第593話 露見の報せ

統一歴九十九年五月六日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 昨日、被害集計を終えて昼近くになってからブルグトアドルフを発った早馬タベラーリウスは、途中の中継基地スタティオが潰されていたために馬を交換することができず、速度を抑えなければならなかった。結果、夕刻近くになってようやくシュバルツゼーブルグへ到着し、そこでブルグトアドルフの状況をシュバルツゼーブルグの郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグに報告してから、馬を乗り換えてアルトリウシアへ急行している。

 アロイス・キュッテルが率いる大隊コホルスとはラーウス・ガローニウス・コルウスが説明したようにグナエウス砦ですれ違っていたが、それは真夜中のことであり、アロイス自身はもちろん彼の大隊の兵士は少数の歩哨ほしょう以外全員が寝ていたため、早馬はアロイスへは報告せずに馬だけを交換してそのまま出発。それで今朝、アルトリウシアへたどり着いていたのだった。なお、早馬を乗り継いで報告を持ってきた連絡将校テッセラリウスは現在疲労のためにぶっ倒れて爆睡中である。


「ああ、なんてこと…ごめんなさい。

 アナタ方に言うべきではないことを言ってしまったわ。

 気を悪くなさらないでね。

 とにかく、盗賊討伐に向かったキュッテルアロイスを支援する態勢を整えねばなりません。盗賊団は壊滅したわけではないのでしょう?

 アナタはどう思って、子爵公子閣下?」


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は自分の部下でもないラーウスに叱責するような態度をとってしまった事に気付き、ラーウスに詫びた。ラーウスはもちろんアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアはアルトリウシア子爵家の所有する辺境軍リミタネイであり、アルビオンニア侯爵家の軍ではない。

 軍事に関しては素人であることを自覚しているエルネスティーネは、隣に座っているアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に助言を求めた。


「私の口からこれを申し上げるのはどうかと思いますが、アルビオンニア側だけで対処するとなればズィルパーミナブルクから部隊を引き抜くほかないでしょう。

 アルトリウシアからこれ以上の兵力抽出は困難です。復興事業はともかく、ハン支援軍への備えができなくなってしまう。」


 アルトリウシア軍団がアルビオンニア侯爵家の軍ではないように、ズィルパーミナブルクに駐留しているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアはアルトリウシア子爵家の軍隊ではない。アルビオンニア侯爵家の私設軍だ。アルトリウスの言い様では、自分のところからはもう兵は出せないから、侯爵家の軍を動かせと言っているように聞こえてしまう。

 しかし、エルネスティーネも侯爵家の家臣団も特にそのことを気にする様子はなかった。侯爵家側に軍事の専門家は、壁際で控えている衛兵隊長のゲオルグだけしかおらず、そして彼は軍団に所属していたことはあったがとうの昔に退役した身であった。しかも彼は軍団を退役し、衛兵隊に移籍した時は下士官だった。つまり、将校が身につけているべき高度な用兵学は身につけていなかったため、こうした場面で助言を求める対象にはなり得ない。

 軍事の専門家が他家にしかいない以上、他家に助言を求めるのは致し方ないことではあったし、アルトリウスも決して他人事ではなく親身になって助言をしている。エルネスティーネも侯爵家の家臣団もそのことはよく理解していたし、両家の間にはそれを許すだけの信頼関係が出来上がっていた。


「おそらく現地からサウマンディウムへ報告があがっているでしょうから、伯爵は兵力を派遣してくると思います。ズィルパーミナブルクから部隊を増派するより、そっちのほうが早いでしょうな。」


 アルトリウスは続けてそう説明した。

 抽出可能なまとまった予備兵力はズィルパーミナブルクに駐屯しているアルビオンニア軍団しかいない。だが、ズィルパーミナブルクまでは早馬でも数日かかる距離である。今から軍団長レガトゥス・レギオニスのアロイスに連絡し、アロイスが命令を発して、そこから派遣部隊を編成して補給計画を立てて部隊を派遣…おそらくズィルパーミナブルクからの増援部隊がブルグトアドルフに到着するまでに半月以上はかかるはずだ。実際、ハン支援軍叛乱の急報を発してからアロイス率いる先遣隊がアルトリウシアに到着するまで十一日かかっている。戦闘の心配は無いらしいことから色々準備を端折はしょり、ひとまず人だけの先遣隊を送り込むだけでそれだけかかっていて、救援物資を含む本隊の到着はそれから更に数日後だったのだ。

 それに比べ、アルビオンニウムとサウマンディウムは船で一日かからない。もしも即応体制を整えた部隊がサウマンディウムで待機していたのなら、明日の夕刻には増援部隊をアルビオンニウムへ送り込むことができるだろう。


「それは既存の協定の枠内でできることかしら?」


「メルクリウス対策の事前協定で承認したのは一個大隊までですが、既にアルビオンニウムには二個百人隊ケントゥリアが送り込まれています。メルクリウス対策としては残り四個百人隊までは我々の新たな承認なしに送り込めることになってはいますが、それで足りるかどうかは微妙なところです。

 昨夜の戦闘でどうやら盗賊団は半減したようですが、まだ百人以上残っているようですし、背後にハーフエルフが付いているとなると、大隊一個では足らないかもしれません。伯爵がそれ以上の派兵を望むのであれば、別途承認を求めて来るでしょう。」

 

「そこら辺は、伯爵がどうお考えになるかにかかっているのね?」


「はい、現場から伯爵へどのような報告がなされるかにもよるでしょうが…」


 いずれにせよ、アルビオンニウムからではアルトリウシアよりもサウマンディウムの方が近い。対応はプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵よりも遅れてしまわざるを得ないのは致し方のないことだった。


「失礼いたします!」


 厳重に立ち入りを制限されているはずの会議室の扉が開かれ、一人のランツクネヒト族の衛兵が入って来る。その兵士は参加者たちの視線を集めながらも、なるべく目立たぬように壁際を小走りに衛兵隊長のゲオルグの元まで駆け寄った。そしてゲオルグに何事か耳打ちし、手に持っていたリボンと手紙を手渡す。


「何、ゲオルグどうかしたの?」


 只ならぬ様子が気になったエルネスティーネが尋ねると姿勢をビシッと整え、かしこまった様子でエルネスティーネの傍へ歩み寄り、受け取った手紙とリボンを差し出した。


「奥方様、伯爵からの急報です。」


「伯爵から?」


 エルネスティーネは手紙とリボンを受け取るとそれぞれを拡げて見た。リボンは絹製で、伝書鳩の足に結び付けて伝文を送るためのものであり、細かい字がびっしりと書き込まれている。一方手紙の方は、リボンに書き込まれていた暗号を解読し、大きな字で書きなおした物だった。


「ハッ、ティトゥス要塞カストルム・ティティの巣箱に戻っていた伝書鳩の足に括りつけられておったものです。

 おそらく、昨日サウマンディウムから放たれた鳩かと…」


 手紙を読み進めるうちにエルネスティーネのおっとりとした半眼気味の半月型をした目が丸く見開かれた。


「まあ…なんてこと…」


「どうかされましたか、侯爵夫人?」


「知られたくない相手に秘密を知られてしまったわ。」


 半ば身を乗り出すように尋ねてきたアルトリウスに手紙とリボンを差し出しながらそう言うと、エルネスティーネは悩まし気にうつむき、肘掛けに頬杖を突くように顔を覆った。


 伝文は昨日の朝、サウマンディウムから放たれた伝書鳩が運んできたものだった。鳩が実際にティトゥス要塞に到着したのは昨日の夕刻頃のことだった。伝文は即座に回収されたが、そのままティトゥス要塞に留め置かれた。その時はまだ侯爵家一家がマニウス要塞にもう一泊することになったという連絡は届いておらず、エルネスティーネがティトゥス要塞に戻ったら届ければいいだろうと通信係が判断し、そのまま放置してしまったのである。それが今朝になって別の通信係が机に残されたままになっている伝文に気付き、あわてて暗号を解読し、文字に起こして早馬でマニウス要塞まで運んできたのだった。


「う、う~~む、これは…」


 手紙を読んだアルトリウスは左手で手紙を保持したまま、右手を額に当てて呻いた。

 そこには降臨の事実がイェルナクにバレてしまった事、そしてイェルナクがルクレティアに挨拶するためにアルビオンニウムへ渡ってしまったことが記されていた。

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