱い。しかも、もしも同じだけの効果を発揮できるほど大量に飲めば間違いなく急性麻薬中毒になってしまうであろう副作用付きだ。

 水で数十倍に薄めてもこの世界ヴァーチャリアのポーションよりずっと効果があり、なおかついくら飲んでも麻薬中毒にならないポーションはどれだけの価値を持つかわからない。実際の所、貴族パトリキならこの世界ヴァーチャリア産の劣化版ローポーションの百倍の値段でも喜んで買うかもしれない。

 しかし、もっとも価値があるのは中身のポーションでは無く、この容器だ。


 ガラス瓶・・・いったいこれにどれほどの価値があるだろうか?


 この世界ヴァーチャリアではまともなガラス製品は作れない。研究はされているが、無色透明なガラスの製造に成功した例は一つもない。この世界ヴァーチャリアではガラスは宝石に分類されているのだ。これほど透明度が高く、これほど大きいガラスの塊・・・それだけで城くらい建てられるかもしれない。それが奴隷たちの手の中に十本も乗せられているのである。


「い、いけやせんや旦那様ドミヌス

 こんな貴重な物をアッシら奴隷なんかに・・・」


 最年長者の役割なのだろう。あまりの出来事に固まったまま動けない奴隷たちに替わってリウィウスがリュウイチを諫めるが、その声はわずかに震えていた。


『ああ、そういや容器が貴重なんだっけ?

 もし使ったら容器はなるべく回収して返してください。』


「いや、そうじゃなく。いや、それもでやすが、容器の中身も大変貴重なもんでやすから、アッシらみたいなモンに・・・」


『命の方が大事でしょ?

 必要な時は迷わず使ってください。

 でも、これを持ってる事はなるべく内緒でバレないように・・・』


 リュウイチがそう言うとネロが何か舞い上がってしまったかのように叫んだ。


「お預かりします!!」


「ネ、ネロ・・・」


奥方様ドミナをお守りするためだ。

 こんな貴重な物を預けてくださるってことは旦那様ドミヌスがそれだけ信用して下すってると言う事だ。なら御期待に応えるしかないだろ!?」


「「「「「「「あ、ああ・・・」」」」」」」


 奴隷たち全員が引き気味にネロを見ていた。彼にはこういう処があり、軍団兵レギオナリウスだった頃もみんなこれで結構振り回されていた。真面目だし一応言っている事に間違いがあるわけでは無いから同意しない訳にはいかないのだが、ネロの場合は少々程度が過ぎるのである。

 リュウイチも内心「そこまで思いつめなくても・・・」と引いていた。


「で、でもよう・・・これ、どうやって持ち歩いたらいいんだい?」


 手渡された物の貴重さをイマイチ理解していなかったせいで意外にも冷静だったカルスが指摘すると、奴隷たちが改めて手の中の十本のガラス瓶を見つめた。


「これって水晶か?

 落としたらやっぱ傷ついたり割れたりすんだよな?」

「何か袋に入れて首から下げるか?」

「そんな入れ物あったか?」

「ズタ袋ぐれぇしか・・・」

「そんなモンに入れられっかよ」


『あ、そうか入れ物が無いのか・・・ちょっと待てよ』


 奴隷たちが小声で相談しているとリュウイチがストレージから革のポーチを取り出した。


『これ、全員に配るから使って。』

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