第503話 空振りになった晩餐会

統一歴九十九年五月六日、夕 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 ルクレティアとヴァナディーズが夕食ケーナを摂っている小食堂トリクリニウム・ミヌスとはさほど離れていない大食堂トリクリニウム・マイウスでは、ケレース神殿にいる高級軍人たちが夕食を共にしていた。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアからは筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子、第八大隊コホルス・オクタウァを率いる大隊長ピルス・プリオルのピクトル・ペドー、他百人隊長ケントゥリオが四人ほど。それに神官のスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルが加わっている。対してアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアからは軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスとルクレティア護衛隊の百人隊長ケントゥリオが二人だけだ。護衛隊長のセルウィウス・カウデクスの姿はここには見えない。


 セルウィウスはブルグトアドルフ住民らが避難している宮殿跡の方へ行っていた。そこで現在の状況と今後の方針について説明する必要があったからだ。それだけなら連絡将校テッセラリウスを派遣するだけで済む話ではあるのだが、ブルグトアドルフ住民の感情を考えるとそうもいかない。

 ただでさえ彼らは被害を防ぐことが出来なかった。ブルグトアドルフで住民の半数以上が死傷するという大損害を生じさせ、しかも盗賊を退治することができなかった。おまけにここアルビオンニウムへ来るまでの道中もどんどん先に行ってしまい、ブルグトアドルフ住民を守ろうとしてくれなかった。さらに昨夜、アルビオンニウムの廃墟が炎に包まれる中で彼らの救援に駆け付けたのはアルトリウシア軍団でもアルビオンニアの軍でもなく、お隣のサウマンディアの軍団だったのだ。

 このため、ブルグトアドルフ住民の間ではアルトリウシア軍団に対してかなりの不満が溜まっている。仕方がなかったとはいえ、かなり不味い状況だった。


 そこで軍団レギオーが住民たちのことを見捨てているわけではないことを示すためにも、彼らとのコミュニケーションを緊密にする必要があることから、護衛隊の最高責任者であるセルウィウスが、現在事実上ブルグトアドルフからの避難民らを統率している第三中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニス・テルティアシュテファン・ツヴァイクらとの会食を共にすることになったのだった。

 その会食にはサウマンディア軍団第八大隊の百人隊長も四人が出席することになっているため、不満を貯め込んだブルグトアドルフ住民側の代表者がセルウィウスに文句を言ってきたりすることは無いとは思うが、まあ損な役回りではあるだろう。


 そしてもう一人、本来なら居るべきはずの招待客も姿を見せていなかった。

 昨夜捕虜となった『勇者団ブレーブス』のジョージ・メークミー・サンドウィッチは昼の尋問の様子から会食くらいはもう大丈夫な程度には回復できているだろうという判断から再び招待されたのだが、やはりまだ回復しきっておらず体調がすぐれないと言って出席を断ってしまっていた。

 彼の世話を任されている女性神官によると、晩餐への招待を告げたところ、返事をする前にルクレティアは出席するかどうかを尋ね、出席しないと言ったら体調が悪いから出席しないと言い出したのだそうだ。


 ルクレティア様が出席すると言えば出席したのだろうか?


 彼らは当然そのように勘繰かんぐったが、だからといって軽々しくルクレティアを引っ張り出すわけにもいかない。先週までならいざ知らず、今のルクレティアは降臨者リュウイチの正式な聖女サクラなのだ。彼らの政治的意図で好き勝手に利用して良い手駒などではない。

 同じ理由からメークミーがルクレティアに好意を寄せているとしても、あいにくとそれを後押ししてやるわけにもいかない。本来、ゲイマーガメルの血を直接引いているメークミーに自分たちの身近な女性が好意を寄せられているとしたら彼らは喜んで後押ししただろうが、さすがに既にリュウイチの聖女と決まっているルクレティアがその相手とあっては諦めてもらうしかなかった。

 ただ、問題はリュウイチの存在をまだおおやけにできない事から、メークミーにそのことを告げることが誰にもできないと言う事だった。


「それにしても参りましたな。

 すくなくとも体力はもう回復している御様子でしたのに…」


 セプティミウスは今回の晩餐ケーナの主催者であるカエソーを慰めるように言うと、カエソーは何でもないという風を装って答えた。


「一度は意識を失うほどの魔力欠乏に陥っておられたのだ、致し方ないのかもしれん。」

「やはり、二~三日はかかると思った方が良いのでしょうかな?」


 レーマ軍が実用化に成功した魔道具マジック・アイテムである魔導の大楯マギカ・スクトゥムは飛んで来る矢玉を減速させて無力化する効果がある。噂によれば大砲の弾を一人で防ぐこともできると言われているが、魔道具だけあって魔法を使えない一般の軍団兵レギオナリウスでも使えはするものの、使用すると使用者から強制的に魔力を奪ってしまう欠点があった。

 複数枚を並べて使用することで一人の兵士に負担が集中しないように運用されてはいるが、それでも銃砲弾を集中的に浴びたり、長時間にわたって銃砲撃を受け続けると使用者は魔力欠乏に陥ってしまう。大抵は深刻な状態になる前に後ろの兵士に交代してもらうのだが、間に合わない時は魔力欠乏によって失神したり死亡したりすることもあった。

 そうして魔力欠乏によって失神した兵士は回復して普通に生活できるようになるまで二~三日かかることが知られており、再び戦列歩兵の最前列で大楯スクトゥムを構える第一戦列兵ハスタティとして戦線復帰するには、そこから更に数日を必要としていた。


「どうですかな…もう少しくらい早いのではとは想像していますが…」

「そう言えば、お食事の方はとっておられるのですか?」

寝室クビクルムの方へ運ばせて摂ってはおられるようです。

 出された物はほぼ、残さずお召し上がりになっておられるようですな。」


 スカエウァがメークミーの世話に充てている部下の報告内容を告げると、出席者からは一斉にため息が漏れた。もう回復してないとか体調がおもわしくないというのが事実でないのは明らかだ。


 ジョージ・メークミー・サンドウィッチは出席したくないから、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子からの招待を断っていたのだ。


 貴族社会において招待を断るというのは本来あってはならない、かなり失礼な対応である。招待者側に確実に恥をかかせることになるからだ。理由もなしに断ったとすれば、ましてドタキャンなんてかませば、それはもう招待者に対して喧嘩を売るようなものである。

 ゆえに、本当に都合が悪くて招待に応じられない…というような事になって互いの関係を悪化させてしまわないよう、本来なら正式に招待する前に水面下で調整やら根回しやらを綿密に行うのが普通だった。


 しかし、今回はそれができない。何故なら水面下での調整や根回しといった作業は本来使用人たちが行うことであり、メークミーは今現在そうした調整を行ってくれる使用人がいないからだ。

 また、それならそれでカエソー、あるいはスカエウァの部下たちが時間をかけて調整すればよいだけの事ではあるのだが、そのための時間が彼らには与えられていなかった。


 メークミーは明日には船に乗せてサウマンディウムへ送らねばならないのである。そうなれば身柄はカエソーの父であるプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵へ引き渡されることになるだろう。

 ウァレリウス・サウマンディウス家としてはそれで何の問題も無いのだが、それではカエソーのポイントにはならない。カエソーは伯爵公子…つまり伯爵家の跡取り息子ではあるのだが、家の中での地位を盤石なものにするにはそれなりの実績を積まねばならないのだ。

 それにカエソーは敵手として『勇者団』に対峙したうえに、尋問では多少高圧的に接したためにメークミーから良くない印象を持たれてしまっている可能性が高かった。今は敵将と捕虜という関係であるため仕方ないとは言え、ムセイオンの聖貴族との間にせっかくよしみを結ぶチャンスだというのにそれを活かせない…それどころか否定的な印象を持たれたままとなっては、貴族としての実績ポイントはプラスどころかマイナスである。

 そうした理由から、カエソーとしてはメークミーとの関係を何とか改善したいという思惑があったのだ。


「まあ、あちらにはあちらの都合があるのでしょう。

 捕虜になった身としては、心情的に招待に応じにくいのかもしれません。」

「左様、おそらく彼はムセイオンから出たのも初めてでしょうから、捕虜になったのも初めてなのでしょう。気が動転していてもおかしくはありません。」


 招待を断られて恥をかかされたカエソーをおもんぱかって、食堂の空気は暗く重たいものとなっていたのだが、部下の百人隊長らに慰められ、カエソーは「ふむ、そうだな」というと気持ちを切り替えた。

 カエソーは晩餐会の主催者らしく率先してしゃべり、飲み、食べ、場の空気を明るいものへと変えていく。その手腕はさすが上級貴族パトリキといったところだろう。まあ、部下たちの御追従おついしょうもあってのことではあったが…。


 しかし、談笑でにぎわう大食堂に連絡将校が入って来て百人隊長の一人の下へ駆け寄り、何事かを耳打ちすると、その百人隊長の顔から笑みが消えた。


「何だ、どうかしたのか?」


 カエソーが末席に座っていた百人隊長に問いかけると、その百人隊長はチラリとカエソーの方を見、それから報告を持ってきた連絡将校から何か丸められた紙を受け取ると、立ち上がって報告した。


「閣下、どうやら『勇者団』からの手紙のようです。」

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