第676話 新たな捕虜

統一歴九十九年五月八日、朝 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「そう、サウマンディウスカエソー閣下も御目覚めになられたのなら良かったわ。

 お身体は大丈夫だと思うけど、御加減はどんな様子かしら?」


 朝食イェンタークルムを終えたルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアは護衛隊長のセルウィウス・カウデクスから報告を受けていた。


「はい、どうも昨日のことをよく思い出せない御様子ですが、配下の百人隊長ケントゥリオからの報告で状況は御理解いただけておられるようです。

 今は朝食を摂っておいでで、後でルクレティア様に御礼申し上げたいと‥‥‥」


 昨夜、ブルグトアドルフの街で盗賊団の待ち伏せに遭い、瀕死の重傷を負ったカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はルクレティアの治癒魔法によって回復した。リュウイチから貰った『聖なる光の杖』ワンド・オブ・ホーリー・ライト『魔力共有指輪』リング・オブ・マナ・シェアリングによって行使が可能となった高度な治癒魔法だけあって、カエソーの身体は傷跡一つ残さずに回復を遂げており、少なくとも身体の方に問題は生じていない筈である。

 ただ、その後も眠り続けていたため大事をとってそのまま自然に目が覚めるまで寝かせて置こうということになり、カエソーは寝たままの状態で御付きの使用人たちによって服を着替えさせられ、別の部屋へ移されていたのだった。


 カエソーが目覚めたと聞いてルクレティアもセルウィウスもひとまず安堵する。ルクレティアの一行はカエソー達サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアと同行はしているが、どちらか一方がもう一方の統一指揮下に入っているというわけではない。よって、この後も予定通りに移動するとなると、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアはカエソーが意識を失ったままの状態でルクレティアの一行に同行し続けることになるが、最高責任者であるカエソーが意識を失ったままの軍団レギオーが、他人の領地であるアルビオンニアで行動を続けるのは何かと問題がある。一時はカエソーが目覚めるまでブルグトアドルフに留まり続けねばならなくなるのではないかとの懸念もあったのだが、こうして無事に目覚めて意識を回復してくれたことで予定通りに移動を続けられる目途が立った。


「わかりました。

 今後のこともありますし、閣下の準備が整い次第お会いしましょう。」


かしこまりました。

 ではそのように先方にお伝えします。」


「サンドウィッチ様と、もう一人の方の御様子はどうかしら?」


 負傷と魔力欠乏によって失神したジョージ・メークミー・サンドウィッチはカエソーよりも早く目覚めたことは既に報告を受けている。そして昨夜、《森の精霊ドライアド》から引き渡されたもう一人の『勇者団ブレーブス』のメンバーの方はまだ眠ったままとのことだったが、そちらの世話はメークミーと共にルクレティアの従兄のスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルに任せてある。


 スカエウァも昨夜はルクレティアがカエソーやメークミーの治癒に向かっている間、一階の礼拝所に集められた負傷者の治癒活動に当たろうとしていたのだが、大量に発生していた負傷者はルクレティアからの依頼を受けた《地の精霊アース・エレメンタル》が片っ端から治癒してしまったことで活躍の機会を失ってしまっていた。片付けの指示などはしていたが、そんなものはハッキリ言ってスカエウァのような神官じゃなくても出来る事である。


 貴族ノビリタスという者は特にそうだが、男という者は自分の存在意義を示せない状況には本能的に危機感を抱く生き物である。男女問わず自分が「居なくてもいい存在」になってしまう事には拭いようのない不安を抱くものなのだが、こういう緊急事態や火事場や戦場は男にとって自分の存在価値を示す絶好の機会なのである。負傷者が大量に発生している今、若いにもかかわらず血統ゆえに高位な神官として治癒魔法を使うことができるスカエウァは無くてはならないと言って良いほどの存在感を示せるはずだった。


 が、スカエウァは存在感を示せなかった。

 神のごとき力を持つ《地の精霊アース・エレメンタル》なんてものに出て来られては所詮ただのヒトに過ぎないスカエウァごときではかなうわけがない。

 普段、スパルタカシウス・プルケル家の子として偉そうに振舞いながら肝心の場面で神官としての役割を果たせなかったスカエウァは自分が役に立てていないことに焦り、カエソーが寝ている間の捕虜の管理や世話を買って出るなど上級貴族パトリキらしからぬ積極性を示し、やけに熱心に働いていたのだった。


「昨夜、《森の精霊ドライアド》様からお引き渡しいただいた聖貴族コンセクラトゥスはまだ御目覚めになりません。

 ですが、サンドウィッチ様にミスリルの弓をお見せしたところ、アーノルド・ナイス・ジェーク様の持ち物であるとお教えいただけました。」


「では、昨夜の方のお名前はナイス・ジェーク様で間違いないようね?」


 昨夜、《森の精霊》から『勇者団』のメンバーを一人、捕虜として受け取りはしたのだが、その名前や素性は不明なままだった。何せ当の本人は魔力欠乏で意識が無く、彼を知っているであろうメークミーもカエソーの命をつなぎとめるために治癒魔法を使いすぎて魔力欠乏で失神したままだったからである。

 だが今朝、目覚めたメークミーに捕虜と一緒に受け取った魔導弓をスカエウァが見せたところ、メークミーが「ナイスの弓だ」と証言してくれたのだった。


「間違いないでしょう。

 弓は『アイジェク・ドージ』という銘のある魔道具マジック・アイテムだそうです。

 聖貴族が聖遺物アイテムを他人に譲渡したり、預けたりすることはあり得ないそうですから、持ち主であるナイス・ジェーク様以外がアレを持っている筈がないと……」


「そう、お名前が知れて良かったわ。」


 セルウィウスが力強くうなずくと、ルクレティアはフゥッと小さく安堵の溜息をついた。それとは対照的にセルウィウスの方は少し言い難そうに躊躇ためらいながら言葉を続ける。


「それで、サンドウィッチ様なのですが‥‥‥」


「サンドウィッチ様がどうかなさったの?」


「はい、ジェーク様にお会いになることを御所望だそうでして‥‥‥」


 セルウィウスの報告にルクレティアは一瞬目を丸くし、息を吸いながら小さく背を伸びあがらせた。そのまま二人はしばし無言で見つめ合う。


「それは私がどうこう言えることではないのではなくて?」


 不意に訪れた緊張の瞬間は数秒と続かなかった。セルウィウスがルクレティアに話を持ち掛けたことで、ルクレティアは一瞬年齢相応の単純さで呆気なく許可しかけたが、上級貴族パトリキらしい慎重さでもって口まで出かかっていた返事を飲み込み、否定する。


「やはり‥‥‥ですか‥‥‥」


「それはそうよ。

 サンドウィッチ様もジェーク様もサウマンディウス閣下の捕虜なのよ?

 私が彼らの扱いについてどうこう言えるわけはないわ。

 サウマンディウス閣下に御判断いただくほかないでしょう。」


 ルクレティアの声には少しばかり叱責の色があった。ルクレティアが言ったようにメークミーやナイスの身柄はカエソーの管理下に置かれているものである。確かにナイスを受け取った時にカエソーはベッドで寝ていたし、もしかしたら今も昨夜新たに捕虜が増えたことを知らないのかもしれない。それでも『勇者団』の事は既にサウマンディウス伯爵家へ(面倒事を避けたいがために)丸投げしてあるのだから、新たに捕虜が出たと言うのであればたとえカエソー本人が知らなかろうが手柄も責任もカエソーに引き渡さねばならない。

 セルウィウスとしては現状で最高位の上級貴族はルクレティアなのだから、序列に従ってルクレティアの意を最も尊重すべきだと考えたのだが、もしもここでルクレティアがナイスやメークミーの処遇について勝手に判断を下せば、間違いなく越権行為になってしまう。後々問題になるかも知れなかったし、ルクレティア個人としてもスパルタカシウス家としてもカエソーやサウマンディウス伯爵家にを作ってしまいかねなかった。ルクレティアはそこに気付き、危うく自分に間違いを犯させようとしたセルウィウスを言外に責めたのである。


 何でそんな話を私に持ってくるのよ……

 というか、スカエウァはどういうつもり?


 セルウィウス自身もおそらくスカエウァからメークミーがナイスに会わせろと要求していることを伝えられたに違いない。セルウィウスは特に深く考えることも無く、スカエウァに言われたからルクレティアに話を持って行っただけなのだろう。だとしたら、スカエウァが何か勘違いをしているとしか思えない。もっとも、それでもセルウィウスはルクレティアに話を持ってくる以前に気付くべきではあったが‥‥‥。


「ハッ、申し訳ありません。

 先方にはそのようにお伝えいたします。」


 セルウィウスは棒を飲んだように姿勢を正すとそう答え、ルクレティアの前を辞去した。

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