第471話 捜索依頼
統一歴九十九年五月五日、夕 - 《
外はまだ薄い雲越しとは言え陽の光が降り注ぎ、路上で遊んでいた子供たちが友達とかわす別れの挨拶がぼちぼち響きはじめる時間だが、屋内では窓を開け放っていたとしても既に字を読むことが難しくなる程度には薄暗くなってきている。それなりの客層を狙った
店員たちが室内に火を灯し、冷めた香茶を新しく淹れなおして出て行くと、一時話を中断していたアグリッパ・アルビニウス・キンナは新しい
「ところで、最近南蛮商人は来たか?」
唐突に話題が切り替わったことに戸惑いながらラウリは答える。
「ええ、つい先日帰っちまいやしたが、アリスイのトキヤってぇ南蛮商人が来てやした。」
ラウリが用心深くアグリッパの様子を伺いながら答えると、口元へ茶碗を持って来て香茶の香りを楽しんでいたアグリッパは香茶をズズズ~ッと音を立てて啜り、
「他にはいないな?」
「ええ、トキヤだけでやす。」
確認するまでもなくアグリッパは少なくともこの五日で一隻しか南蛮船は来ていないことを知っていた。エッケ島に
「そいつはロウソクを扱っておるのか?」
「え!?…ええ、まあ…《陶片》で使ってる南蛮ロウソクはトキヤから仕入れてやすから…ロウソクの他にも色々手広くやってやすよ。」
「他には何を?」
「何でもでさぁ。
元々トキヤはチューアとの貿易をやる商人なんで、奴らにとっちゃアルトリウシアは単なる中継地なんでさぁ。アッシらぁたまたま昔からの義理があったんで、アルトリウシアへ寄ったついでにコッチが必要な南蛮商品を商ってもらってるだけでね。
アルトリウシアじゃぁアッシらの他に商売はしてねぇハズだ。」
トキヤはアリスイ氏族の領域を拠点とする貿易商でチューアとの交易の一端を担っている。アリスイ氏族自身が元々チューアとの交易で財を成した豪商で、西回り航路の貿易ではほぼ独占的な地位を築いていた。その中でトキヤが西回り航路でのチューア貿易が出来ているのは、トキヤがアリスイ氏族の分家と婚姻関係があったからである。本家であるアリスイ氏族があまり扱わない隙間商品を扱うことで、本家アリスイ氏との競合を避け、そこそこの利益を挙げている。そしてそのトキヤが扱う南蛮商品の一つがロウソクだった。
「ふ~む…義理というのは、海賊時代のそれか?」
アグリッパがラウリに流し目を使いながら口角を持ち上げて尋ねると、ラウリはへへっと小さくせせら笑った。
「お察しの通りで…奪った獲物は
アグリッパはフンと小さく鼻を鳴らし、茶碗を降ろすと両手のひらに包み込むようにもって揺らし、茶碗の中で回る香茶の様子を目だけで覗き込む。
「トキヤのロウソク…仕入れたのは誰か分かるか?」
「…ま、まあ、そりゃあね。《陶片》でもアッシらの抱えたそれなりの店でしか使いやせんから、代表してパスカルの野郎が仕入れて必要な店に
訝しみながらラウリが答えるとアグリッパは驚いてラウリの方へ顔を向けた。
「パスカル!?
リクハルド卿の配下のか!?」
「え!?…ええ、他にいねぇでしょ?」
アグリッパの様子にラウリが驚きながらも答えると、アグリッパは丸くした目をラウリに向けたまま茶碗を持ち上げて香茶をズズッと一口啜る。
「ど、どうかしたんですかい?」
様子を伺うように声を潜め、少し前かがみになりながらラウリが訊くとアグリッパは説明を始めた。
「一昨日、ティトゥス教会に南蛮ロウソクを寄付した男がいたそうだ。」
「ロウソクを寄付!?」
「南蛮商人とロウソクと聖書を交換したのだが、そいつの女房がキリスト者でな、聖書をロウソクなんかと交換するなと怒ったらしい。それでその男は仕方なく教会へ行き、新しい聖書を貰ってロウソクを寄付したとか…実はその男を探しておるのだ。」
アグリッパがそこまで言うとラウリは手品の種明かしをされた見物人のように笑顔を浮かべ、後ろへ上体を仰け反らせた。
「ハハッ、そいつぁ違いまさぁ。パスカルの野郎じゃねぇ。」
アグリッパは茶碗を太腿の上に下げて両手で包み持つと、ラウリの様子をジッと観察しながら重ねて尋ねる。
「違うのか?」
「トキヤがウチにロウソクを卸したのは先週の事でさぁ。
南蛮からチューアに行く途中で立ち寄った時にウチに卸していくんでね。
一昨日ってのはチューアから南蛮へ帰る途中でアルトリウシアへ寄ったんでさぁ。ウチは前回立ち寄った時に今月分のロウソクは仕入れちまってんだから、今週改めて買うわけがねぇ。」
アグリッパはラウリの方へ前のめりになっていた上体を戻した。
「ではそのトキヤという商人、今回は商売はしてないのか?」
ラウリは誰かの滑稽な失敗談でも披露するかのように前かがみになって半笑いを浮かべながら話し始める。
「もちかけては来たそうですがね。
何でも、チューアで売り捌くつもりだったロウソクが売れ残っちまったとかでね。だが、ウチはひと月分も仕入れたばっかだ。
しかもウチで抱えてる店で使うって言っても室内の照明に使うじゃねぇんで。店の表の看板を照らすのに使うだけなんでね。数があってもしょうがねぇんでさ。
だからパスカルの野郎も『買わずに追い払った』って言ってやしたぜ?」
「だが、寄付した者がおる…」
「だとすりゃ、ちっと分かりやせんねぇ。
トキヤとしちゃあダブついちまったロウソクをどうにかしたくてテキトーな誰かに話を持ち掛けたのかもしれねぇ。
実際、その寄付した男ってのも買ったんじゃなくて聖書と交換したんでしょ?」
「そのトキヤという南蛮商人…キリスト者なのか?」
ラウリは上体を起こし、ハッと短く笑った。
「まさか!
南蛮じゃ本ってなぁ何だって売れるんでさぁ。
特にレーマやチューアの本は大層な値が付くんだそうで…
トキヤとしちゃぁ余ったロウソクが売れねぇんなら少しでも売り物になりそうな本と交換したってトコじゃねえんですかね?」
ふーむ…と、長くため息をつきながらアグリッパは上体を背もたれに沈めた。
毒を仕込まれたロウソクのルートから犯人を探ろうと、アルトリウシアで最も南蛮との交流に熱心なリクハルドを通じて南蛮ロウソクの流れを掴もうと考えたのだが、思いもかけずに掴んだかと思った手がかりはどうやら見当はずれだったようだ。
難しい表情を浮かべるアグリッパの様子に、機嫌を損ねたかと心配になったラウリが様子を窺うように再び前かがみ気味にアグリッパの顔を覗き込む。
「そのロウソクを寄付した男ってぇのが、どうかしたんですかい?」
「いや、おそらくどうもせん…が、確認せねばならんことがあってな。」
アグリッパは表情を変えず、太腿の上で両手で包み持った茶碗を覗き込みながら言った。わずかに残った香茶はまだかすかに湯気を立てている。
「教会に寄付したってぇんなら教会に訊くわけにゃいかねえんで?」
「それが出来るならお前に訊いたりなぞするものか。
ともかく、トキヤとかいう南蛮商人からロウソクを受け取った男を探したい。
トキヤという商人を知ってるなら、探せるか?」
アグリッパはジロッと睨むように視線をラウリに向けて尋ねた。ラウリは片眉だけを持ち上げて小さく頷く。
「そりゃまあ、探せとおっしゃるなら探しやすがね。」
「内密に頼む。誰にも…特に教会には知られぬようにな。」
「また内密にですか…ええ、わかりやした。
探りやしょう。」
ラウリはアグリッパに気付かれない程度に小さくため息をついた。近頃「内密に調べてくれ」という注文がやけに多い。
アグリッパはラウリから視線を茶碗に戻し、残っていた香茶を一気に飲み干して言った。
「それともう一つ、調べて報告してほしいことがある…また内密にだ。」
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