第552話 迷いの森

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ」


 森の様子はいつの間にか一変してしまっていた。数十年前まで何も生えていなかった法面のりめんに樹木が自然に生い茂ったことで出来た森は、本来それほど大きく成長した樹木など生えている筈はない。実際、フォレストというよりウッズと呼んだ方が良い程度の樹勢じゅせいであり、背の高い樹木はどちらかというとまばらなぐらいで、背の低い樹木があるからこそ街道から身を隠せるような場所だった。真夜中に人が入ったとしても迷うような場所ではない。

 だが、今現在『勇者団ブレーブス』のナイス・ジェークとエイー・ルメオの二人がさまよっている森はそんな生易なまやさしい場所ではなくなっていた。あるはずもない一抱えほどもあるような老木が林立し、平らで歩きやすかったはずの地面は腕ほどもある木の根っこが地面から浮き上がるように縦横に走っている。月や星の明かりは一切入らず、暗視魔法があるからこそ足元や手近な部分は見えているものの、樹々の隙間の向こうはまるで同じ森が無限に広がっているかのようで何も見えない。

 かつて砦が築かれた丘に生えた森は、丘の頂上の第三中継基地サード・ステーションを中心に半径二キロ程度の広さしかないはずだというのに、彼らは随分と走り続けているにもかかわらずまったく森から抜け出せないでいた。


 ザワザワザワザワ…


 突然、前方で風も無いのに木々が揺れる音がする。そして、目を向けると一本の巨木がまるで意思を持った動物のようにうねるように動き、向きを変えていた。その向きを変えた巨木の幹には節穴が三つ開いており、上の二つがギラリと光る。

 それに気づいたエイーは慌てて減速しながら後ろの相棒に注意を喚起する。


「出たっ!!

 ナイス!また出た!!」


 つい先刻も二人は別の場所で別のトレントに襲われて逃げ出してきたばかりだった。戦闘の不得手なエイーを逃がすために時間を稼いでいたせいでエイーの後ろを走っていたナイスは、エイーに追いつくとサッと左右を見回し、開けている方を見つけると「こっちだっ!」とエイーを引っ張った。

 イチイチ戦っていてはキリがない。最初の内は現れたトレントに弓を射かけたり攻撃魔法を使ったりして戦っていたのだが、倒しきる前に別のトレントが現れて倒しきれなかったのだ。この調子だとこの森にどれだけのモンスターがいるのか見当もつかないし、魔力にも矢の数にも限りがある以上、無駄な戦闘は極力避けねばならなかったのだ。


「クソッ!何でこんなところにこんなにトレントなんか居るんだよ!?」


 トレントは樹齢数百年の古木に精霊が宿るなどしてモンスター化したものと考えられている。樹齢が百年に満たない木しか生えていないこの森には絶対に存在するはずの無いモンスターだ。なのにさっきから頻繁に現れている。一体のトレントをかわして逃げても百メートルと走らないうちに次のトレントが前方から襲い掛かって来るのだ。


 もう二人はすっかり息が上がっていた。いくら魔力で体力を強化できているとはいえ、平坦な場所ではないのだ。大の大人の太腿ほどもありそうな木の根が地面から浮き上がって縦横に走っているため、イチイチ膝を高く上げなければ走れない。ずっと腿上げをしながら走っているようなものだ。それを二人は何十分とずっと続けているのである。動きやすい格好をしているナイスはともかく、ローブ姿のエイーは基礎体力の貧弱さも相まってとっくに限界に達してしまっている。

 そしてついに、エイーは乗り越えようとした木の根っこに足の爪先を引っかけ、バランスを崩して転倒してしまった。


「あっ!?ぃてっ!!」


「エイー!大丈夫か!?」


 相棒が転んだ事に気付き、ナイスはすぐに立ち止まると慌てて駆け寄って来る。


「ううっ…大丈夫だ。これくらいは…」


「立てるか?…ほら、お前のワンドだ。」


「ああ、ありがとう…」


 エイーは立ち上がるとナイスが拾ってくれた杖を受け取り、折れたり傷ついたりしていないか確認する。幸い、何ともないようだった。


「さあ、行こうぜ…アイツらが追って来るぞ?」


 姿は見えないが、彼らが走ってきた方からはガサガサ、ザワザワとトレントたちが迫りくる音が聞こえている。


「待ってくれナイス・・・おかしいよ。この森は変だ。

 もうとっくに森から抜けてなきゃおかしいのに…」


「そんなのは分かってるさ!

 多分、あの《地の精霊アース・エレメンタル》のせいだ。

 俺たちを捕まえようとしているに違いない。」


 ナイスは苛立いらだつように言った。


「ナイス、落ち着いてくれ。

 俺たち、なんだかおんなじ所をグルグル回ってないか?」


「何だって?」


「だってほら、俺たちいつの間にかまた斜面を登ってる。」


 円錐えんすい状の丘の中央から森をまっすぐ西へ進もうとすれば下り坂しかない筈だ。なのに彼ら二人はいつの間にか斜面を登ろうとしていた。


「だけど、このまま下るとさっきのトレントにぶつかるぞ?

 遠回りだけどいったんこっちへ・・」


「ナイス!」


 焦るあまり思考停止に陥っているナイスをエイーは遮った。


「…な、なんだよ?」


「そのトレントだけど、あいつら動けないか、動けても脚は遅いはずだろ?」


「あ?…ああ」


 何を当たり前のことを言っているんだ?とばかりに、ナイスはどこか呆けたような表情を浮かべた。エイーはそれに構わず、さっきから頭の中でグルグル渦巻いていた疑問を口にし始めた。


「なのに俺たちが行く先々に現れる。」


「そりゃあ・・・この森にいっぱいいるって事じゃねえのか?」


「トレントなんてそんなに居るモンなのかい?

 この若い森に?」


 ナイスは周囲を見回した。確かに、本来なら若い森の筈だ。彼らが知っているこの森は、人間の腕ほどの太さしかないような若い木しか生えていなかったはずなのだ。だが、今彼らの目に映る樹木はいずれも樹齢数百年はあろうかという巨木ばかりが並んでいる。


「そりゃあ・・・あの《地の精霊》が・・・こんな風にしちまったんじゃないのか?」


「ナイス、さっき君は言ったろ?

 『森の精霊で、人を惑わして道に迷わせてしまう奴がいる』って…」


「あ?…ああ、確かに言った。」


「ひょっとして俺たち、そいつに騙されてずっと同じトレントのところへ誘導されてるんじゃないの?」


 何を言い出すんだ?…最初はエイーに対してそういう苛立ちを抱いていたナイスだったが、エイーの言葉にいくつか思い当たる点を思い出し、ナイスは急に黙りこくった。

 二人は互いに無言のまま目を見つめ合い、呼吸を整える。


「だけど、最初のトレントと戦った時、他にも二体目と三体目が出て来たぜ?」


「でも、あれからずっと一体しか見ていないだろ?

 とにかく、このまま逃げてちゃダメだ。

 いたずらに、体力を消耗させられてしまうだけだ。」


 ナイスは自分の今までの行動の間違いに気づき、頭を掻きむしる。だが答えは出せないまま間違っているという事実を突きつけられ、罪悪感からか却って冷静さを失い焦り始めた。


「そんな…どうする、どうすりゃいい!?」


「分からないよ!

 森とか山は君の方が専門だろ!?」


『フフッ、フフフフフ・・・』


 言い争う二人の頭に、唐突に女の笑い声が響いた。

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