第71話 最初の砲声

統一歴九十九年四月十日、午後 - ナグルファル船上/アルトリウシア湾



「ありゃあ・・・『バランベル』だよなぁ?」


 煙に包まれたアルトリウシアから出港してきたと思われる前方の船を見ながらサムエルが誰に訊くともなくつぶやくと、すぐ隣で目を細めていたクィントゥスが答えた。


「ええ、それ以外にあんな船はアルトリウシアにはないかと・・・」


 白く塗られた船体の喫水きっすい付近から下は銅板被覆どうばんひふくを施しているが、長らく放置されたため銅板は緑色になってしまっている。

 竜骨りゅうこつ砲列甲板ほうれつかんぱんより上の舷側げんそくと艦上構造物は舷窓げんそう以外全て赤く塗装され、細部の建具は真鍮しんちゅうで派手に飾られているが、いずれも長い間手入れされないまま放置されていたのでその輝きはすっかり失われてしまっていた。黒く塗られた舷窓も赤く塗られた舷側も塩で白けて見えたし、真鍮部分はくすんでしまってろくに光も反射しない。

 それなのにこれだけ遠く離れていてすら目を惹く悪趣味なまでのド派手さは『バランベル』以外のどんな船だって持ち合わせてはいないだろう。


 『バランベル』号は元々レーマ帝国が皇帝インペラトルとして建造した史上最大のガレアス型戦艦だった。

 全長は三十六ピルム(約六十七メートル)にも及び、三本の帆柱マストを備え、船首楼せんしゅろうには前向きに八門、砲列甲板舷側に左右十二門ずつの大型艦載砲を備え、そのほかに船首楼から船尾楼せんびろうまで左右舷側にそって十門ずつの旋回砲を備えている。


 あまりにも巨大になりすぎたため計画段階から既に櫂走かいそう時の速力に疑問が持たれており、また横から風を受けながらびらき帆走(帆を斜めに張って横から風を受けながら進む方法)する際に船体が傾いて櫂を突き出すための舷窓から浸水するリスクが懸念されていたことから、ロングシップを参考に全幅を大きく取って浮力と復元性を確保しやすいよう考えて設計されていた。

 このため全幅は六ピルム(約十一メートル)にも及び、船体はかなりずんぐりしている。全幅の拡大は水の抵抗を大きくしてしまう懸念があったが、浮力が増して喫水が浅くなることから、船体形状の改善と相まって総合的には改善するものと見積もられた。


 軽量化を考えて当初二層になるはずだった砲列甲板は一層へ改められ、備砲も四割減らしたことで大型の櫂船にしては浅い喫水と高い航洋性を獲得できたものの、結果的に櫂走時の速力不足の問題は解決できず、百四十本にも及ぶ櫂を七百人のヒトがいだとしても全力で三、四ノットしか出せないという鈍足ぶりで、戦闘中以外は二隻のガレー船に曳航えいこう(ロープでつないで引っ張ること)してもらう有様だった。

 穏やかな内海であっても櫂走では四ノットしか出せないとあっては、せっかくの突撃船首(敵船に体当たりして転覆させるために舳先を伸ばした形状の船首)も活かす機会は無く、帆走すれば六ノット出せるとは言っても戦列艦せんれつかんより火力で決定的に劣るとあっては実戦で使いようがない。


 観艦式かんかんしき等での皇帝のぐらいにしか使われない船のためだけに千人にも及ぶ船員を確保するわけにもいかず、竣工後半年を待たずしてすっかり認定されてしまった。

 かなり実験的な意味を持って建造された艦ではあったのだが、あまりの使い勝手の悪さに同型艦の建造計画は全てキャンセルされた。

 要するに失敗作である。


 そして、そうであるが故に『バランベル』号はハン支援軍アウクシリア・ハンへ下げ渡されたのだった。


 その頃、レーマ帝国の軍門に降ったハン族はレーマに従順な者たちを除き土地から切り離され、ハン支援軍として各地を転戦させられていた。

 希望の見えぬ旅の果て、最終的に指示された派遣先がアルビオンニアだったわけだが、自力で海を渡ることのできないハン支援軍は大陸から出されることを拒否した。輸送船は帝国が手配すると言っても聞き入れず、かたくなに拒み続けた。


 海峡を渡ったら二度と大陸ふるさとへ戻してもらえないのではないか?


 ハン支援軍が大人しくレーマ帝国に従っていたのは、いつか故郷の地へ帰してもらえると信じていたからだ。故郷へ帰る可能性がないのなら、レーマ帝国に従い続ける理由は無い。


 ハン支援軍のアルビオンニア派遣問題とレーマの港に浮かぶの処理問題とを結びつけたのが誰のアイディアによるものだったのか、残念ながら公式記録には残されていない。

 ともかくレーマ帝国はハン支援軍の疑念を晴らすため、ハン族にレーマの港で使い道も無く無為に岸壁を占有していたガレアス船をあてがう事にした。


 皇帝のために建造されたレーマ帝国で最も大きく最も立派な船・・・そんな触れ込みで下賜された豪華極まる山のような巨船にハン族は度肝を抜かれた。

 その威容にハン族は狂喜し、すっかり惚れこみ、ガレアス船にはハン族で最も崇敬される降臨者の名を冠し、艦名は『バランベル』に改められた。以後、ハン支援軍の旗艦となっている。


 『バランベル』号とともに数隻のガレアス船を与えられたハン支援軍は半年ちかい期間をかけて操船訓練を積んだが、使いこなせるところまではいかなかった。せいぜい穏やかな海で辛うじて動かせるという程度である。

 所詮、十歳前後のヒトの子供と同じくらいの体格と体力しかないゴブリンに巨大なガレアス船の操船作業など最初から無理だったのだ。


 このため、サウマンディアまでの回航はレーマ海軍の軍人たちによって行われ、その後はセーヘイムのブッカたちに委託する形となった。

 当初、自分たちの船を他人に預ける事に抵抗した彼らだったが、自分たちのガレアス船で自分たちの力だけでアルビオン海峡を渡ろうとして渦潮に巻き込まれ、船二隻と二千人を超える人命という膨大な犠牲を出す海難事故を起こしてからは素直に船を預けるようになった。


 それから安全な湾内で操船訓練を年に数回する程度はやっていたが、アルビオンニアでその兵数を大幅に損耗し作戦能力を減じたハン支援軍は、そのうち積極的に船を動かそうとはしなくなった。

 二年前の海賊討伐に参加した折、ハン支援軍が保有していた『バランベル』以外のすべての船をうしなってからはすっかり船への興味を無くしたらしく、『バランベル』はアルトリウシアの海軍基地カストルム・ナヴァリアの船着き場に係留けいりゅうされたまま放置されることになる。



 その『バランベル』号が出港している。

 背後のアルトリウシアの惨状が無かったとしても、それだけで十分すぎるほど奇妙な出来事だった。


 そもそも、アレバランベル号は今誰が動かしてるんだ?


 サムエル達の知る限り、ハン支援軍に『バランベル』号を動かす能力は無い。今、『バランベル』は風上に向かって櫂走しているが、ガレアス船の長さ六ピルム(約十一メートル)にも達する重たい櫂を漕ぐには、ゴブリン兵では櫂一本あたり三人がかりでも厳しい。全く漕げないわけじゃないが、ゴブリン兵では体躯が小さすぎるためスタミナが続かないのだ。

 見ると左右それぞれ上下二段で三十五本ずつあるはずの櫂が下の段しか使われていない。その下段の櫂の数も少し少ないように見える。


 最少限の人数で無理やり出港してきたという事か・・・櫂が片舷三十本で一本三人付いたとして、六十かける三だから・・・百八十か、百八十人のゴブリン兵で漕いでるのか?

 交代しながらなら出来なくはないのか?



 サムエルが考えている間にも彼我の距離は急速に縮まっていった。

 『バランベル』号は見た感じ二ノット出ているかどうかといったところだったが、『ナグルファル』の方は順風満帆でほぼ全力の十ノット近い速度が出ている。

 彼我の距離は約二マイル(約三・七キロ)ほどとなり、相対速度がこのまま十二ノットを維持されるなら約十分後には接触することになるだろう。 


「クィントゥス殿、適当なタイミングでリュウイチ様にテントにお入りいただくようお願いしてください。」


 降臨者リュウイチの存在は秘匿されねばならない。

 『バランベル』号に今何者が乗っているのか定かではないが、見られないに越したことは無いだろうから、リュウイチ様にはテントに身を隠していただく。


「心得た。」


 クィントゥスがそう返答してきびすを返そうとした時、『バランベル』号の船首付近に突然、ポッポポポッと白い煙が噴き出した。


「!?」


 二人ともおのが目を疑い、『バランベル』号を凝視しているとそれから約十秒後にボボボボンッという砲声と、ブンッブンッと何かが高速で上空を通り抜ける音とが同時に二人の耳に届いた。


「はあ!?」


 『ナグルファル』のはるか後方の半径百ピルム(約百八十五メートル)ほどの広い範囲に水柱がポツポツとまばらにそそり立つ。


「あいつら撃ってきやがった!!」


 サムエルとクィントゥスは突然のことで唖然としていたが、船首楼に居た水兵の一言でようやく事態を把握した。

 いや、理由は相変わらず分からないが、少なくとも砲撃を受けたという事実は理解した。

 思わず顔を見合わせる。


「く、クィントゥス殿?」


「と、とりあえず戦闘は避けてください。」


「戦闘を避けてくださいって、だって撃たれてんですよ!?」


「今、積極的に戦って万が一 《暗黒騎士リュウイチ》様が戦闘に介入するようなことになったらどうなるかわかりません。

 我々がリュウイチ様を護衛するというのは外敵から《暗黒騎士リュウイチ》様を守るのではなく、《暗黒騎士ダークナイト》から世界を守るためなんです。

 とにかく、《暗黒騎士リュウイチ》様が戦闘に入らないように万全を期してください!」



 サムエルはこの瞬間まで自分の任務を誤解していた。

 高貴な人物を運ぶのだから自分たちや護衛のクィントゥスらは高貴な人を守るんだと、ただ単純に考えていた。

 だが実際はそうではなかった。

 そもそもそのは世界最強の戦士なのだ。神々をもほふり、世界を滅ぼしかねない存在を、自分たちが外敵から守らねばならないなんて事は、言われてみれば確かにあるわけがない。


 ここへきてサムエルはようやく、自分の任務がどれだけ厄介なモノであるのかに気付いたのである。



「・・・てことは、こっちから大砲を撃ち返すことは?」


「・・・・リュウイチ様に、気付かれない様にお願いします!」


 無理言うな!!!


 サムエルは喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。

 麻製帆布キャンバス一枚隔てたテントの中にいる人物に気付かれない様に大砲を撃つなんて出来るわけがない。

 要はこっちからは撃ち返せないってことだ。


「クィントゥス殿」


「何です?」


軍団兵レギオナリウスをお借りしたい。

 スクトゥムを持たせて、船とテントを守らせてください。」


「・・・・・承った。」

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