第211話 トイミ事件

統一歴九十九年四月十八日、昼 - アルトリウシア湾エッケ島南/アルトリウシア



 アルトリウシア湾の湾口南に位置するエッケ島。

 島の北側に切り立った断崖を有する険しい表情を見せるが、標高約百八十ピルム(約二百三十三メートル)の山頂から南側は全体になだらかで少ないながらも平地がある。南北四マイル半(約八・三キロ)の島の南側五~六マイル(約十キロ前後)は西山地ヴェストリヒバーグから流れ込む土砂の堆積した浅瀬が続いており、ところどころ砂州も見え、いずれエッケ島は陸繋島りくけいとうになるだろうと予想されており、今でも干潮時であれば徒歩で渡れるのではないかという噂が囁かれていた。


 この浅瀬は大潮の時でも外航船で横切るのは難しく、漁業用の小型の革船コラクルなら渡れることもできるが、時折外洋からくる大波に晒される上に、この近辺では砂の中に棲む貝くらいしか捕れない。同じ貝はアルトリウシア湾中どこでも捕れるし、革船コラクルでは外洋の大波に耐えられず転覆する危険性も高いし、万が一乗り上げてしまった場合の手間を考えるとあえてそこを渡ろうとか漁をしようとか誰も思わない…そういう場所であった。


 しかし、この一見やっかいな浅瀬も時折大いなる海の恵みをもたらしてくれる事がある。年に何度か、ここを通過しようとするクジラや海獣などの大型海棲生物が乗り上げるのだ。手足を有する海獣類は乗り上げても何とか這って脱出することも多いのだが、クジラなどはそうはいかない。

 海を自由に泳ぐクジラを狩ろうと思ったらかなりな手間がかかる。ところが、浅瀬に乗り上げたクジラは動かないのだから手間はかからない。その場で必要な分を解体して持ち帰ることができるのだ。



 セーヘイムに住むブッカの漁師トイミは昨日の夕方、エッケ島の南の浅瀬に何かが乗り上げているのに気づいた。その浅瀬は共有地アルニンメンガルの一つであり、乗り上げたクジラは早い者勝ちで獲得できることになっている。もちろん、一人でクジラ一頭丸ごと解体して運ぶことなんて出来ないし、セーヘイムのブッカはそこまで強欲ではないからトイミは仲間を募って朝早くからクナールを漕いで解体にやってきていた。

 日の出前から出てきた甲斐あって一番乗りだった。


 船が乗り上げる前、まだ水深があるうちに錨を沈め、錨縄いかりなわを伸ばしながらワザとクジラの近くにクナールを座礁させる。帰るときは船体を押すとともに、この錨縄を引っ張って離岸を援けるのだ。さらに解体作業中に外洋から大波が来て流されないよう、杭を打って船のもやいをつなぐ。

 それらの作業が終わってから彼らはさっそくクジラの解体を始めた。クジラはまだ生きていたので、最初に槍でトドメを刺す。


「おーし!始めるかぁ!」


 クジラが死んだのを確認したトイミは七人の仲間とともに解体作業を始めた。上の方から順番にばらしていく…下の方は重力で降りた血がたまってうっ血しており、肉が生臭くて腐りやすい。脂はまだ燃料として使えるが、肉は家畜の餌ぐらいにしか使えなくなるので下の方は後回しだ。逆に上の方は血が抜けていて腐りにくく、血生臭さもない。肉も脂も上質なままで採ることができる。まして、今死んだばかりだ。新鮮さは言うまでもない。


「こいつぁ良いクジラだ。脂がたっぷりだ。」

「ほかの連中、まだ来ないな。この分だと俺たちだけで半分以上貰えちまうんじゃないか!?」

「ハハッ、いい稼ぎになるぜ。

 肉は塩漬けや燻製にしちまえば余裕で一冬は越せるだろうよ。」

「こいつを全部塩漬けにしようと思ったら塩が全然足らないぜ。

 クナール一杯分はいるだろうな」

「燻製の方がいいぜ、今年は香辛料が安くなってるらしい。」

「おい、樽が足んねぇかもしんないぞ?」

「バッカ、樽に入れるのは脂だけだ、肉まで樽に入れるんじゃない!」


 時折来る波に膝のあたりまで洗われながら、彼らは解体に熱中した。

 共有地アルニンメングで捕れたクジラは切り取った者のモノになる。最初に来た人間が二割ほど切り取った後でほかの人間が来ても、すでに切り取られた二割分は切り取った本人が独占できる。ただし、後から人が来た場合は、最初に切り取り始めた人間はまだ切り取っていない分についての所有権を主張できない。後から来た人間が残っているうちの半分を切り取る自由を認めてやらねばならないのだ。

 だから、彼らはほかの連中が後から駆け付ける前に切り取れるだけ切り取るつもりでいた。彼らは一つのグループとして解体作業をやっているので、切り取った分は彼らの中では山分けである。


「さあ、口動かしてないで手を動かせ!

 なまけた分だけ取り分が減るんだからな」


 トイミたちが乗ってきたクナールではどのみちクジラの半分ぐらいまでしか積めないし、八人程度じゃ解体し終える前に日が沈んでしまう。さすがにクナールをクジラでイッパイにするつもりは最初から無かったが、それでも取り分が多いに越したことはない。

 アルトリウシア湾上を見渡すと、こちらに向かってくるクナールは二隻見えた。まだだいぶ距離はあるが、あの船がたどり着けば解体にかかる人間が増えるだろうし、解体にかかる人数が増えれば当然残りの分の取り分は減ってしまう。


「ほうら、そろそろほかの連中が来るぞ、急げ急げ!!」


 トイミがそう言った直後のことだった。


「トイミ!!」


「何だ!?」


 クジラの南側で解体作業を続けていたトイミに反対側から仲間が呼んだ。


「き、来てくれ!」


「?」


 トイミが同じく南側で解体作業をしていた仲間とともにクジラの北側へ回り込んでみると、あらぬものが見えた。


「ハン族!?」


 クジラの南側からは見えない北の方向から、浅瀬に沿うように貨物船クナール三隻が近づいてくる。そして、その貨物船クナールに乗っていたのはハン支援軍アウクシリア・ハンのゴブリン兵たちだった。武装し、短小銃マスケートゥムを抱えてこちらを見ている。


「何でアイツらがここにいるんだ?

 どっかへ逃げたんじゃなかったのか!?」

「クソ、めんどくせぇ奴らが来ちまったな。」

「おい、逃げる準備した方がよくねぇか?」


 パンッ!パパンッ!


 トイミたちが様子を見ているとゴブリン兵の何人かが空に向かって発砲した。


「お前ら動くな!!」


 貨物船クナールは次々と浅瀬へ乗り上げ、ゴブリン兵たちがワラワラと降りて来る。彼らの貨物船クナールは外洋航行用の比較的大型のヤツで喫水が深いため、乗り上げた場所も少し深いところだった。しかし、ゴブリン兵たちは太腿まで波に洗われながら、短小銃マスケートゥムを濡らさないように頭上に掲げて歩いてくる。

 船から降りてきたのは二十三名ほどか…しかし船にはまだ十名以上のゴブリン兵が残っており、漕ぎ手のブッカとトイミたちの両方に向けて銃口を向けていた。


「な、なんか用ですかい旦那方?」


 いくら相手が弱兵で知られたハン支援軍アウクシリア・ハンのゴブリン兵といえども銃で武装した三倍以上の兵力となれば、さすがに刃物しか持たないトイミたちに太刀打ちできるはずもない。


「お前たち、ここで何をしている!?」


 ゴブリン兵たちは十分に浅いところまで来ると頭上に掲げていた銃を降ろし、次々と構え始める。その銃口はもちろんトイミたちに向けられていた。


「ア、アッシらぁ別に、クジラを解体してるだけでさぁ」


「このクジラは我々の物だ!解体は許さん!!」


 一瞬、何を言っているのかわからずトイミはポカンとしてしまう。


「ここは共有地アルニンメングだぞ!?」

「そうだ!ここで捕れたクジラは誰のものでもない!みんなのものだ!!」


 トイミの仲間たちが口々に抗議するが、ゴブリン兵は眉をしかめた。


「あ、あるにん?……お前たち蛮族の言葉など知らん!

 いいからとっとと失せろ!

 さもないと撃ち殺すぞ!!」


「蛮族だと!?」

「ふざけるな!お前らこそ蛮族だろうが!!」

「横暴だ!無法者め!」

「よせ、お前ら!!」


 仲間が怒りだすのをトイミが宥めようとすると、トイミと話をしていたゴブリン兵の隊長が部下たちに向かってハンドサインを出した。


 パパパパパパパッ!!


 海上に銃声が鳴り響き、トイミの目の前で二人が倒れた。立っているうちの一人も腕に被弾し、血を流している。


「なっ!おい!!」


 トイミが思わずゴブリン兵を見ると、まだ半数以上の銃口が向けられていた。銃を撃ったのは十人ほどだったが、火薬が湿気ていたのか発砲に成功したのは七人ほどだった。先ほど引き金を引いた十名は再装填作業を始めている。

 強い海風によって発砲煙は既に流されていた。


「失せろと言ったのに言うことを聞かないからだ!

 さあ、まだ鉛玉を食らい足りないか!?」


「わ、わかった!すぐに、すぐに帰る、ちょっとだけ待ってくれ!」


「早くしろ!!」


「お、おい!帰るぞ!

 怪我人に手を貸せ!!」


 トイミは仲間に指示した。幸い、倒れた二人は脚に被弾しただけで命に別状はなかった。別の仲間が解体の道具を回収し始めるとゴブリン兵が怒鳴った。


「おい!それも置いていけ!」


「え!?こ、これはオレらの道具で・・・」


「うるさい!命が助かるだけでもありがたいと思え!

 それとも命も置いていくつもりか!?」


 ゴブリン兵がいきり立つ。


「ヴェイヨ!いいから置いとけ!

 それより早くもやいを解くんだ」


「わ、わかったよトイミ」


 ヴェイヨと呼ばれたブッカは抱えていた道具をその場に捨てると舫綱もやいづなを解きにかかった。残りの全員で怪我人をクナールまで運ぶ。

 三人も怪我人を出し、大切な解体道具を失ったのは痛いが、それでも今日回収したクジラの肉と脂があれば何とか元は取れる。トイミたちはそれを冷静に計算してこの場を大人しく譲って生きて帰ることを選んだ。

 しかし怪我人をクナールに乗せ、さあ船を出そうという段になって再びゴブリンが吠えた。


「おい!クジラを置いていけと言ったはずだぞ!?

 船に積んだ分をすぐに降ろせ!全部だ!!」


「「「「「「!?」」」」」」


 冗談ではなかった。共有地アルニンメンガルで捕れた肉は切り取った者の所有物。これまで奪われるいわれはない。


「おい!そりゃあんまりだ!

 共有地アルニンメンガルのクジラは…」


 トイミは最後まで言いきることはできなかった。

 ゴブリン兵が再びハンドサインを出し、トイミの声は銃声によってかき消されたからだ。


 パパパパパパパパパッ!


 銃声が鳴りやみ、発砲煙が海風に流されたとき、トイミは既にこと切れていた。海面にくずおれていくトイミを信じられないという表情で仲間たちが見守るなか、ただ風だけが鳴っている。


「さあ、逆らう奴がどうなるか分かったか!?

 早くクジラを降ろせ!

 それともまだ鉛玉を食らいたいか!?

 はたまたコイツで船ごと沈められたいか!?」


 ゴブリン兵は肩から下げた投擲爆弾グラナートゥムを掲げて叫んだ!

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