第553話 暗転

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 ゴッゴッと靴底に鋲を打った軍靴が激しく床を蹴る音がいくつもけたたましく鳴り響き、階段を何者かが集団で昇ってくるのがわかる。


 やっと来たか…


 そう思いながらジョージ・メークミー・サンドウィッチは安堵のこみ上げてくるのを感じていた。彼はカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子に治癒魔法をかけ続けていたのだが、出血のためか思ったよりも消耗が激しく、先ほどカエソーの部下らしき軍人には「一時間はもつだろう」と言ったにもかかわらず早くも限界を感じ始めていたのだ。

 だが、それでも治癒魔法をかけるのをやめるわけにはいかない。重傷を負ってしまったカエソーはメークミーが治癒魔法を駆け続けているからこそ辛うじて命を保っている状態であり、今メークミーが魔力欠乏で辛いからと治癒魔法をかけるのを止めてしまえばカエソーは間違いなく死んでしまう。カエソーはメークミーを捕虜にした軍人であり、メークミーから取り上げた装備品を管理している張本人である。カエソーはメークミーの装備品をムセイオンに送り、ムセイオンで受け取れるようにすると言っていたが、もしもカエソーが死んでしまえば部下たちがその約束を守る保証はない。カエソーの死をメークミーのせいだと考え、その恨みを晴らすために装備品をさせてしまう可能性も考えられなくは無いのだ。


 だが、ルクレティアが、ルクレティア・スパルタカシアが来てくれればもう安心だ。伯爵公子も助かるし、自分も治癒魔法をかけてくれるだろう。

 ああ、また彼女の治癒魔法で癒してもらえるんだ。

 重傷を負ってまで伯爵公子に治癒魔法をかけた自分を見直してくれるだろうか?

 これだけ頑張ってるんだ、少しくらい褒めてくれたっていいよな?


 疲労もあって半ば朦朧もうろうとした意識の中でそんな甘い空想をもてあそんでいると、いよいよ足音が大きく強くなってきた。


 ドンドン


 強い調子でドアがノックされ、メークミーはビクッとして一瞬で目を覚ます。


 寝てた!?いや、寝てはいなかった筈…


「失礼いたします!!」


 いつの間にか夢うつつだったらしい。寝てはいないが半分寝ているような状態だったようだ。ドアはメークミーの返事を待つことなく開けられ、ゾロゾロと軍人たちが入って来る。それまでロウソク一本しか無かった薄暗い部屋に、新たな影とともに光が揺らめきながら入ってきたが、男たちは入口から数歩の所でピタリと脚を止めた。

 メークミーはそこにルクレティアの姿を期待して目を向けたが、その期待は裏切られ、事態を飲み込めないメークミーは思わず唖然としてしまう。そこには奇妙な格好をした大男が立っていたからだ。


 メークミーよりも長身で、やや細い身体つきをしているその男は真っ黒な影のようだった。最初、逆光で顔がかげっているのかと思ったがそうではない。肌が真っ黒なのだ。まるで影が人間の肉体を持ったかのように見えるが、二つの目がギョロっと開いており、妙に厚ぼったい唇が目と共に暗闇に浮かんでいるように見える。しかし、陰っているわけでは決してないことは、服装がちゃんとロウソクの明かりに照らされて見えることからも明らかだ。


 その服装がまた奇妙きみょう奇天烈きてれつだった。全体が明るい黄色い布と黒い布をチグハグに組み合わせた凝ったパッチワークで構成されている。

 上位は腰の腰ベルトから上の右胸と左袖、そしてベルトより下の左裾、左胸のポケット、頭にすっぽり被った頭巾フードの左半分が夜目にも鮮やかな黄色で、逆に腰ベルトより上の左胸と右胸ポケット、右袖、頭巾の右半分が黒い布で作られている。そしてその異常に膨らませた左右両肩と上腕部分にはいくつもの切れ込みスリットが付けられており、その切れ目から上衣の下に着ているのであろう真っ赤な鎧下ジャケットが覗いていた。

 上衣がふんわりとボリュームたっぷりに膨らんでいるのに比べ、ズボンはまるでタイツのようにピッタリと脚に張り付いたタイトなもので、右脚が黄色で左脚が黒の布で作られている。

 ブーツと手袋と腰のベルトは真っ赤に染めた革製で、艶めく革ベルトには金色のバックルがキラキラと金色に輝いていた。言い忘れたが上衣のボタンもやけに目立つ大きさの金色だ。

 そして首には白くてフワフワの襞襟ひだえりを巻いているが、何よりも目を引くのはその股間からニョッキリと突き出ているオレンジ色をした突起物だ。怒張した男根を模した股袋コッドピースがブラブラと揺れて、全体がどれほど奇妙な格好でもまずそこへ目を吸い寄せられてしまう。

 まるで道化師のようであるが、腰に下げた軍剣カッツバルケルと小脇に抱えた全鋼鉄製のバイザー付きサレットが彼が軍人であることを物語っていた。


閣下レガトゥスムセイオンの聖貴族コンセクラトゥス・ムセイウム、ジョージ・メークミー・サンドウィッチ様です。

 サンドウィッチ様、こちらはアルビオンニア軍団軍団長アンバサダー・オブ・ザ・アルビオンニア・レギオンアロイス・キュッテル閣下です。


 ……サンドウィッチ様?…サンドウィッチ様!?」


 あまりに異様な風体ふうていの男が現れたことに驚き過ぎたあまり、カエソーの部下が紹介しているにも気づかずボカーンと唖然としたままアロイスの様子を見っぱなしのメークミーだったが、繰り返し名前を呼ばれてようやく我に返った。


「え!?あ!?」


「えっと、ですからアルビオンニア軍団軍団長のアロイス・キュッテル閣下でございます。」


「あ!…ああ、すまない、驚いたもので私は痛っ!?」


 相手が高級軍人であることにようやく気付いたメークミーは、思わず怪我をしているのも忘れて立ち上がって挨拶しようとし、まだ弾の残っている脚の激痛で現実に引き戻された。


 クソ、何をやってるんだ俺は…


 痛む足を両手で押さえながら思わず自己嫌悪に陥るメークミーに、アロイスは慌てたように声をかける。


「おお!怪我をしてらっしゃるのですから、どうかそのままで…」


「うう…ううむむむ…すみません、お見苦しいところを…

 ジョージ・メークミー・サンドウィッチです、閣下。」


 メークミーが顔に苦悶くもんの表情と脂汗を浮かべて自己紹介すると、つい先ほどまで仏頂面ぶっちょうづらだったアロイスはニコッと笑みを浮かべて挨拶を返した。


「アロイス・キュッテルです。

 どうぞお見知りおきを…ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子を魔法で治癒していただけたそうで、感謝申し上げます。」


「いえ…ううぅ…ふむぅ…ふぅ…いえ、当然のことをしたまでです。

 ああ、先ほどはすみません、てっきりスパルタカシア様がおいでになったものと思ったものですから…」


 引かない痛みに堪えながら、メークミーは先ほど驚き過ぎて礼を失してしまった事を詫びた。さすがに相手の格好に驚いた事には振れなかったが…。


「事情はこちらの百人隊長センチュリオンから伺っております。

 ルクレティア・スパルタカシア様は多分、間もなく来るでしょう。」


 アロイスはブルグトアドルフの街に突入後、割とすぐに街中央の広場まで到達することが出来た。街道上には盗賊の姿は無く、左右の住居からも盗賊たちは逃げ出した後だったからだ。アロイスが率いてきた部隊は既にもぬけの殻となった住居を、盗賊が残っていないかどうかを確認するための点検作業に移っている。そしてアロイスはカエソーの部下たちを見つけ、礼拝堂に重傷を負ったカエソーが収容されている事、捕虜となったムセイオンの聖貴族が魔法で延命していることなどの説明を受けたのだった。


「そう…そう願いたいものです…」


 メークミーは青息吐息で応える。一度は魔法で抑え込んだはずの痛みが、先ほど立ち上がろうとしたのを機に一挙にぶり返してきたのだ。


「大丈夫ですか?

 だいぶ具合が悪いようだ。」


「ええ、少し…キツいですな…ですが、まだ、スパルタカシア様が来るまでは、もう少し、頑張らないと…」


 そう言うとメークミーは上体を起こし、再びカエソーに治癒魔法をかけ始める。だが、とうに限界に達しているのだろう、メークミーの手とカエソーの身体はわずかに緑色がかった光を発していて確かに魔法が発動しているようだが、メークミーのまぶたは次第に下がり、今にも落ちそうだ。


「おお、サンドウィッチ殿!どうかご無理はなさらずに!」


「いえ、まだ大丈夫です。


 しかし閣下…」


「何ですかな?」


「アルビオンニア軍団レギオン大使アンバサダーと伺いましたが…軍使トゥルース・ベアラーなのですか?

 だとするとカエソー閣下はまだしばらくは…」


 メークミーはアロイスの役職を英語でアンバサダー・オブ・ザ・アルビオンニア・レギオン…つまりアルビオンニア軍団の大使と紹介されたため、てっきりアルビオンニア軍団からカエソーにつかわされた軍使であろうと勘違いしていた。カエソーはこの通り意識不明の重体で、ルクレティアが来るまで回復はしないだろう。回復したとしてもおそらくまともに口が利けるようになるのは明日ぐらいになるはずだ。つまり、軍使がここで待っていたとしても全くの無駄である。

 メークミーが何を言いたがっているかに気付いたアロイスは小さく笑った。


「ああ!それは翻訳がいささか不正確ですな。

 アンバサダーというのはラテン語のレガトゥスを直訳してしまったものでしょうが、レーマ軍のレガトゥス・レギオニスというのは本来の意味からすると軍団長レギオン・リーダー軍団司令官レギオン・コマンダーになります。」


 アロイスは顔だけはメークミーへ向けたままアロイスを紹介した百人隊長を横目でチラッと一瞥いちべつしながら言うと、百人隊長は誤訳をとがめられていることに気付きギクリとして姿勢を正した。


軍団長レギオン・リーダー?!

 …では、将軍ジェネラルではないですか!

 軍団を率いて来られたのですか?」


 半ば朦朧もうろうとした意識の中ではあっても、その意味に気付いたメークミーは驚いた。そして、まるですっかり酩酊めいていした酔っぱらいのような妙にゆったりとした動きでアロイスの顔へ視線を向ける。


「ええ、一個大隊バタリオンほどですが…もう街は制圧して、安全を確保してあります。

 どうかご安心ください。」


 レーマ軍の大隊が来襲して街を制圧してしまった…スワッグは、他のみんなは、無事に逃げられたんだろうか?…


「サンドウィッチ殿!?」

「大丈夫ですか、サンドウィッチ殿!?」


 メークミーは目の前が暗くなるのを感じながら、ザーザーと急激にうるさく鳴り始めた耳鳴りの向こうで、遠くから名前を呼ばれているような気がしていた。

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