第678話 今後予想される襲撃

統一歴九十九年五月八日、午前 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 人との付き合いにおいて「貸し/借り」というものは必ず生じるものである。そして恩や仇を返し、あるいは返してもらってキッチリ清算することは、人間同士の信頼関係を築き、維持する上で非常に重要だ。信用や信頼というものは、この人に良いことをすれば良いことが返って来る。悪いことをすれば悪いことが返って来る……そういう実績を積み上げる事によってでしか築き上げることはできない。しかも実績の積み上げには非常に長い時間と手間がかかるのに対し、壊れるのは非常に簡単なうえに一瞬でマイナスにまでなってしまう。だからこそ、「貸し/借り」の清算は普段から意識し続けなければならない。これが貴族ノビリタスや政治家、商人ならば猶更なおさらである。


 何か助けてもらった時、あるいは良くして貰えた時に「ありがとう」と礼を言うのはとても重要だ。特に貴族ノビリタスにとって感謝の言葉とは、ただ言えば良いというものではなく、今受けた恩はいずれ必ず返しますよという宣言としての意味が含まれている。自らにがあることを素直に認め、明確にし、そしていつか必ず返すと約束する意味もあるのだ。

 を作るのが嫌だからといってコレを怠ったところで、出来てしまったが無くなることは無い。有耶無耶うやむやにしようとすれば、有耶無耶にしようとした事実が逆にとなってし掛かり、却って本来より多く返さねばならなくなってしまう。さもなければ忘恩ぼうおんと評価され、人々の信用・信頼を失ってしまうだろう。中にはそこに付け込み、法外な要求をしてくる愚か者も存在する。


 だが謝辞を述べることでの存在を明確化すると、それによって付け込まれる余地を失くすことができる。借りはありますよ。でも必ず返しますよ……そう宣誓し、借りを返す意思を明らかにすることで、返すタイミングや返し方をこちらで選べるようにするのである。

 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子がルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアに、アロイス・キュッテルに命を救われたことに対して一早く謝辞を述べたのはそうした背景があった。今の彼は伯爵公子としてサウマンディアの利益を最大化しなければならない立場にある。すなわち、捕虜の扱いだ。


 今、カエソーはムセイオンからの脱走者……すなわち、『勇者団ブレーブス』のメンバーの身柄を預かっている。この世界ヴァーチャリアで最も高貴な彼ら聖貴族コンセクラトゥムの身柄を確保することは、辺境の一領主にとっては将来計り知れない利益をもたらす得難い機会だ。ただでさえ降臨者リュウイチの身柄をアルビオンニアへ譲り渡してしまっている今、これ以上の失点を重ねるわけにはいかない。せめて彼らの身柄だけは自分たちで確保し、将来のサウマンディアの利益に繋げなければならないのだ。それはカエソー個人ののために、フイにして良いようなチャンスではない。

 つまり、カエソーはやや大げさなくらいに謝辞を述べることで、今回捕虜となったジョージ・メークミー・サンドウィッチとアーノルド・ナイス・ジェークの二人の扱いについて、アルビオンニア側に譲歩するつもりは無いという意思を明確化したのである。


 もちろん、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとアロイス・キュッテルの二人にそうした意思は無い。ルクレティアはとにかくリュウイチの聖女サクラとしての務めを果たすことしか頭に無かったし、アロイスはアロイスで自分たちアルビオンニア属州はリュウイチの対処とエッケ島へ逃げ込んだハン支援軍アウクシリア・ハンの対応だけで手一杯であり、ここへ来て『勇者団』を名乗る聖貴族コンセクラトゥムの面倒まで見るつもりも余裕もないことを理解していたからである。

 もっとも、それをカエソーに口頭で伝えたところで、カエソーがそれを信じるわけもない。二人はひとまずカエソーの意思を理解し、それを示すために謝意を受け止める他なかった。


「では、挨拶も済んだことですし、いつまでも立ち話はなんですわ。

 両閣下ともどうぞお掛け下さい。」


 ルクレティアが勧めると、カエソーとアロイスはそれぞれ「失礼します」などと礼を述べ、三人とも椅子に腰かけた。


「伯爵公子閣下が今朝、御目覚めになられたのは本当に良かったですわ。

 おかげで伯爵公子閣下を交えてお話しできますもの。

 実は今後どうするかについてご相談するために、キュッテル閣下に起こしいただいたんです。」


 アロイスが今日、午前のうちにこちらへ訪れることは昨夜のうちに決めてあったことだ。ルクレティアたちは『勇者団』と『勇者団』が率いる盗賊団につけ狙われるという状況でサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアと行動を共にしているのである。カエソーが重傷を負って意識を失ったまま、自分たちだけで勝手に行動するわけにはいかない。

 カエソーは魔法で治癒したのだからおそらく朝には目覚めるだろうという目算はあった。仮に目覚めなかったとしても、今後の対応は一度話し合う必要がある。それでブルグトアドルフを発つ前にアロイスに来てもらって、カエソーが目覚めるにしろ目覚めないにしろ、今後どうするかを打ち合わせることにしていたのだ。


「今後の事……ですか。」


 カエソーはポーカーフェイスを保ったまま緊張を高めた。捕虜の扱いについては譲歩するわけにはいかない。そのカエソーの内心をある程度予想はしながら、今度はアロイスがルクレティアの後をとって説明を続ける。


「我々の任務は第一にルクレティア様を御守りしつつアルトリウシアへお運びする事。次にブルグトアドルフ住民の安全を確保する事です。それを、リュウイチ様とその眷属であらせられる《地の精霊アース・エレメンタル》様の存在を秘匿したまま実行せねばなりません。

 ですが、ここで一つ新たな問題が生じました。」


 アロイスの説明に慎重に耳を傾けながら、カエソーはアロイスの説明する彼らの任務の中に『勇者団ブレーブス』や捕虜に関することが何もないことに気付いていた。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様によれば、『勇者団ブレーブス』を名乗る一味は捕虜の奪還を目論んでいたようです。しかし、彼らの作戦は失敗し、救出するどころか新たに一人、捕虜を増やしてしまった。

 『勇者団ブレーブス』があくまでも捕虜の奪還を目指すのであれば、我々は今後も昨夜の様な襲撃を想定し、対処しなければなりません。」


 ジッとアロイスの目を見つめながらカエソーはアロイスの説明を聞き、そして無言のまましばし考えた。


 アロイスはルクレティアの護送を最優先の任務と位置付けている。次いでブルグトアドルフ住民の安全確保だ。そして捕虜や未だ捕まっていないハーフエルフたち、そして彼らが使役する盗賊団については触れていない。

 つまり、アロイスはあくまでも自分たちはルクレティアとブルグトアドルフ住民の安全だけが任務であるということにしたいのだ。そのうえで、ハーフエルフたちによる襲撃に備えねばならなくなった‥‥‥ということは、ハーフエルフたちによる捕虜奪還が自分たちの任務完遂の支障になるから主導権を、すなわち捕虜たちの身柄をアルビオンニア側へ引き渡せということか?


 それはカエソーにとって飲めない要求である。が、まだアロイスはそれを直接口にしてはいない。これからそう言う方向へ話を誘導していくのだろうが、こちらが早合点して勇み足を踏めば、却って相手の要求を通してしまう事になりかねない。

 カエソーは少し話を逸らして様子を見ることにした。不意にスーッと息を吸い、おもむろに話し始める。


「昨夜の襲撃はカエソーにとっても想定外でした。

 捕虜奪還の可能性を考えなかったわけではありませんでしたが……」


「聞いたところによると、完全な奇襲だったようですね。」


「お恥ずかしい限りです。

 彼らの目的がアルビオンニウムでの降臨であるのなら、アルビオンニウムから離れてまで捕虜奪還に乗り出してくる可能性は低いだろうと思っていたのです。まして、彼らは一昨日、兵力の過半を失う大損害を出したばかりだったはずですからな。」


 参った……とでもいう風にカエソーがかぶりを振りながらこぼすように言うと、アロイスはカエソーの落ち度を責めることも無く慰める。


「いや、そのように考えるのは無理からぬものだと思います。

 兵力の大半を失った翌日に、自分たちの三倍の兵力の敵を攻撃するなど正気の沙汰とは思えません。」


「ええ、彼らを見誤っていたとしか言えません。

 しかし、こうなると確かに、閣下がおっしゃったように再度の襲撃も想定せねばなりますまい。彼らは昨夜、なけなしの兵力をほぼ摺りつぶしてしまった。ですが、彼らにとっての最大戦力はまだ残っている。」


「……ハーフエルフ……ですか?」


 アロイスがカエソーの顔をジッと覗き込むように言うと、カエソーはコクリと頷いた。

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