降臨者迎賓態勢

第110話 子爵夫妻の朝食

統一歴九十九年四月十三日、朝 - ティトゥス要塞ルキウス邸/アルトリウシア



「何ですって!?

 アルトリウスは朝食イエンタークルムも摂らずに帰ったのですか?」


 アルトリウシア領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の妻であるアンティスティア・ラベリア・アヴァロニア・アルトリウシア子爵夫人は朝からいきどおっていた。

 彼女は領主貴族パトリキの一員でありながら一昨日の正餐ケーナ以来ずっとボッチ飯が続いている。

 本来、朝食や昼食はともかく、夕食ケーナを一人寂しく食べるなどレーマ貴族としては非常に恥ずかしい事なのだ。誰かに招待を受けるか、さもなければ誰かを招いて食卓を共にするのが当然なのだ。身分の高い者ならばそれなりに忙しくもあろうし、都合が合わない事も確かにある。そういう時は見知らぬ通りすがりの人であろうと身分を問わず招待して、夕食を共にするものだ。

 それが出来ないということは、誰からも誘ってもらえない、誰を誘っても応えてもらえない寂しい人間か、他人招待する食事代すら惜しむ吝嗇家りんしょくかという事になる。これはレーマ貴族としてあるまじきことだ。


 特別な理由でもなければ異性と食事を共にする事は避けねばならない上に、女性が一人で用もなく外をほっつき歩く事もあまりない以上、女性であるアンティスティアが見知らぬ行きずりの客を見つけて招待する事は難しい。

 ハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件による混乱のせいで身分のある客人を招くことも困難な情勢では、ボッチ飯になってしまうのも仕方がないと言えなくはない。


 しかし、実際には客人が招かれていたのだ。一昨日は子爵であるルキウス自身や聖貴族であるルクレティアが自ら身の回りの世話を焼くような高貴な客人が。そして昨日はサウマンディウムの要人たちが。

 なのに、アンティスティアは招待されなかった。まあ、特別な理由でもない限り異性と食卓を共にするのは避けるべきことなので招待されなかっただけなら仕方ない。だが、紹介すらされないのはどういうことなのか?

 ましてや、それらの客人との晩餐ケーナにはエルネスティーネが列席していたというではないか。


 アンティスティアだって子爵夫人なのよ!?

 そりゃエルネスティーネ様は御自身が女領主ドミナなのは分かってるし、子爵より侯爵の方が身分が高いから色々務めがあるのも分かるわよ。

 でも私も彼女エルネスティーネも同じ領主貴族の女じゃない!

 彼女が晩餐に参加して私が紹介すらされないってどういうこと!?


 平民の家から嫁いで以来、誰よりも上級貴族パトリキたらんと努力を続けてきたアンティスティアにとってそれは耐えがたい屈辱だった。己の全存在を否定されたにも等しい。

 だがアンティスティアはこらえた。

 昨夜遅く要塞司令部プリンキピアから戻ったルキウスを寝ずに待ち、寝室で自分アンティスティアが放置されている事をちょっとなじったら、ルキウスは戦事いくさごとに関わる秘密の会議を兼ねていたんだと言い訳していた。

 ホントはそんなことなく、当たり障りのない会話しかしてなかった事を使用人を通じて知っていたが、アンティスティアはあえてそれ以上何も言わなかった。我儘わがままを言いすぎて夫婦の距離がこれ以上離れてほしくはなかったからだ。

 だから、せめて家族で食事をとルキウスにお願いした。家族と一緒に食事をしていたなら、客と食事をしてなかったとしても貴族としての体面は最低限保たれる。


 なのにアルトリウスは朝食を食べずに帰ってしまった。


 昨日、アルビオンニウムから戻ったアルトリウスはそのまま会議に出席し、あまりに夜遅くなりすぎたからとルキウス邸の客間に泊まっていたのだ。

 アルトリウスはルキウスの甥であり養子である。当然、アンティスティアにとっても養子であり子供であり、家族の一員であるはずだ。なのに何で朝食を共にしてくれないのか?



「まあまあ、あやつアルトリウスも嫁と子供の顔を見たいんだよ。」


 ルキウスは慰めるようにそう言った。

 アルトリウスは本当なら昨夜には妻と子供の元へ帰っている筈だったし、本人もそのつもりだった。それが叛乱事件やら降臨やらと色々あって、昨夜は遅くまで会議が続いた。気の休まる暇も無かったのだ。

 しかも、今日は昼頃からサウマンディウアから来た一行をマニウス要塞カストルム・マニへ招いて降臨者リュウイチとの接見を予定しており、アルトリウスが家族の元を訪れることが出来るのは、今日の午前中のわずかな時間しかない。明日はまたどうなるか予想もできない以上、多少無理をしてでも家族に会いたがるのも仕方の無い事だった。

 ルキウスはそのことをよく理解していたが、しかしそうした事情について事細かにアンティスティアに説明することは、今の時点ではまだ出来ない。


「そうでしょうけど!

 朝食くらい食べて行けばいいじゃないですか。

 普段だってこっちティトゥス要塞には滅多に来ないのに・・・。

 『花嫁の家ドムス・ノヴス・スポンサ』に着くころには、あっちだって朝食は終わってますよ?」


 尚も不満たらたらな幼な妻アンティスティアの様子に苦笑いを浮かべながら「さあ、食べよう」と小さく言って、ルキウスは食卓に付いた。


 しかし、その態度はアンティスティアの疎外感を深めるものだった。

 そりゃあ、アンティスティアにまつりごと戦事いくさごとのことなど分からない。アンティスティアに言ってもしょうがない事や言えない事も色々とあることだろう。

 ただ、それでももっと何か言ってくれてもいいんじゃないかとアンティスティアは思うのだ。

 今は亡きマクシミリアン・フォン・アルビオンニアは妻のエルネスティーネに、たとえ彼女に分からないであろうことでも色々話をしていたという。だから彼女だって夫亡き後もああして領主として振る舞えているのではないのか?

 家令のルーペルト・アンブロスを始め多くの家来に色々とたすけられているとはいえ、領地経営は周囲が援けてくれたからというだけでやっていけるようなものでもあるまい。本人が判断しなければいけない事がたくさんある筈なのだ。

 いや、決してルキウスに万が一の事があった場合に自分が成り替わろうというような野心を抱いているわけでは無いが、話してくれれば女の身のアンティスティアにだって力になれる事はあるはずなのだ。

 だいたい、誰かに話を聞いてもらうというだけでどれだけ気持ちが軽くなることか・・・。


 なのに、ルキウスはアンティスティアに仕事の話をほとんどしてくれない。客人に紹介して欲しいと言ってもあんまり紹介してもらえない。昨日も一昨日もそうだ。

 ルキウスはアンティスティアが子供みたいにただ単に目立ちたがってるだけみたいに考えてるみたいだ。冗談じゃない。

 アンティスティアだって貴族にとっての社交が決して遊びなんかじゃないことぐらい承知している。遊び半分なんかで頼んでるわけでは無いのだ。


 アンティスティアは恨みがまし気にルキウスを見ながら小さくため息をついて食卓に付いた。

 二人はかごに入れられた白パンパニス・カンデドウスを手に取ってちぎると蜂蜜を塗り、口へ運ぶ。どちらもアルトリウシア市民の大部分は口にする事のない高級品だった。


「それで、あなたルキウス

 本日もお忙しいんですの?」


 アンティスティアは努めて平静を保って質問しているが、先ほどまでの恨み節を耳にしていたルキウスには心なしかなじるような響きが感じられた。

 ルキウスは口に入れたパンをミルクで喉へ押し込んでから答える。


「ん?ああ、しばらくは忙しくなりそうだ。」


 それほど急かしているつもりは無いのだが、ルキウスがパンを良く噛まないままミルクで無理やり飲み込んだのを見て、しまったという後悔半分、やはり後ろめたい所でもあるのかという勘繰かんぐり半分で少し気分がざわついてしまう。


「そんなに慌てないで、どうぞゆっくりお食べください。

 こういう時ですもの、お忙しいのは仕方ありませんわ。

 だからこそ、御身体を大事にしていただきたいのです。」


「ああ、ありがとう。

 寂しい思いをさせて済まないな。」


 ルキウスは小さく笑うように答えた。だが、その表情かおに何か寂しいものを感じてしまう。何か、距離をあけられているような・・・。


「そんな、私のことなどいいのです!

 でも、そう思って下さるならもっと私に色々話してくださいまし。

 女の私では分からない事もありましょうが、少しでも閣下ルキウスのお力になりたいのです。」


「ありがとう。すまないな。

 今は話せない事が色々あるのだ。

 だが、いずれ話せるようになったら話を聞いてもらうとも。」


「約束ですよ?」


「もちろんだとも。

 さあ、手が止まっているぞ?

 お前もお食べ。」


 アンティスティアはハイと答え、二人は食事を再開した。

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