バウムクーヘン・パーティー

第594話 フィッシュ・アンド・チップス

統一歴九十九年五月六日、昼 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチが降臨してからもうすぐ一か月が経とうとしている。普通の異世界転生ファンタジーなら転生した主人公はチート能力を得てそこから目眩めくるめくような冒険が始まるのだが、残念ながらリュウイチはチートと言って良い力や財産を得ているにもかかわらずずっと軟禁状態に置かれており、ハッキリ言って退屈を持て余していた。しかし、彼を取り巻く現地人たちは決してリュウイチに対して悪意があって軟禁状態に置いているわけではなかったし、むしろ今非常に苦しい境遇にあるにも関らず無理してまでもリュウイチをもてなそうとしてくれている。そしてリュウイチもこの世界ヴァーチャリアに来る前は一応立派な大人の社会人であったことだし、個人の願望や欲求を優先させて世間に迷惑をかけてしまう事に対して人並程度には忌避感を抱いていたし、我儘わがままな人間に対する嫌悪感も持っている。周囲の人たちの都合や気持ちを考え、尊重し、自分を殺して周囲に合わせる協調性についても、決して人後に墜ちてはいなかった。

 である以上、その退屈に堪えがたいモノを感じてはいても、あえてそこに甘んじることには何のためらいも感じてはいない。まあ、大事にならなきゃ少しくらいはいいだろうと軽い気持ちで夜遊びに出かけた結果、多くの人たちに迷惑をかけてリュキスカ親子の人生を大きく狂わせてしまった一件もあるし、良かれと思ってルクレティアに魔道具マジック・アイテムをプレゼントしようとしたら予想をはるかに超えて大事になってしまった一件もあって、これ以上何もしない方が良いと思い知ったばかりだったということも背景にはある。


 そんなリュウイチにとって、昨夜の《地の精霊アース・エレメンタル》からの実況中継は、こう言ってはかなり不謹慎ではあるが、昨今の退屈を解消するにはとても刺激的な出来事ではあった。自分が直接関わっているわけではないとはいえ、まるでウォーシミュレーションゲームでもやっているかのような興奮を覚えたのは否定のしようのない事実である。何かこの世界に来て初めて、自分が物語の中心になったような気にさえなった。

 だが同時に、それに関して多少の自己嫌悪も覚えている。


 自分が実況中継したのは紛れもなく本物の戦闘であり、そこでは間違いなく人が死んでいるのだ。それも一人や二人ではなく、何十人という人間がだ。

 それを遠く離れた安全な場所から眺め、内心でとはいえ面白がっていた…まあ、理性ある人間なら自己嫌悪を覚えないではいられないだろう。


 ああ,やっぱり俺は何もしない方がいいんだろうなぁ…


 今朝、目が覚めて昨夜の興奮が冷めてから昨夜の出来事を思い出し、リュウイチはつくづくそう思っていた。


 いや、でも《地の精霊》をルクレティアにつけたからルクレティアたちは盗賊に襲われても助かったわけだし……


 でも、そもそも魔道具や《地の精霊》を渡さなきゃルクレティアがアルビオンニウムに行って盗賊に襲われることも無かったんじゃ……


 でも、そしたらルクレティアのお父さんが代わりに盗賊に襲われてたんだよな?

 じゃあやっぱり結果的には良かったんじゃ……


 いやでも、降臨を起こそうとしているハーフエルフっていうのが盗賊に襲わせてたんだろ?

 もしかして《地の精霊》の存在がルクレティアを襲う理由になったとか?


 朝起きてから朝食までの時間、そして朝食後の暇な時間、リュウイチは自分の行動の正当化を試みたり、反省したりを一人でボケーっと繰り返していた。だが、こういう思考は新しい材料が加わってこない限り同じことをグルグルと無意味に繰り返して心を疲れさせるだけである。結局、リュウイチは汚れ物部屋ソルディドルムに集められた汚れ物に浄化魔法をかける朝の日課をこなした後は、ずっと何をするでもなくゴロゴロして過ごした。


旦那様ドミヌスお昼ブランディウムの御用意が整いました。」


 居間代わりにしている小食堂トリクリニウム・ミヌスでゴロゴロしていたリュウイチは、ネロにそう言われて「ああ」と身を起こした。


 ああ…なんか、自分がどんどんダメ人間になっていく気がする…


 気づけば昼である。何もしないまま昼になってしまった…いや、こっちに来てからほとんどずっとそんな毎日だが、要らない事にずっと頭を空回りさせていたせいで無駄に疲れているにもかかわらず、何にもならないうちに時間が経ってしまっている事に気付かされ、より一層気分がうつろに沈んでいく。


 旦那リュウイチ様はやはりルクレティア様のところへ行きたいのだろうか…


 何やら物憂ものうげなリュウイチを見ながらそのように想像を巡らせつつ、「失礼します」と断りながら、リュウイチの前の円卓メンサの上をサッと拭いてテーブルクロスをかける。そこへ別の奴隷が食事と飲み物を運び込んできた。


 今日のメニューはフィッシュ・アンド・チップスだった。フィッシュ・アンド・チップスは御存知イギリスを代表するファスト・フードの元祖とも言える料理だが、啓展宗教諸国連合側の一部の国では定着してはいるものの、レーマ帝国での認知度は高くない。現にリュウイチを取り巻く現地人の誰もフィッシュ・アンド・チップスを知らなかった。リュウイチの前に出されたフィッシュ・アンド・チップスはリュウイチが大まかな作り方を教えてもらった料理人のルールスが再現したものである。


 どうやらこの世界の住人はホントに昼食はろくに取らないらしいことを知ったリュウイチは、やはり一日三食食べる習慣は維持しつつも、なるべく周囲に合わせるべく昼食は軽く済ませようと考えた。では何をお出ししましょうか?と訊かれたので、頭に浮かんだ西洋料理のファースト・フードを挙げていったうちの一つがフィッシュ・アンド・チップスだったのである。

 とはいっても、リュウイチも料理にさほど詳しいわけではないし、フィッシュ・アンド・チップスなんて《レアル》に居た頃も数回しか食べたことは無かった。それも会社の同僚に料理が趣味の男が居て、会社の親睦会でやったバーベキューの時に作って振舞っていたのを食べたことがあるだけだ。その時に作り方をザッと教えては貰ったのだが、だいぶ前の事なので細かい部分は忘れている。


『要は魚の天麩羅てんぷらみたいな物なんだけど、衣を作るのに小麦粉を水で溶くんじゃなくてビールで溶くんだ。あとジャガイモを細長く切って揚げたものを一緒に沿えて…それに酢をかけて食べる。』


 で、その言葉を頼りにルールスは色々と試して細かい部分を調整している。

 天麩羅は南蛮の料理だがアルビオンニアでも既に人気のメニューとして定着していたため、一応ルールスもアルトリウシアへ来てから学んでおり知っている。まず卵を冷たい水で溶き、それに小麦粉を加えてクリーム状になりきらない程度に混ぜたものを魚や野菜にまぶして熱した油で揚げるのだ。それをベースにリュウイチに教わった情報をヒントにフィッシュ・アンド・チップスを再現する。

 もちろん、リュウイチの教えた情報は不完全なものであったし、そもそも情報源のリュウイチの記憶自体が曖昧なものだったからルールスの再現したフィッシュ・アンド・チップスは本来の物とは少し異なったものになっていた。


 まず、フィッシュ・アンド・チップスの衣を作るのに本来使われない筈の卵が使われている。そしてベーキングパウダーはヴァーチャリア世界には存在しないので使われていない。あと、ビールはセーヘイムからリュウイチのために納入されている黒ビールが使われたため、衣が黒ずんでしまっている。

 天麩羅を思い浮かべていたルールス自身、「ホントにこれでいいのか?」と疑問に思うような不気味な色合いだったし、出されたリュウイチも「え、これ!?」と思うような、まるで揚げ過ぎて焦げてしまった天麩羅みたいな見栄えだったが、「黒ビールを使いました」という説明を聞かされたら「なるほど、じゃあしょうがないのか」と納得せざるを得なかった。


 そしてチップスの方も、本来のフィッシュ・アンド・チップスではジャガイモを下茹でしてから揚げるためにある程度大きさがあるにもかかわらず外はカリカリで中はホクホクという食感になるのだが、ルールスは下茹でしないで直接揚げてしまったために中まで火を通そうとすると外がカッチカチになるまで揚げることになってしまった。食感がまるでカリントウのように硬くなってしまう。

 試しで作ったチップスを見て「これでは魚の天麩羅に合わないだろう」と判断したルールスはジャガイモを教えられていたよりもずっと細く切ることで、外の揚がり具合がちょうどよくなるぐらいに中まで火が通るように調整した。おかげで出て来た「チップス」はリュウイチが知っていたフィッシュ・アンド・チップスのチップスではなく、ハンバーガーショップで出すようなスティック状の「フライドポテト」になってしまった。


 ん~……なんか違うけど、まあいいか……


 期待したものとは少し違っていたが、腕は一流の料理人が作っただけあって味や食感はきちんと整えられていたし、日本人であるリュウイチにイギリスの伝統料理に対するこだわりなど在ろうはずも無かったので、リュウイチはこれはこれとして納得してしまった。以後、リュウイチに出されるフィッシュ・アンド・チップスはコレになってしまっている。


 こんがりキツネ色というよりは馬の色に近く、揚げ過ぎて焦げた天麩羅にしか見えないフィッシュ・アンド・チップスに自分で塩と酢を振りかけると、リュウイチは手づかみで口に運んだ。


「いかがでしょうか?」


『ん?…んん、美味いよ…キミらも食べる?』


 やや心配そうに尋ねるネロにリュウイチは口をもぐもぐさせたまま答えた。実際、見た目は悪いが味は良い。もっとも、ネロは料理の味よりもリュウイチの機嫌の方を心配していたのだが……


「いえ…」


 物欲しそうにしていると勘違いされたと思ったネロは慌てて姿勢を正した。リュウイチとしては一緒に食べるわけでもないのに傍に突っ立っていられる方が気になるのだが、ネロたちは誘っても一緒に食べようとはしない。どうも奴隷としての立場を強く意識してのことのようで、彼なりに譲れない部分があるようだ。リュウイチもネロとのこういうやり取りは今回が初めてではなかったし、こういうネロの反応にもそろそろ慣れはじめてもいた。

 が、そのうち二人はふとあらぬ方向から注がれる視線に気づく。


『?』

「?」


 気配に気づいたリュウイチとネロが窓を見ると、そこには窓から顔を覗かせてリュウイチを見ている小さい女の子の姿があった。

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