第111話 ホーム・スイート・ホーム

統一歴九十九年四月十三日、朝 - アリスイア邸/アルトリウシア



 アルトリウスの初陣は統一歴九十六年二月・・・三年前の夏だった。

 当時のアルトリウスは前年の統一歴九十五年六月末日付で帝都レーマの兵学校を卒業し、同年十一月一日にアルトリウシア軍団に入団、同月二十日に筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスに就任したばかりの新米であった。

 軍団での生活にようやく慣れ始めた頃、南蛮サウマン豪族のアリスイ氏から共同での海賊討伐が持ち掛けられたことから始まった。


 アリスイ氏はアルトリウシアの南で境界を接する領域を治め、クンルナ山脈を挟んでサウマンディアと隣接するチューアとの交易によって財を成したコボルトの豪族だった。

 アリスイ氏のチューア貿易はアルトリウシア越しに直接交易船を行き来させていたのだが、アルトリウシアとアリスイ領のちょうど中間あたりに海賊が根城をつくり、この交易船を襲うようになっていたのだ。

 アリスイ氏にとって実力で海賊を討伐するくらいは簡単なのだが、場所が場所だけに安易に軍事行動を起こしてアルトリウシアを刺激し、レーマ帝国との間で本格的な戦端が開かれてしまう事を懸念し躊躇していたのだった。


 陸路を使った数度の書簡の往復を通して、当時のアルトリウシア子爵でありアルトリウスの実父であるグナエウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスはアリスイ氏との間で海賊討伐のための共同作戦実施と、その後の両者の間での通商について合意した。


 両軍は日付を示し合わせて海賊の根城となっていた島嶼とうしょの沖合で合流すると、一斉に攻撃を開始した。

 連合軍と海賊の戦力差は圧倒的だった。

 しかし、何故かしゃしゃり出てきていたハン支援軍アウクシリア・ハンのガレー船団が動きの悪さから弱兵であることを海賊たちに見破られ、脱出を試みた海賊船団の集中突撃を食らって壊滅的な打撃を受けてしまう。

 これにより一時包囲網が崩壊しそうになったのだが、近くにいたアルトリウシア艦隊がヘルマンニ提督の指揮の下、たちまち穴を塞いで海賊船を押し戻した。この時、海賊船に移乗し白兵戦を演じたのがアルトリウスだった。


 泳ぎが苦手なホブゴブリン兵は海戦も苦手だ。そんなホブゴブリンで構成されるアルトリウシア軍団にあって、コボルトの血を継ぐアルトリウスは泳ぎは得意な方だったため船上にあっても動きが鈍ることは無く、その活躍は大柄な体躯や特徴的な毛色も相まって遠くからでも目をいた。


「見よ、まさに壇ノ浦の源九郎義経の如し。

 かの若武者は何者ぞ!?」


 アリスイ氏側の族長であり大将でもあったコボルトの有寿夷ありすい盛伸もりのぶは軍配を指して部下に問うたと伝えられる。

 結果としてこの海賊討伐戦において連合軍は大勝利を納めた。

 包囲網突破を防いだのは正確にはヘルマンニの艦隊指揮のおかげであったが、アリスイ氏族側にはアルトリウスの働きによるものと見られたようだった。


 そしてそれが後に、アルトリウスの縁談のきっかけになった。


 南蛮とレーマ帝国は小競り合いと講和とを繰り返す緊張状態にあったが、アリスイ氏は一応レーマ帝国に属している筈のチューアとの交易を昔から続けていたし、アルトリウシアとアリスイ領の間には広大なアルトリウシア平原が広がっていて特に直接衝突するような事もなかった。

 アルトリウシア平原は広大だが土壌どじょうが塩分を含む柔弱にゅうじゃくな湿地のため、農地開発にも都市開発にも軍事行動にも向いておらず、アルトリウシア側にとってもアリスイ氏側にとっても使いみちのない土地であり、必然的に緩衝地帯バッファーゾーンとして機能していたのだ。


 アリスイ氏はアルトリウシアとの和平を望んだ。

 アルトリウシアとの和平が成ればアリスイ氏族はレーマ帝国との軍事的緊張状態から解放されるし、アルトリウシアを中継地として利用できるならチューア貿易も円滑になる。


 アリスイ氏の族長であるモリノブから娘をアルトリウスに嫁がせたいと申し出があったのは同年十一月の事だった。

 話はとんとん拍子で進んでいたが、翌年八月にアルビオンニウムがフライターク山噴火という惨事に見舞われ、その中でアルトリウスの実父グナエウスが死去してしまう。

 その混乱の中で縁談は棚上げされ一時は白紙になるかとも思われたが、アルトリウシア子爵家の御家騒動の影響で急遽縁談が推進されることとなり、翌年正月早々の輿入こしいれとなった。


 同時にアリスイ氏は娘をアルトリウスに嫁がせるにあたり、文化も習慣も異なる異国での生活は何かと困苦も多かろうということで、アルトリウシアに新婚夫婦のための邸宅を造営する事を申し出た。

 アルトリウスの母も南蛮豪族アサヒナ氏の出身であり、文化の異なるアルビオンニウムやアルトリウシアでの生活でかなりな苦労を重ねたこともあって、その申し出は快く受け入れられた。


 今、アルトリウスが向かっている未だ正式な名前も決まっていない邸宅は、アリスイ氏族によって造営されているものだ。アルトリウシア市民からは『アリスイ屋敷ドムス・アリスイ』とか『花嫁の家ドムス・ノヴス・スポンサ』とか『南蛮屋敷ヴィラ・サウマヌム』などと通称されている。


 ティトゥス要塞カストルム・ティティにも等しい広大な敷地を持ち、周囲を土塁と堀で囲っている。その土塁が独特で、下半分が石垣になっているが、上半分はなだらかに土を盛って一面に背の低い笹を植え、その上にさらに木と土で出来た塀を巡らしてあった。しかも塀には瓦葺かわらぶきの屋根が付いている。

 『オーテモン』と名付けられた正門ポルタ・プラエトーリアは巨大な木造建築で、門扉の上にやはり瓦葺きで木造の家屋が乗っていた。戦になったらその窓から鉄砲を撃つらしいが、普段はほぼ倉庫としてしか使われていない。


 中に入ればすぐに八頭立ての馬車でも問題なく回れそうな広い車回しロータリーがあり、その正面奥にはレーマ風の建物が建っているが、レーマ風なのはその一棟のみである。それはアルトリウスがここで生活するようになったら公務を行うために便利なように建てられた棟であり、その奥にある後宮とでも呼ぶべき私的エリアは完全に南蛮様式の建物となっていた。


 邸宅はまだ造営中だが、すでにアルトリウスの妻であるコト・アリスイア・アヴァロニア・アルトリウシアは昨年生まれたばかりの長男アウルスと、アルトリウスの妹グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・ミノールと共にここでの生活を始めている。

 ただ、アルトリウス自身は軍務の都合上、普段はマニウス要塞の陣営本部プラエトーリウムで生活していた。まあ、日帰り可能な短距離での単身赴任状態である。



 日の出と共に起き出したアルトリウスは身だしなみもそこそこに衣服を身に着けると、まだ召使たちに髭を剃らせていた養父ルキウスを訪れ、簡単な挨拶を済ませて馬を借り、そのままティトゥス要塞カストルム・ティティを飛び出した。今朝は朝食を摂らずに妻のもとへ行く事については、昨夜のうちにルキウスに話して了承を得てあった。


 アルトリウスが門前に到着した頃、妻の暮らす邸宅は既に門扉を開け放ち、門前には衛兵が両脇に立っていた。門衛はアルトリウスに気付くと、一人が慌てた様子で奥へ声をかけ、姿勢を正してアルトリウスを迎え入れる。馬に乗ったまま門をくぐると、あちこちから衛兵や使用人たちが慌てた様子でわらわらと現れ、アルトリウスを出迎えた。



「ようこそおいでくださいました。

 随分、お早いお着きで。」


「おはよう、ユルス!

 しかしそれは嫌味か?

 私は本当は昨夜帰って来るはずだったのだ。」


 アルトリウスは迎えに出てきた使用人頭の挨拶に応えると馬を降りた。


「昨晩は奥様も妹君も残念がっておいででした。

 ですが、アルトリウス様がおいで下さり、皆様きっとお喜びでしょう。

 今日はもうこちらに?」


「いや、昼までにマニウス要塞カストルム・マニへ戻らねばならん。

 馬はすぐに出せるようにしておいてくれ。」


 アルトリウスはユルスの質問に答えながら馬を預かりに来た馬房長に命じ、屋敷の玄関へ歩きはじめた。


「それはせわしない事で・・・朝食イエンタークルムはどうなさいますか?」


「食べさせてくれ、今朝はまだ何も食べていないんだ。

 皆はどうだ?もう食べたか?」


「はい、奥様も妹君も既に済ませてございます。

 南蛮風でよろしければ直ぐにでも御用意いたします。」


兄さまアルトリウス!」


小グナエウシアグナエウシア・ミノール!」


 姿を現したのは来月七歳になるアルトリウスの下の妹の小グナエウシアだった。

 父グナエウスが死んだ当初は養父ルキウス夫妻の元で面倒をみようという話もあったが、結婚してからはアルトリウスが父親代わりに接している。コボルトの血を引く彼女はアルトリウスがそうだったように同い年のホブゴブリンより大柄で既に大人のホブゴブリンに近い体格を持ち、力も強い事からホブゴブリンの使用人たちでは持て余してしまう事があるからだった。

 小グナエウシアはパッと微笑むと駆け寄ってアルトリウスに抱き着いた。

 ヒトなら十歳ぐらいでそろそろ異性を意識し始める年頃の筈だが、父親を亡くして間もないせいかアルトリウスに対して甘える癖がついてしまっているようで子守りナニーたちを少し心配させている。


「元気だったか?

 コトはどうしてる?」


 アルトリウスは抱き着いて来た妹をそのまま抱え上げて二、三度キスして訊ねた。


義姉コトさまは今、赤ちゃんアウルスにオッパイあげてる。」


「そうか、じゃあ私も朝ごはん食べるかな。

 お前は食べ終わったのか?」


 うんっと答える妹を抱えたままアルトリウスは玄関に向かって歩き始めた。

 ちなみに上の妹の大グナエウシアグナエウシア・マイヨルの方は現在レーマに留学中である。


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