第70話 ムズクの決断

統一歴九十九年四月十日、午後 - バランベル号船上/アルトリウシア湾



 南北六、七マイル(約十一から十三キロ)に及ぶ市街地を舞台に炎と煙が織りなす破壊のページェントは炎に包まれた複数の火薬樽かやくだるが連続して誘爆し始めた事を示す轟音と共にクライマックスを迎えていた。

 海軍基地カストルム・ナヴァリアからは火災の炎で熱せられた油が爆発で天高く吹き飛ばされ、上空で発火して炎の雨と化すとアルトリウシア湾沿岸部に降り注ぎ、あし生い茂るウオレヴィ川一帯を炎の海へと変えていく。

 空を覆う雲に反響した爆音は遠雷のようにおどろおどろしく響き渡り、アルトリウシア中に存在するあらゆる生物の聴覚を無遠慮に刺激し、今まさに地獄の門が開かれた事を高らかに宣言するかのようであった。


 レーマ帝国とアルトリウシアへ憎悪を募らせていたハン族にとっては夢にまで見た最高の浄化カタルシスであると同時に新たな門出かどでを祝う盛大なファンファーレであるはずだが、ハン族脱出船団の旗艦『バランベル』号の船首楼せんしゅろうで前方を見据えるエラクムズクと側近たちにそれを楽しむ余裕はなかった。


 恐るべきアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの主力は艦隊と共にアルビオンニウムへ行った。主力以外の部隊も各地へ分散し、要塞カストルムの守備隊しか残っていない。

 その守備隊も各所で発生させた火災とテロの対応に忙殺されている。

 各集落の郷士ドゥーチェは民兵を率いて予想外の反撃をして見せたが、そのすべては既に退けた。多大な犠牲と共に!

 あとはアルトリウシアから脱するだけだ。


 レーマ帝国の支配を脱し、ハン族の誇りと自由を取り戻す!


 その目的は間もなく達せられようとしている。

 日の沈む前にアルトリウシア湾を脱し、エッケ半島とトゥーレ岬を間を通り抜け、大南洋オケアヌス・メリディアヌムへ出れば最早ハン族を止めることなど誰にもできなくなる。


 だが、その最後の脱出口に予想外の障害が現れた。



 全長二十六ピルム(約四十八メートル)、全幅四ピルム(約七メートル半)に達する黒く輝く巨大な船体。

 船首と船尾に一段だけのやぐらが建てられ、その櫓の下には竜頭りゅうずを挟むように二門の巨砲が据えられている。

 そして巨大な船体の割に一本だけの帆柱マストには船体規模のわりに大きすぎる横帆おうはんが風を受けていっぱいに膨らんでいた。そして、その帆に描かれているのは太陽のように輝く剣を掲げた炎の巨人スルト・・・これだけ特徴のある船をいったい誰が見間違うというのだろうか、それはこの世に二つとないセーヘイムのブッカたちが誇る最新鋭の旗艦『ナグルファル』そのものだった。



「・・・ま、間違いない。『ナグルファル』だ・・・」


「何故だ、何故がここに居る?

 はアルビオンニウムへ行ったのではなかったのか!?」


 ディンキジクが呻き、ムズクが憤怒に染まった声を絞り出しながら、イェルナクを睨みつけた。


「どういうことだ!

 はアルビオンニウムに行ったはずではないのか!?」


「そ、その通りです陛下!

 実際に昨日、あの船ナグルファルは一昨日アルビオン海峡を東へ進んだと報告がありました。

 間違いはありません!」


 怒れるムズクに答えるイェルナクは顔色がんしょくを失っており、その声は震えていた。


「なら、アレは何だ!?」


 ムズクはそう叫んで手に持った両刃斧ラブリュスを床に叩きつけた。



 アルトリウシアが軍事的に空白になる。その情報をもたらしたのはイェルナクだった。それがあったからこそ、今日の蜂起ほうきに踏み切ったのだ。


 アルトリウシア軍団が一個大隊コホルスもいればハン支援軍アウクシリア・ハンは簡単に粉砕されてしまう。戦力比は圧倒的だ。

 だが、それでも戦えるならまだマシだ。地上戦ならダイアウルフの機動力を活かした戦いができるのだから、かなわぬまでも戦いようによっては一矢報いる事もできよう。無残に敗北するにしても、せめて名誉ある死に方を選べるだろう。


 しかし、水上戦となれば話は絶望的になってしまう。ハン族は船の扱いなど全く不慣れで、海戦の経験など皆無に等しい。

 敵があの『ナグルファル』一隻だけだったとしても、それをブッカたちが操っている以上『バランベル』号に勝機は無い。そもそもハン族は船での戦い方自体まったく知らない素人なのだ。



「罠か・・・もしやこれは罠だったのか?」


 ディンキジクが前方を見据えたまま呻いた。


「どういうことだ?」


 ムズクは今度はディンキジクを睨みつける。


「やつらが一昨日、アルビオン海峡を東へ進んだのは間違いありません。

 ですが、それは偽装だったのかもしれません。」


「偽装だと?」


 ディンキジクは一昨日『ナグルファル』がアルビオン海峡を東へ向かったにもかかわらず、今日アルトリウシアへ戻って来れた理由に気が付いた。


「偵察隊はティトゥス要塞から北へ向かい、アルビオン海峡の岸壁の上から船が東へ進むのを目撃しました。

 ホントにアルビオンニウムへ行ったなら、確かにアルビオンニウムから帰ってくるまでに最短でも二日はかかり、明日まで帰っては来れません

 でも、実際にアルビオンニウムには行かず、途中の《海賊洞窟スペルンケム・ピラータ》に停泊したのならここまで一日で、つまり今日戻ってこれます。」


「《海賊洞窟》だと?」


 ムズクの疑問に対し、思い付いたを口に出して説明することで、ディンキジクの頭の中では単なるに過ぎなかったそれは次第にへと強化されていった。


「そうです!

 はアルビオンニウムへ行ったと見せかけて、その手前の《海賊洞窟》までしか行かなかった。だから今日帰って来れるんです!」


 振り返って叫ぶように言ったディンキジクの顔は敗北を悟ってしまった者の絶望感と、敵の謀略を解き明かした喜びが入り混じったような狂気じみた笑みを浮かべていた。

 普段感情を滅多に出さないディンキジクの異様な表情に気圧けおされながらもイェルナクは疑問を口にした。


「な、なぜそんなことを?」


「罠だよ!我々を罠にめるためだ!!

 隙を見せて我らの蜂起を促し、それを逆に利用して我々ハン族を滅亡させるためだ!!」


 イェルナクに向かって叫ぶディンキジクの目は焦点があってなかった。視線自体はイェルナクの目を確かに向いているのに、その焦点はイェルナクより後ろ・・・ずっと遠くで結んでいるようだった。


「そうだ、我々は踊らされていたんだ。みんな知られていた。

 だから、郷士たちもあんなに早く的確に我々を迎撃できたんだ!

 まんまと騙されたんだ!!!」


 そのままディンキジクは狂ったように笑い出した。

 その様子からごく近い未来に到来するであろう絶望を察し、イェルナクは力を失ったかのように床にへたり込む。


「そ、そんな・・・では、我らがこうして船出したのは?」


「たぶん、それもの狙いだったんだ。

 水上で船ごと沈めれば、一網打尽だろ?

 なんたってハン族は泳げないんだからな。」


 ひとしきり笑い終えたディンキジクは吐き捨てるようにそう言った。


 それを聞いていたムズクは怒りに身体を振るわせ始める。

 話を聞けば聞くほど、その巧妙な企みを仕掛けられていた事に怒りがわいてきた。

 ディンキジクもイェルナクもハン族きっての知恵者である。彼ら二人がいたからこそ、ハン支援軍はこれまで保ってきたのだ。彼らがいなければハン支援軍は、ハン族はとっくに滅亡していただろう。

 この彼ら二人にさえ見抜けぬほどの巧妙な罠を張り、ハン族を滅ぼそうとする。その邪悪なレーマ帝国の企みに、それを実行に移したアルビオンニア侯爵とアルトリウシア子爵の両領主に、抑えようのない怒りが、憎しみが、際限なく湧いてくる。


 ハン族われらが一体何をした!?

 こうまでして滅ぼされねばならないような事をしたとでも言うのか!?




「・・・敵は、あの一隻だけだな?」


「・・・そのようです・・・」


 突然様子の変わったムズクの低くやけに落ち着いた声に、ディンキジクがやはり落ち着いた声で答える。


 ムズクは決意を固めた。


「では戦うぞ。

 このままムザムザとやられはせぬ。」


 冷たく言い放つムズクはかつてない程の強い意志と気迫を纏っていた。


「我らは船での戦い方は知らぬ、分からぬ。

 だが船はこっちの方が大きく、砲もこっちの方が多い。

 ぎ手もこっちの方が多い。

 乗ってる兵士もこっちの方が多い。

 ならば全力で進め!

 あらゆる砲火を浴びせ、船をぶつけろ!

 そして乗り移って乗員を皆殺しにしてやるのだ!!」

 

 エラクは命じた。

 威厳に満ちたその姿は伝承にある偉大な降臨者バランベルにも劣らぬであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る