第1220話 サウマンディア軍団の到着

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ ブルクトアドルフ/アルビオンニウム



 レーマ帝国の軍用街道ウィア・ミリタリスは帝国支配のかなめだ。軍団レギオーそのものの移動はもちろん、通信の輸送をも支える街道が無ければ、軍団の戦略的機動的運用は実現しない。「ローマは兵站へいたんで勝つ」は、ここヴァーチャリア世界のレーマでも同じなのだ。ゆえに、レーマ帝国はあらゆるインフラの中でも軍用街道と関連設備の整備を最重要視する。しかし、サウマンディア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・サウマンディイアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスの見たところ、ライムント街道はレーマの誇る軍用街道の理想的姿とはかけ離れた様相を呈していた。

 重装歩兵ホプロマクスが八列縦隊で行進できるだけの幅を持つ石畳の街道そのものは整えられたままに特に傷んだ様子は無いが、左右の法面のりめんは人の腰の高さを上回る草が生い茂っている。季節が季節なだけにその多くは枯れ草だが、これでは法面が法面としての役割を果たしていない。街道左右の法面は見晴らしをよくすることで人が隠れる場所を失くし、街道を行く軍勢に対する待ち伏せ攻撃や商隊に対する盗賊の襲撃を防ぐためのものだ。だというのにこうも草が生い茂ってはどこへでも好きなように隠れることができるだろう。この枯れ草に火でも放たれれば、街道上の軍勢はそれだけで大打撃を受けてしまいかねない。


 ひどい有様だ……


 他人の領地とはいえ同じレーマ帝国、軍団を預かる身としては溜息を禁じ得ない。だが、それが仕方がない事も良く分かっている。理由は簡単、この街道を利用する者が居なくなってしまったせいだ。

 一昨年、火山災害を受けてアルビオンニウムが放棄されて以来、ライムント街道の起点となるアルビオンニウムは無人地帯となってしまっている。街道を行き来する軍勢も商隊も無いのだから、警備も最低限しか置けない。中継基地スタティオは一応残されているが、中継基地に配置された警察消防隊ウィギレスたちだけで街道を整備することなど出来はしないのだ。わずか数十人の彼らが街道周辺のパトロールの片手間に出来るのはせいぜい街道上の異物の除去と、自分たちが駐屯する中継基地周辺の整備ぐらいなものである。

 では本来なら街道周辺の法面の草刈りを誰がどうやっているのか? それは羊飼いたちの仕事だ。羊飼いが羊や山羊を引き連れて街道に沿って移動し、法面の草を羊や山羊たちにませることで法面の草が一定以上成長しないようにしていたのである。

 が、今やアルビオンニウムは無人の廃墟と化し、羊飼いたちも家畜と共に避難させられたため、アルビオンニウム周辺に街道沿いの法面の雑草を処理してくれる存在は居なくなってしまった。それから二年、手付かずになった法面は最早荒れ放題であり、普通に見回しても腰ぐらいの高さの草が一面に生え、ところどころに人の背丈よりも高い茂みさえ出来上がってしまっている。何とかしなければならないだろうが、しかしアッピウスにとっては他人の領土、サウマンディアの貴族がアルビオンニア属州の街道について文句を言うわけにはいかない。


 だが、このまま放置というわけにもいかんな……


 この周辺地域はこれからアッピウス率いるサウマンディア軍団の活動地域となるのだ。敵対してくるかもしれない『勇者団』ブレーブスを名乗る聖貴族捜索のためには、軍団が奇襲を受ける危険性はなるべく除去せねばならないだろう。

 アッピウスは一昨日始めて会った、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスを思いうかべた。


 確かフルーギー……ユーニウスといったか?

 面倒そうな奴だったが、職務には実直そうだ。

 奴に言えば雑草コイツをどうにか出来るかもしれん。


 他人の領土である以上、雑草であっても勝手に処理することははばかられる。だが、その領土で管理を担当している者に話を通せば、一応筋は通したことになるだろう。どうせこれから会うのだ。ブルクトアドルフに残されているという家畜どもを使って、どうにかできないか訊いてみよう。


 そんなことを考えているうちに彼の軍勢の隊列はブルクトアドルフの街へ近づいてきた。馬上からは既に戦禍にまみれたブルクトアドルフの街並みと、その先にある今日の目的に、第三中継基地スタティオ・テルティアのある丘が見えている。街の周辺の農地では既に牛や羊たちが放たれ、街では住民たち十数人……いずれも男たちがガレキの撤去などに追われていた。

 しかし、サウマンディアの軍勢が近づいて来るのを見ると作業の手を止め、街道沿いへと集まって来る。


万歳フッラーサウマンディア軍団万歳フッラー・レギオン・サウマンディア!!」

レーマに勝利をレーマ・ウィクトリクス!!」

サウマンディア万歳ウィーウァット・サウマンディア!」

伯爵様万歳フッラー・ヘル・グラーフ!!」


 街道沿いに出て来た住民たちは汚れた、みすぼらしい恰好のまま手を挙げ、拳を振り、アッピウスとその配下の軍団兵レギオナリウスたちにドイツ語とラテン語の入り混じった歓声をあげて精一杯の歓迎を示した。

 数百人の軍勢を歓迎するのはわずか十数人……いずれも一昨日来た際に見た顔ばかりである。それが今、ブルクトアドルフに残っている住民の全てだった。彼らにとっても一昨日の記憶は新しく、アッピウスらが憎き盗賊団の残党を掃討しに来てくれたことを憶えており、また期待もしている。

 今更取り返せる物など無いだろうが、せめて仇は討たねば死んだ仲間たちが浮かばれない。復興も大事だが、無法な行いには血の報復フェーデこそ成されねばならぬのだ。

 ささやかではあるが声をらしながらの必死の声援に、馬上のアッピウスは無言のまま手を挙げて応える。


 ふむふむ、いいぞお前たち。

 人数は物足りないが、その声に応えるのは悪い気はせん。


 貴族ノビリタスとはこういう賞賛をこそ喜ぶものなのだ。人々の期待に応えてこそ、その名声は高まる。そして名声は権勢へとつながるのだ。

 しかも今、ブルグトアドルフの住民たちから寄せられている期待は、これからアッピウスが成そうとしていること。どのみち片づけねばならない仕事なのだ。だが誰にも評価されない仕事など貴族の仕事ではない。他所の領民とはいえ、こうして住民たちが自分の仕事に期待し、そして名声を高めてくれるとあればアッピウスにとってそれは喜ばしいことなのだった。


 さて、噂のハーフエルフ様はいずこかな?


 アッピウスは既に勝利を確信していた。甥のカエソー率いる二個百人隊ケントゥリアを襲撃したものの結局蹴散らされた盗賊団。ハーフエルフの用兵ぶりは軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクス・ウァレリウス・カストゥスから報告を受けているが、それでも正規軍とぶつかれば鎧袖一触がいしゅういっしょくは間違いないのだ。しかも三百いた盗賊団も残り二十ほどと見積もられているとなれば、六個百人隊……アルビオンニウムに残してきた予備兵力を含めれば十個百人隊もの部隊を率いるアッピウスの勝利は疑いようがない。あとは無事見つけることができるかどうかだけだ。


 土地勘に乏しいのは我らもハーフエルフも同じ。

 だが我々は地元警察消防隊ウィギレスの協力を取り付けたのだ。

 それに、さっきのあの様子なら地元民も積極的に協力するだろう。

 不安要素はもはや一つもない。


 半ば廃墟となりかけているブルグトアドルフの街を抜けたアッピウスは、配下の軍勢と共に第三中継基地へ続く坂道を登り始めたのだった。

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