第404話 枯れた地脈

統一歴九十九年五月五日、夕 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「僕らが来た時、彼が言う通りこの部屋は一面砂まみれだった。

 床には大きなロリカの足跡一人分しかなかったよ。

 砂を取り除いた後の床にも、魔法陣らしきものは何もなかった。」


 カルスが話し終えると、その証言を裏付けるように神官のスカエウァが説明する。カルスの方を見たままそれを聞いたルクレティアは小さくため息をついた。


「ではやはり、降臨術の痕跡のようなものは無かったということでよろしいかな?」


 『水晶の間クリスタルム・ロクム』の入口から様子を伺っていたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が確認すると、スカエウァはカエソーに向かって頷いた。


「私共も事情は聞かされておりましたので、神殿テンプルムを清掃するにあたっては慎重に痕跡を探しました。ゆえに、『何もなかった』…そう、自信をもって断言できます。」


「リュウイチ様は、リュウイチ様の魂は初めて降臨あそばされたそうですが、その肉体はかの《暗黒騎士ダークナイト》様のモノです。《暗黒騎士ダークナイト》様にとって降臨は初めてではありません。おそらく、他のゲイマーガメル様たちの再臨と同じで、特別な降臨術のようなものを必要としなかったのでしょう。」


 スカエウァの話が終わると、その後を引き継ぐようにルクレティアが前々からアルトリウシア貴族たちの間で囁かれていた予想を口にする。それを聞き、サウマンディア側の神官たちの間でどよめきが起こった。


「だ、《暗黒騎士ダークナイト》!?」

「《暗黒騎士ダークナイト》と言われたか!?」


 実はサウマンディア側から派遣された神官たちは、降臨が起ったという事は教えられていたが、それが《暗黒騎士ダークナイト》だとは知らされていなかったのだ。

 ルクレティアは神官たちの動揺にわずかに驚き、室内を見回してから凍り付いたような顔でルクレティアを見たままたじろいでいるスカエウァに向かって言った。


「ええ、降臨なされたのは《暗黒騎士ダークナイト》様。

 ですが、それは肉体だけでその魂はリュウイチ様という別の御方のもの。

 リュウイチ様は《暗黒騎士ダークナイト》様の御親戚にあらせられます。」


「だ、大丈夫なのかい?」


「え?…ええ、リュウイチ様はとても寛大な御方です。

 そこの者たちも降臨したばかりのリュウイチ様に無謀にも御手向かいいたしましたが、リュウイチ様は傷つけることなく魔法で眠らせ、命令違反で危うく死刑に処されるところだった彼らを奴隷として引き取ったのです。」


「《暗黒騎士ダークナイト》様に!?」

「手向かっただと!?」


 ルクレティアはリウィウスたちを指して説明すると、神官たちの目は今度はリウィウスたち三人へ注がれた。その視線にヨウィアヌスとカルスは照れていたが、神官たちの視線に込められていたのは尊敬や感心といった好意的なものではなく、むしろ「何をバカなことを」というような信じがたい愚考に対する呆れであった。それにいち早く気付いたリウィウスは一人、ヨウィアヌスらとは対照的に気まずげにしている。


「では、本当に大水晶球マグナ・クリスタルム・ピラが砂になっていたという以外は、本当に何もなかったのですね?」


「ああ、あとは地脈が無くなっていたことだけだ。」


 ルクレティアが確認を求め、スカエウァが答えるとルクレティアはそう言えばと思い出したように食いついた。


「そう、それ!確かなの!?」


「あ、ああ、もちろんだ。何度も確認したよ。

 水晶球も僕のじゃなくて、事情を話してわざわざウチのを取り寄せたんだ。」


 そう言ってスカエウァは寝台の上に置かれた直径一ぺス(約三十センチ)ほどもある水晶球を指さした。それはスカエウァの実家であるスパルタカシウス・プルケル家に伝わる水晶球で、今回砂になってしまったスパルタカシウス宗家の大水晶球マグナ・クリスタルム・ピラとは比べるべくもないが、今現在手に入れられる最大の水晶球であった。


「ためしに見てみてくれ。」


 スカエウァが促すと、補助を務める屈強そうな体格の神官が二人ほど進み出て寝台の左右に立った。

 神官が地脈を見るとき、寝台に寝そべって水晶球を身体の上に置いて瞑想するのだが、直径一ぺス(約三十センチ)ほどともなると水晶球の重さは四十六リブラ(約十五キロ)ほどにもなってしまう。瞑想しながら一人で水晶球を落とさず保持し続けるのは難しいので、助手に支えてもらわなければならないのだ。


「わかりました。」


 ルクレティアはそう言うと寝台に近づく。助手を務める神官たちは布を広げ、その上に水晶球を乗せると布の端っこを持って引っ張り上げた。そして仰向けに寝転がったルクレティアの腹の上に水晶球が乗るように降ろすが、重さがルクレティアの腹にかかり過ぎないように適当な高さに保持し続ける。彼らが水晶球を乗せるのに使っている布は太い帯状のもので、両端にそれぞれ肩紐のようなものがついており、なるべく長時間水晶球を空中に保持できるように工夫された専用のモノだった。

 だが人間の頭部よりも重たい水晶球を腹の上に直接乗せるのにルクレティアは慣れておらず、瞑想を始めるのに少し手間取ってしまった。元々あった大水晶球マグナ・クリスタルム・ピラは重さが三十三タレント(約九百六十七キロ)ほどにもなり、人が持つことなど到底不可能なので、最初から鎖で編んだ網で包むようにして天井から吊り下げられており、このように瞑想する際に身体にその重さを感じる様なことはなかったのだ。

 全員が息を殺して静かに見守る中、五分ほどしてルクレティアは目を開ける。それに気づいた補助の神官たちは「フンッ」と息を合わせてルクレティアの上から水晶球を移動した。


「どうだったい?」


「ええ、やっぱり地脈を感じられないわ。

 どうなってるの?消えちゃったって言うの?」


 身体を起こしたルクレティアはスカエウァの問いに対し、目を閉じ額に手を当てながら取り乱したように答えた。地脈が消えるなど前代未聞である。この周辺の植生や地勢にどんな影響があるのか想像もつかない。


「残念だけどそれ以上大きい水晶球は手に入らないよ。

 元々あった大水晶球マグナ・クリスタルム・ピラがあればもう少し感じられるかもしれないけどね。」


 水晶球は大きければ大きいほど感覚を増幅してくれると言われている。だからこそ、自分の手持ちの水晶球で地脈を感じることが出来なかったスカエウァは実家で保有している中で最大の水晶球を取り寄せていたのだ。しかし、それでも感知できないとなると、もう地脈が枯れてしまったとしか考えられない。

 ルクレティアは少しの間だけ頭を抱えるようにして考え込んだが、すぐに顔を上げると、寝台から降りて立ち上がり、自分の右手の指輪に向かって話しかけた。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、お出ましくださいませ。」


 『地の指輪』リング・オブ・アースが緑色に輝いて、ルクレティアの眼前に緑色に輝く半透明の小人が姿を現し、周囲の神官たちを驚かせた。


「ア、《地の精霊アース・エレメンタル》様!?」

「おおっ、まさかお姿を…」


 スカエウァをはじめ、《地の精霊アース・エレメンタル》を目にした神官たちが一斉にかしずいた。彼らにとって《地の精霊アース・エレメンタル》は女神ケレースの眷属であり、信仰の対象となる存在である。日頃からその存在を感じようと修行を積んできた彼らにとって、《地の精霊アース・エレメンタル》の姿をこうして直に目にすることなど、まさに奇跡と呼べるものだった。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、どうかお教えください。

 この地の地脈は消えてしまったのでしょうか?」


 《地の精霊アース・エレメンタル》は少しの間考え込むような様子を見せたのちに答えた。


『いや、微弱だが魔力の流れはある。

 方々から、集まってきている。』


「集まって…来ている?」


『ここらに一帯に溜まっておった魔力を一気に使ったのじゃろう。

 周囲より魔力が減ったので、北と南から魔力が流れ込んでおる。』


「一気に使った?…!…降臨…ですか?」


 地脈に流れる魔力が一気に発散されると言えば地震や火山噴火などの現象によってだが、ここのところ大きな地震は無かったし火山噴火はあったが噴火後もこの地の地脈は高い魔力量が保持されていた。他に大量の魔力を消費する現象…それも最近起こったとなると《暗黒騎士リュウイチ》の降臨しか思いつかない。

 だが、ルクレティアの問いかけに対し《地の精霊アース・エレメンタル》の反応は素っ気なかった。


『ワシにリュウイチ様より召喚される以前の事はわからぬ。』


「で、では…地脈が元に戻るまで、どれほどかかりましょうか?」


『“元”がどうだったかわからん。

 じゃが、ここら一帯は他の地よりだいぶ魔力量が少ないようじゃ。

 周辺の地域と同じくらいになるまで、だいぶかかるじゃろう。』


「で、では、それまでの間、この地の植生などは!?」


 《地の精霊アース・エレメンタル》は再び考えこむ様子でクルクルと回り始めた。


『この地の地脈は深い。地上の植物に直接は影響せぬ。』


 《地の精霊アース・エレメンタル》が唐突に動きを止めて答えると、ルクレティアはホッと胸をなでおろした。


『じゃが、温泉などは枯れるかもしれん。』


「温泉が枯れる!?」


 火山が近いだけあってアルビオンニウムやアルトリウシアの西山地ヴェストリヒバーグには何か所か温泉が湧き出ている土地がある。湯治場として利用されている場所もあったし、中には温泉の熱を利用してキノコ栽培や畜産を行っているところもあった。

 《地の精霊アース・エレメンタル》はまた例によってルクレティア以外には念話を送っていなかったので周囲の者たちはルクレティアが発する言葉しか聞こえていない。会話の内容がわからないままルクレティアの「温泉が枯れる」という言葉だけを聞き、周囲の者たちは何事かとどよめいた。


『地脈の枯渇で火山が休眠してしまっておる。

 火山の底の溶岩は地脈が戻るまで冷め続けるじゃろう。

 地下水を温める熱源が冷めるから温泉も冷たくなっていく。

 地中の熱が再び戻るのが早いか、温泉がただの湧水になるのが早いか…』


「ならば枯れないかもしれないのですね?」


『枯れるかもしれんし枯れないかもしれん。』


 何ともハッキリしない話だが、何も分からないよりはまだマシであろう。少なくとも、何もわからないままいきなり温泉が枯れるより、もしかしたら近いうちに枯れるかもしれないと知らされていればそれなりに対応できるかもしれないのだから。ただ、経過は注視せねばならないだろう。

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