第470話 使われた大魔法

統一歴九十九年五月五日、夕 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシアアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子がリュウイチが居間代わりに使っている小食堂トリクリニウム・ミヌスへ入った時、リュウイチは寝椅子クビレに腰掛け、両膝に肘をついた状態で前かがみになり、両手で顔を覆っていた。


「ああ!ほら、来たよ兄さん!!」


 ネロがアルトリウスの入室を告げると、リュウイチの隣に赤ん坊を抱いたまま座っていたリュキスカがリュウイチに身体を寄せて呼びかけると、リュウイチは上体を起こし顔を上げた。アルトリウスの見たところ、冷静ではいてくれているようだ。よもや茫然自失となっていたり、あるいは焦燥に駆られ自制心を失っていたらどうしようかと思ったが、どうやら最悪の事態というほどでもないらしい。


 いや、まだそう判断するのは早い。


 アルトリウスは気を引き締めて「失礼いたします」と、まるで新兵であったころのようにやや上ずった声で挨拶をして入室すると、リュキスカはアルトリウスを出迎えるためにその場にスッと立ち上がった。アルトリウスを見るリュウイチの顔は何やら気まずそうな顔をしている。遅れてリュウイチも立ち上がった。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様が大魔法を使われたようだと伺いましたが?」


 リュウイチはやはり気まずそうに額に手をあて、目を閉じ渋面を作ると、何か思い切ったようにその手を下げ、表情を戻して視線をどこか床の隅っこの方へ泳がせてからアルトリウスを見た。何か知られたくないことを知られてしまった子供が親の詰問を逃れようとしているかの様である。


『ああ…はい、その…そうなんです。』


 てっきりルクレティアの危機を察し、ルクレティアのもとへ飛んで行こうとしているか、それとも何かそれに類する行為をしようとしているのではないかとアルトリウスは想像していた。大急ぎで駆け付けたのは、もしそうならばそれを防ぐことこそが、今のアルトリウスに対して大協約が求める使命に他ならなかったからだ。

 だが、リュウイチの様子からするとそうでもないらしい。


 ひょっとしてリュウイチ様がルクレティアにつけた《地の精霊》が、既に周囲にごまかしようのない影響を及ぼすような魔法を使ってしまったと言うことなのか?


 リュウイチの態度からは何かをやっちまったという失敗者特有の雰囲気が漂っている。それはそれで大問題だが、もしそうならそれ相応の対策を考えねばならない。そのためには、ともかく何があったのか状況を把握せねばなるまい。


「その…先ほども御説明いたしましたように、私どもと致しましても現地の事は分かりません。

 何が起こっているのか、お分かりの範囲でお話しいただいてもよろしいでしょうか?」


 アルトリウスは恐る恐る、やや目を泳がせながら尋ねると、改めてリュウイチの目を覗き込む。


『ああ…はい…その、まあ掛けてください。』


 リュウイチはそう言うとリュウイチが先ほど座っていた寝椅子の反対側にはる椅子を指し示し、自身も座った。アルトリウスも「失礼します」とことわってから、指示された椅子に腰かけ、それに続いてリュキスカもリュウイチの隣に赤ん坊を抱いたまま座った。

 アルトリウスは腰かけるとリュウイチの目を見て、無言のまま視線だけで「それで?」と話を促す。


『いやっ…えーっと…先ほど、ルクレティアにつけた《地の精霊》が結構な魔力を持って行きました。昨夜持っていかれたのよりずっと多いです。』


「それは…何か大魔法を使ったという事なのでしょうね?」


『ええ、そう…そうでしょうね…だと思います』


 ジッと見つめるアルトリウスに対し、リュウイチはどこか気まずげに視線を逸らす。それを不安げに、だが同時に微妙にいぶかし気にリュキスカが無言のまま見つめる。

 そのまま沈黙の時間が流れた。


「あの…それで、それがどういう事か、お分かりになりますか?」


 アルトリウスはリュウイチの分かる範囲で現地の様子を訊いたつもりだった。だがリュウイチの受け止めは違った。


 リュウイチはルクレティアに《地の精霊》を護衛兼サポート役として付けた。リュウイチはどうやらこの世界ヴァーチャリアでは魔法とか勝手に使っちゃいけないらしいということは理解している。リュウイチが持っている大量のアイテムも貨幣でさえも、どうやらこの世界ではとんでもない価値があるらしく、魔法だろうが道具だろうが不用意に使うととんでもない影響があるらしい。

 だからリュウイチは《地の精霊》に目立つようなことをするなと言いつけてあった。なのに《地の精霊》は一昨日、昨日、そして今日と立て続けに魔法を使っている。


 《地の精霊》が…つまり、間接的にリュウイチが…使っちゃいけない魔法を使ってしまった。その影響がどんなものか理解しているのか?


 リュウイチはアルトリウスにそのように詰問きつもんされているのかと勘違いしたのだ。


『ど、どういう事かとは?』


 気まずそうにリュウイチはゴクリと唾を飲んで訊き返す。


 不味いな~不味いな~…《地の精霊》がまた魔力を持ってったって、うっかり口にしたばっかりにリュキスカとネロが大騒ぎしはじめちゃった。


 リュウイチは昼の報告会でのこともあって、あまり事を大袈裟にしたくはなかったのだが、リュキスカが根掘り葉掘り聞き始め、その様子からネロがアルトリウスに報告に行ってしまったのだ。

 リュキスカからすれば先ほどの話からルクレティアが危険な目に合うかもしれないと言う風に状況を理解しており、そこへリュウイチがまた《地の精霊》が魔力を持って行ったなどと口にしたものだから、もしかして大変なことが起こっているかもしれないと本気で心配になったのだった。


 アルトリウスはアルトリウスでそのようなリュウイチの内心など知る由もない。リュキスカと同様に、聞く限り情勢不安定な現地でルクレティアを護るための《地の精霊》が大魔法を使ったと聞けば、ルクレティアの身に何かあったと考えるのは当然だったし、実際にそう考えていた。そして、ルクレティアに強力な精霊エレメンタルを護衛として付けたリュウイチが、精霊に大量の魔法を消費する大魔法を使われたとあれば現地の様子を心配しないわけがない…そう考えた。だからこそ、まずは分かる限り現地の情報を確認し、状況を整理し、リュウイチに落ち着いてもらって、助けに行くとか、あるいはそれに類する行為にはしるのを思いとどまってもらわなければならない。


「その…どういう事かというのは、《地の精霊》様が使われた魔法というのは、どういうものかはお判りになられないのですか?」


『ああ…いや、それは分からない。

 今まで使った事のある魔法でいうと、ゴーレム召喚を一気にたくさんやっちゃったみたいな…それくらいの魔力を使われた…みたい…』


 最後は口ごもるようにリュウイチがそう言うと、アルトリウスは息を吸いこみながらわずかに、そしてゆっくりと目を見開く。

 そしてアルトリウス、リュキスカ、更に室内にいたネロやオトといったリュウイチの奴隷たちが互いに目を見合わせる。


「ゴ、ゴーレムってこの間、庭園ペリスティリウムで創って見せた泥の巨人だろ!?

 あれって、あれじゃないのかい?凄いヤツじゃないのかい!?」


『え!?…あ、ああ…そう…かな?』


 混乱した様子のリュキスカの要領を得ない質問に、リュウイチがやはり要領を得ないあやふやな回答を返す。アルトリウスは頭を抱え、そのまま両手で髪の毛を撫でつけるように手を後ろにずらしてから頭をあげ、リュキスカに説明する。


「ゴーレム…大きさや種類にもよりますが、一番弱いとされるマッド・ゴーレムでも一体倒すのに一個百人隊ケントゥリアが必要とされています。

 頑強で知られるロック・ゴーレムならば、砲兵トルメントールの支援なしで軍団兵レギオナリウスだけで倒すとなると、一個中隊マニプルスでも足らない。無論、投擲爆弾グラナートゥム短小銃マスケートゥムを総動員しての話です。」


「そ…そんなのを、たくさん召喚できるほどの魔法!?」


 アルトリウスの説明に、リュキスカは顔を青くして腕に抱いた赤ん坊をギュッと胸に抱きしめる。それを見てアルトリウスはいつの間にか前かがみになっていた姿勢を正し、瞑想するように目を閉じて言った。


「それが攻撃魔法なら…歩兵隊コホルスを一個、まるごと壊滅させられるほどの威力があるかもしれません。」

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