第93話 被災地の後片付け

統一歴九十九年四月十一日、午前 - アイゼンファウスト/アルトリウシア



 広域災害に襲われた市街地の処理で真っ先に片付けねばならないのは死骸である。季節や気候にもよるが、死骸を放置したまま腐敗が進むとゾンビ化してしまうからだ。


 ゾンビと言っても人を襲ったりという事なく、動きも鈍けりゃ力も弱く知能も無い。目が見えず音も聞こえない場合がほとんどなので、周囲に存在する何かに反応するという事すらあまりない。ゾンビに噛まれたらゾンビになる・・・なんてこともない。そもそも噛みついたりひっかいたりしてくること自体ほぼ無いのだ。


 稀に、例外的なゾンビも存在する。

 高い魔力を保持する人間が魔力を保ったまま死亡すると、肉体が腐敗する前からゾンビ化する事例が報告されている。その場合、脳組織も目や耳などの感覚器官も残っているため、状況次第で人に敵対的な行動をとる場合もあるようだ。

 ただ、そこまで魔力の高い人間は滅多におらず、そうした事例の報告もここ半世紀は途絶えている。


 一般的にはゾンビはただ歩き回る(あるいは這いまわる)だけだ。腐敗がある程度以上進行して筋組織が機能しなくなると動けなくなり、そして今度こそ本当に死亡する。


 だからといって全く無害なわけでは決してない。歩き回るのは腐乱死体なのだ。

 その実態は悪臭を放ちながら有害な腐敗菌を増殖させてバラ撒くバイオ・ウエポン・キャリア―と言って差し支えない。

 伝染病を発生させたり耕作地を汚染したりする危険性が高いため、速やかに処理しなければならない。



 ティトゥス要塞城下町カナバエ・カストルム・ティティマニウス要塞城下町カナバエ・カストルム・マニの死体回収は昨日のうちには終わっていたが、アンブースティア地区、アイゼンファウスト地区、そして海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアおよび海軍基地カストルム・ナヴァリアは昨日夕刻まで続いた大規模火災のため全く手付かずのままだった。

 雨のために《火の精霊ファイア・エレメンタル》が消滅し火勢が大きく衰えたのを機に、各地区の郷士ドゥーチェは投入できる全ての人員を投入して残った火の鎮火に努めたが、日没までの鎮火には至らなかったためだ。


 日が沈んで以降の消火作業効率は大幅に低下せざるを得ない。

 ほとんど常にと言って良い程上空を雲が覆っているアルトリウシアでは月齢が満月に近くとも月明かりがあまり当てにならないし、松明片手で消火作業は効率が悪すぎる。まだ方々でくすぶっているのがわかっていても、目に見える炎があらかた消えた時点でその日の消火作業を中断せざるを得なかったのだ。



 夜間に再燃火災の発生が無かったのは幸運だったと言って良いだろう。

 人々は朝食を済ませ次第消火活動を再開、未だに方々から煙を上げ続ける現場へと身を投じた。中には日の出と共に朝飯の前に消火活動を自主的にやっていた者も少数ながら居た。

 未だに残っていた火種の処理が進むにつれ、郷士たちは余裕のでき始めた人員を死体の処理に振り分け始める。

 やることは主に死体の回収、身元確認、墓穴掘りだ。いずれも重労働だった。



 火災現場の遺体なんてまず見れたもんじゃない。

 《火の精霊》に焼かれた死体は真っ黒に炭化していたりするが、そうなってくれてた方がよっぽどマシだった。ゾンビ化する心配だって無い。だが、大概はである。広域火災とはいえ焼けたのが半分テントみたいなバラックだったせいか地表付近は温度が低かったらしく、地面に横たわる死体は意外なほど焼け残っているものが多いのだ。

 そして下手に肉や皮膚が焼け残っているからこそ、おそらく煙に巻かれて死んだせいであろう、死体と言う死体が皆恐ろし気な苦悶の表情を浮かべており、これが死体を回収する者や身元確認する者たちの精神を容赦なくむしばむのである。


 見るのが恐ろしいからと目を背けながら作業しようとすると扱いがどうしても雑になる。低温で長時間焼かれた生焼けの死体は想像以上にもろく、下手に持ち上げると手に持った腕が、脚が、持ち上げた拍子にげたりする。

 時に、身体を持ち上げた瞬間に首がボロッと落ちる事もある。

 そして、地面に落ちた衝撃で死体が更に崩れる。

 それを慌てて拾い上げる時、崩れてさらにおぞましい容貌と化した死骸と・・・そして、その日の夜からが夢の常連になるのだ。


 身元の確認などほぼ出来ない。死骸の損傷が・・・というのもあるが、死体を保存しておいて遺族に見分けんぶんさせるという方法が時間的制約から取れないためだ。そんなことしてたら死体が一体残らずゾンビ化してしまいかねない。

 死体が回収された場所と死体から分かる範囲での生前の身体的特徴を記録し、持ち物があれば記録と一緒に保管・・・遺体はそのまま遺族と対面する間もなく墓穴に放り込まれる。


 その墓穴も一人一人に掘ってられないから、デカイ溝を掘って並べて放り込み、上から石灰をいて土を被せて終わるだけの共同墓地だ。

 一言で言ってしまえば簡単なようだが、深さ一ピルム(約百八十五センチ)以上で幅もヒトの身長分程もある溝を埋葬人数×一ペス(約三十センチ)ぐらいの長さ程掘らねばならないのだからかなりな重労働である。

 死者数はまだカウントできていないが、仮に千人とすれば三百メートル近くは掘らねばならない・・・まあ、そんなに掘るくらいなら死体を重ねるつもりでもっと深く掘った方が楽なのでそうするのだが・・・どのみち墓穴掘りだけでも決して馬鹿にならないのは明らかだろう。


 生き残った者の苦しみは、これから始まるのだ。



 ここ、アイゼンファウスト地区は焼失面積も死者行方不明者数でも他の地区を圧倒していた。理由ははっきりしている。

 海軍基地城下町は街の規模がそもそも小さかった。

 アンブースティアはティグリスが火災当初から割り切って火災がまだ及んでいない地域を破壊消火の対象にしたため、火が回って来る前に延焼を阻止するためのバッファーゾーンを完成させることに成功していた。

 しかし、アイゼンファウストでは火災のすぐ近くで破壊消火活動を展開したため破壊消火が完了するよりも早く火が燃え広がり、結果的にバッファーゾーンを確保することができず延焼を食い止められなかった。


 ゴブリン撃退よりも消火を指揮すればよかっただろうか?

 いや、メルヒオールが指揮したとして消火に成功したのか?


 広域火災での破壊消火の最大の問題は、まだ燃えていない他人様の家を壊して回らねばならない点にある。その家は住人にとっては大切な財産なのだ。

 壊そうとした時に抵抗しない住人などまず居ない。

 「やめてくれ」「壊さないでくれ」「ここはまだ燃えてないじゃないか」そう言って泣いてすがる住民を押しのけ、容赦なく破壊せねばならない。それはよほど無神経か、よほど意志の強い奴でなければ間違いなく躊躇ちゅうちょしてしまうし、やればやったで後悔もすれば恨まれもするのだ。


 メルヒオールは若いころは散々悪い事もした。生きるため、人も殺した。殺した数は数えきれない。だが、殺したのはだいたい殺されるだけの理由のある奴ばかりだった・・・と、思っている。少なくとも、自分を慕って信じてくれているような奴を手にかけた事は一度もなかった。

 それは多分、彼のような者にとっては幸いなことだったと言って良いだろう。


 焼け落ちてしまった自分の家があったあたりで力なく座り込み、ただただ涙を流しながら悲嘆に暮れている老婆を見ながら、もしも自分が指揮したなら消火に成功しただろうかと考えると、さすがのメルヒオールも全く自信が持てなかった。


 ハンスだから失敗したんじゃない。


 消火活動の指揮を任せた手下はメルヒオールがゴブリン兵迎撃に出撃するのをキラキラした目で見送ってくれた。だが、あいつハンスは肝心の消火活動に失敗した。

 生きて帰ってこなかった。



ボスメルヒオール!ここにいたんですか!?」


 一通り出すべき指示を出してしまって暇になった瞬間に妙な事を考え込んでしまっていたメルヒオールは呼び声によって急激に現実に引き戻された。


「なんだ、何かあったのか?」


「ヘイ、今しがた聞いた話によると、どうもマニウス要塞カストルム・マニに保護してもらった住民が追い出されるみたいなんで・・・」

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