第678話 今後予想される襲撃
統一歴九十九年五月八日、午前 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム
人との付き合いにおいて「貸し/借り」というものは必ず生じるものである。そして恩や仇を返し、あるいは返してもらってキッチリ清算することは、人間同士の信頼関係を築き、維持する上で非常に重要だ。信用や信頼というものは、この人に良いことをすれば良いことが返って来る。悪いことをすれば悪いことが返って来る……そういう実績を積み上げる事によってでしか築き上げることはできない。しかも実績の積み上げには非常に長い時間と手間がかかるのに対し、壊れるのは非常に簡単なうえに一瞬でマイナスにまでなってしまう。だからこそ、「貸し/借り」の清算は普段から意識し続けなければならない。これが
何か助けてもらった時、あるいは良くして貰えた時に「ありがとう」と礼を言うのはとても重要だ。特に
借りを作るのが嫌だからといってコレを怠ったところで、出来てしまった借りが無くなることは無い。
だが謝辞を述べることで借りの存在を明確化すると、それによって付け込まれる余地を失くすことができる。借りはありますよ。でも必ず返しますよ……そう宣誓し、借りを返す意思を明らかにすることで、返すタイミングや返し方をこちらで選べるようにするのである。
カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子がルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアに、アロイス・キュッテルに命を救われたことに対して一早く謝辞を述べたのはそうした背景があった。今の彼は伯爵公子としてサウマンディアの利益を最大化しなければならない立場にある。すなわち、捕虜の扱いだ。
今、カエソーはムセイオンからの脱走者……すなわち、『
つまり、カエソーはやや大げさなくらいに謝辞を述べることで、今回捕虜となったジョージ・メークミー・サンドウィッチとアーノルド・ナイス・ジェークの二人の扱いについて、アルビオンニア側に譲歩するつもりは無いという意思を明確化したのである。
もちろん、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとアロイス・キュッテルの二人にそうした意思は無い。ルクレティアはとにかくリュウイチの
もっとも、それをカエソーに口頭で伝えたところで、カエソーがそれを信じるわけもない。二人はひとまずカエソーの意思を理解し、それを示すために謝意を受け止める他なかった。
「では、挨拶も済んだことですし、いつまでも立ち話はなんですわ。
両閣下ともどうぞお掛け下さい。」
ルクレティアが勧めると、カエソーとアロイスはそれぞれ「失礼します」などと礼を述べ、三人とも椅子に腰かけた。
「伯爵公子閣下が今朝、御目覚めになられたのは本当に良かったですわ。
おかげで伯爵公子閣下を交えてお話しできますもの。
実は今後どうするかについてご相談するために、キュッテル閣下に起こしいただいたんです。」
アロイスが今日、午前のうちにこちらへ訪れることは昨夜のうちに決めてあったことだ。ルクレティアたちは『勇者団』と『勇者団』が率いる盗賊団につけ狙われるという状況で
カエソーは魔法で治癒したのだからおそらく朝には目覚めるだろうという目算はあった。仮に目覚めなかったとしても、今後の対応は一度話し合う必要がある。それでブルグトアドルフを発つ前にアロイスに来てもらって、カエソーが目覚めるにしろ目覚めないにしろ、今後どうするかを打ち合わせることにしていたのだ。
「今後の事……ですか。」
カエソーはポーカーフェイスを保ったまま緊張を高めた。捕虜の扱いについては譲歩するわけにはいかない。そのカエソーの内心をある程度予想はしながら、今度はアロイスがルクレティアの後をとって説明を続ける。
「我々の任務は第一にルクレティア様を御守りしつつアルトリウシアへお運びする事。次にブルグトアドルフ住民の安全を確保する事です。それを、リュウイチ様とその眷属であらせられる《
ですが、ここで一つ新たな問題が生じました。」
アロイスの説明に慎重に耳を傾けながら、カエソーはアロイスの説明する彼らの任務の中に『
「《
『
ジッとアロイスの目を見つめながらカエソーはアロイスの説明を聞き、そして無言のまましばし考えた。
アロイスはルクレティアの護送を最優先の任務と位置付けている。次いでブルグトアドルフ住民の安全確保だ。そして捕虜や未だ捕まっていないハーフエルフたち、そして彼らが使役する盗賊団については触れていない。
つまり、アロイスはあくまでも自分たちはルクレティアとブルグトアドルフ住民の安全だけが任務であるということにしたいのだ。そのうえで、ハーフエルフたちによる襲撃に備えねばならなくなった‥‥‥ということは、ハーフエルフたちによる捕虜奪還が自分たちの任務完遂の支障になるから主導権を、すなわち捕虜たちの身柄をアルビオンニア側へ引き渡せということか?
それはカエソーにとって飲めない要求である。が、まだアロイスはそれを直接口にしてはいない。これからそう言う方向へ話を誘導していくのだろうが、こちらが早合点して勇み足を踏めば、却って相手の要求を通してしまう事になりかねない。
カエソーは少し話を逸らして様子を見ることにした。不意にスーッと息を吸い、おもむろに話し始める。
「昨夜の襲撃は
捕虜奪還の可能性を考えなかったわけではありませんでしたが……」
「聞いたところによると、完全な奇襲だったようですね。」
「お恥ずかしい限りです。
彼らの目的がアルビオンニウムでの降臨であるのなら、アルビオンニウムから離れてまで捕虜奪還に乗り出してくる可能性は低いだろうと思っていたのです。まして、彼らは一昨日、兵力の過半を失う大損害を出したばかりだったはずですからな。」
参った……とでもいう風にカエソーが
「いや、そのように考えるのは無理からぬものだと思います。
兵力の大半を失った翌日に、自分たちの三倍の兵力の敵を攻撃するなど正気の沙汰とは思えません。」
「ええ、彼らを見誤っていたとしか言えません。
しかし、こうなると確かに、閣下がおっしゃったように再度の襲撃も想定せねばなりますまい。彼らは昨夜、なけなしの兵力をほぼ摺りつぶしてしまった。ですが、彼らにとっての最大戦力はまだ残っている。」
「……ハーフエルフ……ですか?」
アロイスがカエソーの顔をジッと覗き込むように言うと、カエソーはコクリと頷いた。
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