第112話 ダイアウルフ対策

統一歴九十九年四月十三日、午前 - アイゼンファウスト/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件によって引き起こされた大規模火災の被災地域の復旧作業は、各地区の郷士ドゥーチェム任せになっている事もあって四日目となった今現在においてもなお進捗はかんばしくなかった。


 海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアは総面積に占める焼失面積の割合が最も高かったが、そもそも街の規模そのものが小さく隣接するリクハルドヘイムがほぼ無傷だったうえに、住民の多くが叛乱事件発生と同時に避難してしまっていたため、火災が発生した市街地の中では犠牲者数が最も少なかった。

 このため、焼失した市街地に残されていた死骸の収容作業はほぼ完了しており、埋葬もおそらく今日か明日には完了する見通しだった。


 ただ、身元の判明した死体については遺族が自分たちで埋葬したいと申し出ることがあり、そのせいで収容はしたものの埋葬されていない死体が少なからず発生していた。

 アンブースティアやアイゼンファウストでは死体の身元が分かったとしても、その遺族も一緒に被災していて弔いどころではないケースがほとんどなのだが、海軍基地城下町のブッカの場合は被害を受けなかったセーヘイムに遺族が残っている事が多く、死体の受け取りを希望する者が多かったのだ。

 それらの多くは川から海を通って船で運ばれている。



 しかし、アンブースティア地区やアイゼンファウスト地区は元々の面積も人口も海軍基地城下町とは比較にならない程大きく、焼失面積も犠牲者数も圧倒している。

 復旧作業にあてられるマンパワーももちろん大きいのだが、焼失面積の広さや犠牲者数に対する作業員一人当たりの負担を小さく出来るほど人材が豊富なわけでは無かった。

 アンブースティアもアイゼンファウストも、どちらも死体の収容作業はおそらく半分も済んでないだろうというのが関係各位の現時点での認識である。


 秋も深まっているとはいえ、四日目となればそろそろ死体がゾンビ化しはじめてもおかしくはない。

 今はとにかく収容作業に全力を注がねばならなかった。



 そんな中、アイゼンファウスト地区の郷士メルヒオール・フォン・アイゼンファウストの元へ近習きんじゅうのテオがリクハルドヘイムからもたらされたダイアウルフに関する手紙を持って来た。

 テオにそのまま手紙を読み上げさせたメルヒオールはつまらなそうに鼻を鳴らして溜め息をつく。


「昨日一昨日と狼の遠吠えみたいなのが聞こえてたが、あれダイアウルフだったってのか?」


 田舎とはいえアルトリウシアの近郊はかなりひらけており、山間部にでも入らない限り狼は出没しない。まして、山よりも海に近いアイゼンファウスト地区にまで狼の遠吠えが届くことなど、少なくともここ十年ほどは記憶に無い事だった。

 だから昨夜メルヒオール自身が耳にした遠吠えも、てっきり野良犬のものかと思っていたのだが・・・。


「この手紙によるとそのようです、旦那メルヒオール様。」


「なんてこった・・・で、目撃されたのは一頭だけなんだな?」


 メルヒオールは左手を額に当てると、顔をぬぐうようにその手を下へずらしていく。


「目撃されたのは一頭だそうです。

 あと、あの日に仕留め損ねた騎兵のうち、落伍してアルトリウシアに残っている可能性のあるのが六騎だそうで・・・」


「回りくどい言い方するな。」


 メルヒオールが如何にもウンザリしたという風に言うと、テオは怒られたと思って跳ねるように姿勢を正し、説明をし直す。


「はい!すみません・・・当日、《陶片テスタチェウス》を襲撃した騎兵が全部で二十三か二十四騎いたそうです。

 そのうち、仕留めた騎兵が八騎だそうで、残りが十五か十六騎です。

 その生き残りのうち九騎は海軍基地へ逃げるのが確認されたそうなので、六騎か七騎が逃げ遅れてアルトリウシアに残ってると・・・」


 話を聞きながらメルヒオールは口元に左手を持ってくると、鼻の下を人差し指でさするようにしながら北を見つめた。その方向にはヤルマリ川越しにリクハルドヘイムが見える。


「六、七騎か・・・だが、見られたのはダイアウルフ一頭のみか」


「て、手紙にはありませんが・・・」


 テオがおっかなびっくり口を開く。


「昨日、ダイアウルフの死体一つとゴブリン騎兵の死体が二つ見付かったそうです。

 これは手紙を持って来た方からうかがいました。

 その死骸を見つけたという報告が来たのが、手紙を書いた後だったそうで。」


 メルヒオールがテオをチラッと見ると、彼は不安で一杯という表情でメルヒオールを見つめていた。

 痩せてはいるが背はメルヒオールより頭一つ分以上は高く、歳もずっと若いこのヒトの男はつい最近メルヒオールの近習となったばかりだ。

 生ける伝説メルヒオールを目の当たりにして手紙を持つ手の指が微妙に震え、褐色の肌に脂汗を浮かべている。


 これからも毎日付き合わなきゃいけない相手に、一々そんなに緊張してたら身がもたんだろうに・・・。


「そうか、良く知らせてくれた。」


 テオを気遣きづかってメルヒオールがそういうと、テオは顔を綻ばせた。


「しかし、面倒が増えたな。

 そろそろゾンビ対策も考えなきゃいかんのに、ダイアウルフにも備えにゃいかんのか・・・。」


 瓦礫の中での死体の捜索と収容は結構な重労働である。焼けただれた死体を見つけ出し、瓦礫の中から掘り出し、それを墓穴まで運ぶ作業は肉体的にも精神的にも負担が大きい。ただでさえそうなのにしまっている死体はもろく、簡単に崩れるため運ぶのにも慎重を要する。

 死体がゾンビ化するようになれば、それに備えて武器も携行しなければならなくなるのだが、武器を持ちながらの死体の収容運搬作業は効率が悪くなる。武器と言っても棍棒で十分なのだが、嵩張かさばり邪魔くさいことに違いはないのだ。

 武器を持ったゾンビ対策用の兵士を用意するのが良いのだろうが、作業効率が悪くなるという点では変わりがない。


 なのにここへきてダイアウルフにも備えねばならない。

 相手は言葉こそ話せないが人間並みの知能と馬並みの体格と獅子並みの戦闘力を持つダイアウルフである。それも戦闘訓練を積んだ実戦経験もある現役軍用ダイアウルフだ。素人同然のアマチュア兵士チンピラ短小銃マスケトーナを持たせたところで大した役には立たないだろう。

 チンピラ風情が下手に銃撃したら、逆撃を食らって犠牲者の仲間入りしてしまうのは目に見えている。

 ダイアウルフと一対一タイマンなんてメルヒオールだって願い下げだった。


「リクハルドの奴ぁ何て言ってんだ?」


「はっ、はい!」


 メルヒオールが黙ったまま考え込んでいたため気が抜けかけていたテオは、急に質問を浴びせられて再び弾かれたように姿勢を正すと手に持っていた手紙を広げて内容を確認する。


「えっと・・・はい!

 当面は死体の処理を優先させ、それが終了次第兵を集めて捜索すると。」



 多分、巻狩まきがりでもするのだろう。

 しかし、出没地点がヤルマリ川付近である以上、追い立てられたダイアウルフがヤルマリ川を渡ってアイゼンファウスト地区へ逃れてくる可能性がある。

 ヤルマリ川を渡ってこないよう、リクハルドヘイムで巻狩りをやっている間、川沿いに兵を配置しなければならない。


 こっちは死体処理だけでもう手一杯だっていうのに・・・。



「よし、リクハルドの奴に手紙を書いてくれ。

 ダイアウルフを狩る時はヤルマリ川の南岸に兵を配置する。

 だから時間と場所が決まったら事前に教えろと。」


 メルヒオールはテオに命じた。


かしこまりました。

 では、それまでの我々の側の対策はどうしましょうか?」


「そうだな・・・当面、ヤルマリ川付近には誰も近づかない様にさせるしかないだろ。」

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