第551話 新たな眷属

統一歴九十九年五月七日、晩 - ライムント街道ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



「ああ、《地の精霊アース・エレメンタル》様!」


 ルクレティアに呼び出された《地の精霊》が姿を現わすと、ルクレティアの周囲にいた者たちが一斉にひざまずいた。


『何か用か、娘御むすめごよ?』


「はい《地の精霊》様、私はこれから急いでブルグトアドルフの街へ行かねばならなくなりました。ですが街はまだ戦が治まっておりませぬ。

 それで、《地の精霊》様の御加護ごかごたまわりたく・・・」


 ルクレティアは申し訳なさそうに説明した。彼女が《地の精霊》を、自らが依頼した仕事の途中で呼び戻してしまうのはこれで二度目であった。自分たちより目上の存在に対して仕事をさせながら、しかもその途中で別の仕事をさせるために呼び戻す…常識的に考えて怒られても仕方のないことではある。ルクレティアは《地の精霊》の機嫌を損なうのではないかと不安に思ってはいたが、《地の精霊》は特に気にした風でもなく答えた。


『かまわぬ。

 ワシは元々、主様より其方そなたの警護を命じられておる。』


「ありがとうございます。

 それで…あの…『勇者団ブレーブス』の方はどうなっておりましょうや?」


 《地の精霊》に怒られることも覚悟していたが、特にそういう事もなく一応の安心はしたものの、かといってその結果『勇者団』が好き勝手に暴れてしまうようでは話にならない。


『ふむ、心配はない…川岸に居た者共は捕えたが、逃げ出したようじゃ。』


「逃げ出した!?」


 ルクレティアが訊き返すと、周囲で跪いたまま聞いていた者たちが一斉に「おおっ」と小さく声をあげ、安堵の笑みを浮かべる。

 例によって周囲の者たちには《地の精霊》の念話は聞こえていない。しばらく前に街で盗賊が待ち伏せている事をしらせてくれたときは緊急性が高いと判断したのか、《地の精霊》は他の者たちにも聞こえるように念話を使ってくれていたが、今はその必要性を感じないのか、またいつものようにルクレティア以外には念話を送っていなかったのだ。このため《地の精霊》の声はルクレティア以外には聞こえておらず、周囲の者たちはルクレティアの言葉から《地の精霊》の話の内容を推測するしかなかったのだが、ルクレティアが『勇者団』の動静を尋ねた後で「逃げ出した?」と訊き返したので、《地の精霊》によって『勇者団』が撃退されたのだと勘違いしたのだった。


「荊の桎梏」ソーン・バインドで縛り上げ、ストーン・ゴーレムを張り付けておいたのじゃが、「荊の桎梏」を破って逃げ出したようじゃ。

 ストーン・ゴーレムが追いかけておるが、あ奴ら馬に乗って逃げたので追いつけんようじゃの。』


 《地の精霊》の説明を聞いてルクレティアは慌てた。確かにすぐ近くにブルグトアドルフ住民を大勢引き連れている現状で『勇者団』を捕まえてきてもらっても扱いに困るため、捕まえなくていいとは言ってあった。だが、自由の身にされてしまったあげく、結果的にこちらに攻めて来られてはたまらない。


「それでは!

 まさかこちらに攻めてくることは!?」


 ルクレティアの慌てるような様子に周囲の者たちは話が見えず、動揺し跪いたまま互いに目を見合わせたりしてざわめき始める。


『いや、川に沿って南へ逃げおった。

 おそらく仲間と合流するのじゃろう。』


「仲間…ですか?」


『うむ、盗賊どもに街で騒ぎを起こさせ、自分たちでワシを引き付けておき、その隙に南の森に隠れておる仲間が、一昨日捕えた奴を助け出すつもりだったようじゃ。』


 つまり『勇者団』は再び自分たちをおとりにして《地の精霊》を誘き出し、その隙に南から別動隊による奇襲でメークミーを狙った事になる。《地の精霊》をまんまとおびき出したうえで別動隊と合流すべく南へ行ったと言うことは、メークミーを護送しているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアへの攻撃に加わろうとしているのかもしれない。

 ルクレティアは顔を青くし、両手を胸元でギュッと握りしめた。


「では、やはり攻めてくるのでは!?」


『いや…戦う意思は無いと言うておった。』


「戦う意思は無い?」


 そう言われてもにわかには納得しがたい。戦は既に始まっていて先行していたサウマンディア軍団には結構な被害が出ており、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子とジョージ・メークミー・サンドウィッチは共に重症を負っているという連絡が来ている。瀕死の重傷を負ったカエソーを治療するためにルクレティアにすぐにでも来てほしいと、サウマンディア軍団の連絡将校テッセラリウスが駆けて来たばかりなのだ。


『うむ、戦が始まったのは奴らの連絡の不備で手下が暴走したせいじゃと…

 街の上で爆発があったじゃろ?』


「はい…」


『あれが作戦終了の合図じゃったそうじゃ。』


「で、では、その南の森に隠れている仲間というのは攻めて来ないのですか?

 いやっ!…作戦終了ということは、まさかサンドウィッチ様はもう連れ去られた!?」


 ブルグトアドルフから駆けて来た連絡将校はカエソーが瀕死の重傷を負い、メークミーが治癒魔法で命を長らえさせていると言っていた。しかし、ブルグトアドルフの街の北側…つまりルクレティアたちがいる方は荷車などでバリケードが築かれ、周囲の住居と共に火がつけられて通れないため、連絡将校は街中央東側にある礼拝堂の裏口から出て農地を横断してだいぶ回り道をして来ている。ブルグトアドルフの街からここまで百ピルム(約百八十五メートル)あるかどうかぐらいだが、連絡将校は半マイル(約九百二十六メートル)以上は走ってきたはずであり、連絡将校が出発してからここにたどり着くまでの間に『勇者団』別動隊の襲撃があった可能性は否定できない。


『いや、あ奴の気配はあの街から動いておらん。今もまだあの街で地属性の治癒魔法を使いおるから、連れ去られてはおらんじゃろう。』


 聖貴族コンセクラトゥムが使う治癒魔法はだいたいが地属性か水属性のどちらかの精霊魔法である。メークミーの場合は地属性の魔法を得意としており、水属性の方は精霊との親和性に乏しく使えない。そして近くで地属性の魔法を使えば《地の精霊》は気づかずにはおれない。


「そう…なのですか?」


『うむ、南の奴らはまだ森に居った。

 攻めてこようとはしておったようじゃが、ワシが抑えようとしたら気付いて逃げおった。』


 だとすると作戦終了の合図に気付かなかったか、あるいは無視したのかしら?


 まさか南の森にいたナイス・ジェークが合図を出した張本人とは知らないルクレティアは見当違いな想像を弄ぶ。まあ、説明している《地の精霊》本人もイマイチ事件の経緯を把握しきってはいなかったのだから仕方がないのかもしれない。

 話にどこかに落ちないものを感じつつ、何故腑に落ちないのかに気付けないまま思考がほぼ停止状態になってしまったルクレティアをよそに、《地の精霊》は話を続けた。


『逃げはしたがどうもまだ街に未練を持って居ったようなので、街に近づかんように見張っておったのじゃが、そしたら其方が呼び出してくれよったでの…今、こうして戻ってきたわけじゃ。』


「それはっ!…その、お忙しいところを申し訳ありません。」


 《地の精霊》の説明にどこか非難めいたものを感じ、ルクレティアは慌てて頭を下げた。《地の精霊》はやっぱり仕事を中断させられたことを不満に思っているのだろうか?多少の後悔を覚えつつ不安を募らせるルクレティアに対し、《地の精霊》は先ほど同様にあっけらかんとした様子で応える。


『いや、良いのじゃ。』


 《地の精霊》の感情はどうも掴みにくい。アルビオーネは話してみると意外と人間っぽいところがあって念話から感情の起伏が感じられるのだが、《地の精霊》はどこかボンヤリしたような、のんびりしたような、何とも言えない雰囲気で感情の起伏がまるで感じられないのだ。

 しかし、街に盗賊が潜んでいる事を教えてくれたときは念話にもどこか緊張感のようなものがにじんでいたから、感情が無いわけではないようだ。ということは、怒りや不満めいた感じが伝わってこないという現状は、やはり言葉通り気にしていないのかもしれない。

 ルクレティアは気を取り直し、自分のせいで逃がしてしまったであろう南の別動隊のその後について尋ねた。


「で、では、その南に居た方たちは?」


『うむ、ワシの眷属けんぞくに任せてあるから安心するがよい。』


「けっ、眷属をお持ちだったのですか!?」


 ルクレティアは驚きの声を上げた。リュウイチによって先月末に召喚された《地の精霊》はこの世に生まれてからまだ十日と経っていない。この地に来たのも初めての筈だった。なのにもう眷属が居るとは想像すらしていなかった。

 《地の精霊》はルクレティアの疑問に自慢げに答えた。


『うむ、あの森におった精霊エレメンタルに魔力を与えてな、眷属にしてやったのじゃ』


 それはルクレティアが初めて目の当たりにする、《地の精霊》の楽しそうな感情だった。

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