第677話 カエソーの謝意

統一歴九十九年五月八日、午前 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 ブルグトアドルフの街の中心にある礼拝堂は街で最も大きく立派な建物であったこともあって、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子、そして二人の護衛部隊たちの本営兼野戦病院として使われている。

 礼拝堂の内外はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの将兵が忙しく出入りし、昨夜の騒動の片付けと出発の準備作業に追われていた。それらの作業がいつも以上に忙しかったのは、想定外の業務が降って沸いたことによる。


 昨夜の盗賊団との戦闘によりサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアは少なくない損害を出していた。死者は七名ほど、重軽傷者は三十人以上にも達している。ところが、その重軽傷者はルクレティアの依頼を受けた《地の精霊アース・エレメンタル》の治癒魔法によって夜明けを待たずに完治してしまっていたのだ。

 それ自体は当事者からするとありがたい限りである。負傷兵はただでさえ自力での行動に支障があるうえに、看護等のために他の無傷の兵士を拘束してしまう。一般に負傷兵が一人いれば、看護したり負傷兵と看護する兵士の荷物を代わりに運んだりするために二人以上の兵士が別途必要になってしまうのだ。仮に三十人の負傷兵が居れば、単純計算で六十人の兵士が負傷兵の世話に忙殺されることになり、合計九十人が戦力として使えない状態になってしまう。《地の精霊》の治癒魔法はそうした、用兵家にとって頭痛の種となりやすい負傷兵の問題を一夜にして解決してくれたのであるから、感謝されこそすれ面倒など増えるはずもない。


 ところが現実はそこまで甘くなかった。この世界ヴァーチャリアの一般常識では、いにしえゲイマーガメルと違って今の神官たちが使える治癒魔法の効果は限定的なものでしかなく、一夜にして重軽傷者が回復してしまうなんてことはあり得ない。昨夜あれだけ激しい戦闘を行い、実際に戦死者が七名も出てしまった部隊で、翌日に負傷兵が全く居ないというのは不自然極まりないのだ。

 リュウイチという降臨者が存在し、そのリュウイチによって使役される強大無比な力を有する《地の精霊》が存在していることを知っている者たちにとってそれは疑問に思う必要など無いことではあるのだが、それらの事実を知らない者にとって負傷兵が翌朝全員回復しているという状況はのである。そして彼ら将兵はリュウイチの存在も《地の精霊》の存在も知らないブルグトアドルフの住民たちとシュバルツゼーブルグまで行動を共にしなければならないのだ。


 結果、彼らは負傷兵が存在することを偽装しなければならなくなった。怪我を治してもらった元・負傷兵たちは重軽傷者を演じ、他の将兵も負傷兵の面倒を見る看護兵の演技をすることになってしまったのである。


 なんでそんなバカなことを‥‥‥


 兵たちの中にはそのように思わなかった者も居ないではない。だが実際に自分自身が、あるいは大切な戦友が命を助けられたばかりであり、なおかつその恩人であるルクレティアがそうした演技をしてもらう事を必要としているとなれば、馬鹿げていると安易に拒絶することも出来なかった。

 兵たちは傷の癒えた身体に一度はまとった洗いざらしの清潔な衣類を脱ぎ、あえて昨夜の血と泥で汚れた衣服に着替え、キレイに洗った身体に血と泥と煤を塗りたくって汚し、苦笑いを噛み殺しながらウンウンと苦しそうに唸る演技をしはじめる。中には悪乗りして手足に当てた添え木を過剰に縛ったり、あるいは苦しそうなフリをして看護兵役の仲間に無理難題を言う馬鹿もいた。

 そして彼らにわか役者たちの演技は、観客の到着によって本格的にスタートしたのであった。


 第三前哨基地スタティオ・テルティアからアロイス・キュッテルが部下と住民の代表者たちを引き連れてブルグトアドルフを訪れたのは、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアに面会し、昨夜命を救ってくれたことに対する礼を述べている最中のことであった。

 アロイスは騎乗したまま礼拝堂の前まで進むと馬を降り、やけに熱のこもった演技を続ける役者たち様子に怪訝な表情を浮かべながら中へ入り、手近な兵士に取次ぎを頼む。

 アロイスが連れて来た何も知らない兵士たちは大半が新兵だったこともあり、場の雰囲気にすっかり飲まれていたので、彼ら俄か役者の演技は成功したと言って良かったが、アロイスが同時に引き連れてきていたブルグトアドルフ住民たちは俄か役者たちが作り上げた幻想の野戦病院には目もくれることなく各々我が家へ駆け込み、必要な荷物を改めて持ち出したり家畜の世話をすべく厩舎へ急いだりしており、こっちの方に関しては全くと言って良いほど無駄な努力に終わっていた。


 ルクレティア、そしてカエソーへ取り次いでもらったアロイスは、会見の場‥‥‥おそらくは応接室タブリヌムへ案内してもらいながら、案内してくれている兵士に訊ねる。


「ところでこの様子は一体何なのだ?

 兵士たちは全員治していただいたのではなかったのか?」


「ハッ、治していただいたのでありますが、あれだけの怪我人が一夜にして全員完治するのは不自然でありますから、治癒していただいた兵士らは負傷兵を演じることになったのであります。」


 照れ臭そうに答える兵士にアロイスは「なるほど」と、どこか釈然としない様子で感想を述べ、内心で呆れかえっていた。


「アルビオンニア軍団長アロイス・キュッテル閣下がお見えになりました。」


「入っていただいて。」


 ルクレティアが待っているはずの部屋へアロイスが入室すると、ルクレティアと共にカエソーが起立してアロイスを迎える。


おはようごうざいますグーテン・モーゲン、キュッテル閣下。」

御無沙汰ごぶさたですな。

 ごきげんようサルウェー、キュッテル閣下。」


 二人から歓迎のあいさつを受け、アロイスも答える。


ごきげんようサルウェー、昨夜は御活躍でしたなルクレティア様。

 御無沙汰しております。無事、御目覚めになられたようで安心しましたサウマンディウス伯爵公子閣下。」


ルクレティアは大したことはしておりません。

 すべてリュウイチ様と《地の精霊アース・エレメンタル》様の御加護のおかげです。」


 ルクレティアが歳に似合わぬつつしみ深さで謙遜けんそんすると、それを打ち消すようにカエソーが賞賛の言葉を並べ立てる。


「うむ、カエソーも今まさに御礼申し上げていたところなのだ。

 たしかにリュウイチ様と《地の精霊アース・エレメンタル》様の御加護ではあろうが、それを我らにもたらしてくださったのは間違いなくルクレティア様を置いて他に無いのですからな。まさに命の恩人!

 返しきれぬ恩が出来てしまいました。

 そうそう、閣下にも御礼申し上げねばならぬ。閣下が助けに来て下さらなければ、私も私の部下たちも命が無かったやも知れぬ。」


 カエソーは昨夜瀕死の重傷を負っていた物とは思えぬほどの饒舌ぶりを披露する。その陽気さは普段の彼の様子からも少し想像するのが難しいほどであり、一種の噪状態と言えるかもしれなかった。

 アロイスはそんなカエソーの様子に少し気圧されながら苦笑いを浮かべる。


「いえ、私の部下たちが突入した時、既に盗賊どもは閣下の部下によって追い払われている最中でした。私が突入を命じなくても閣下の部下たちは盗賊たちの大半を捕らえていた事でしょう。

 むしろ、私と私の部下たちは閣下と閣下の部下たちの手柄を、横からさらったようなものです。」


「そのようなことを言ってくださいますな!

 閣下とルクレティア様にお助けいただいたのはまぎれもない事実。

 礼は受けていただかねば、私は忘恩のそしりをまぬがれませぬ。

 どうか私に恥をかかせてくださいますな。」


 不意打ちによって重傷を負い、意識を失ってしまった。そして命を救われた上にナイス・ジェークという捕虜を引き渡してもらった。それは今更誤魔化しようのない事実である。を作ってしまった‥‥‥それは本当なら避けたい事ではあるが、かといって有耶無耶うやむやにしてよいことではない。そんなことをすれば、却っては大きくなってしまう。カエソーとしてはそのようなことは避けねばならなかった。

 本来造るべきではない借りを作ってしまったが、作ってしまった以上は返さねばならない。礼を言う……それはただ単純に感謝を伝えるというだけでなく、そうした貸し・借りを清算する決意があることを明らかにすることでもあった。そしてそれは、彼がまぎれもなく上級貴族パトリキとして社交界での己の立場を確固としたものにしていく覚悟をも示している。


 これを下手に遠慮したり断ったりするのは決して謙譲の美徳などではなく、却ってカエソーに要らぬ恥をかかせ無礼を働くことになってしまう。ルクレティアとアロイスは一度互いに視線を交わし、カエソーの感謝を素直に受けたのであった。

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