第504話 主人の帰りを待つ家族たち

統一歴九十九年五月六日、夕 - サウマンディア迎賓館ホスピティウム・サウマンディア/サウマンディウム



 サウマンディウムの湾口東側の岬からアルビオン海峡とサウマンディウムのほぼ全域ににらみを利かせるサウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウムはサウマンディウムにある建物の中でもっとも最後まで夕日を浴びる建物の一つである。サウマンディウムの街の最南端に位置するため、サウマンディウムの西にそびえるクンルナ山脈の影に入りにくいためだ。すでに港町の半分以上が山の影に隠れて陽の光を失い、夜の支配する領域となっているにもかかわらず、要塞カストルム堡塁ほうるいは夕日を浴びて赤く輝いている。

 その要塞からサウマンディウム湾の最奥部に広がる港町へ続く緩い坂道の途中、湾内と港町の街並みを見渡せる小高い丘に、それだけがやけに目立つ豪奢ごうしゃな建物が存在する。それがサウマンディア属州領主ドミヌス・プロウィンキアエ・サウマンディアプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵が外からの賓客を迎えもてなすために用意している迎賓館ホスピティウムである。


 それはこの地にレーマ人が植民を開始して港湾都市の建設が始まってはいたが、まだ州都には指定されていなかった頃、属州領主がサウマンディウムに滞在するための別荘として建設された邸宅ヴィラだった。ちなみに竣工はサウマンディウム要塞よりもずっと早い。

 サウマンディウムが州都に定められた当初はここが伯爵家の本宅として使われていた。だが、新属州アルビオンニアの開発が軌道に乗り、その後方支援基地として港湾都市サウマンディウムが発展してくると、元々別荘として建設されただけあって色々と手狭に感じられるようになり、現在の伯爵邸『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスが造営されることになった。

 こうして領主の邸宅としての役目は終えたわけだが、元々上級貴族パトリキの別荘として造営されただけあって豪華なつくりをしており、造営から半世紀と経っていないとあれば取り壊すのももったいない。そこで客人をもてなすための迎賓館として使われるようになったものだった。


 今、その迎賓館に滞在するのはハン支援軍アウクシリア・ハンから派遣された軍使レガトゥス・ミリトゥムイェルナクの一行…に、随行してきていたイェルナクの妻ローランとその子供たちだった。

 一昨日サウマンディウムに着いたと思ったら翌日にはアルビオンニウムへ発ってしまった夫イェルナクが船で戻ってきたと報せを受け、いつでも出迎えられるようにと子供たちと共に玄関ホールウェスティーブルムに駆け付けもうすぐ三時間になる。さすがに待ちくたびれ、ローランたちは壁際に置かれた長椅子クビレに座り込んでいた。


「お、奥様…やっぱり奥でお待ちになられた方が…」


 ローランの侍女ビルキーが気遣って声をかける。奥の寝室クビクルムはともかく、玄関ホールには暖房もなく、サウマンディウムの五月上旬となるとだいぶ涼しい。ローラン一人ならともかく、年端も行かぬ息子イルテベルや乳飲み子の娘インチュは風邪でも引いてしまいかねない。

 壁際に置かれた長椅子に座ったローランは、隣で自分に寄りかかたまま居眠りしている息子に目をやり、抱きかかえた娘をギュッと抱きしめた。


「殿がお戻りになられたと言うのは、確かなのですよね?」


 ローランは傍らに立つビルキーを不安げに見上げ尋ねる。ビルキーは報告を持ってきたゴブリン兵へジロッと睨むように視線を向けると、ゴブリン兵は居心地悪そうに身をすくめた。


 彼らゴブリン兵は貴婦人を見ることが禁じられている。いやらしい目で見た…ただそれだけで罰せられることすらあった。

 しかしハン族では女性は王族しか残っていない。幾たびかの戦禍と不幸な事故により、同族の女性は少数の王族以外みんな死んでしまったのである。だから彼らは常に女性という存在に飢えており、明らかに自分よりもずっと年増のビルキーに対してすら情欲を感じてしまう。そして本能的につい視線がそっちへ行ってしまうのだ。

 なのに目が貴婦人の方を向いていたところを見られたりすると、罰せられる。だから彼らは貴婦人の前では非常に緊張してしまうのだ。


「どうなのですか?」


 ゴブリン兵たちのそういう事情を知ってか知らずか、貴族という身分ゆえか、ビルキーのゴブリン兵へのは結構キツい。


「へ、へい…イェルナク様は間違いなく船で御戻りです。」


 身分の低い兵士が貴人に直接口を利くことなど許されない。だからゴブリン兵とローランの会話はビルキーを介して行われるが、ビルキーはローランが子供の頃から仕えてきた老女なだけあって、主人の質問を先回りしてゴブリン兵に問いただして行く。


「では何故、殿様はまだお戻りになられないのです?」


「へい…船を御降りになったイェルナク様は要塞の方へ行かれてしまいまして…要塞の中の様子は俺らにはわからんもんですから…」


 ゴブリン兵は叱られた犬のように身を小さく縮こませて答え、ビルキーはフゥーッとあからさまに溜息をついた。


「何故、要塞に行かれたのかはわからないのですか?

 本当なら伯爵コメス御屋敷ドムスへ登られるか、こちらへお戻りになられなければおかしいではありませんか?」


「それが、イェルナク様はたくさんの捕虜を連れて戻られたご様子で…」


「捕虜!?」

「!?」


 驚いたビルキーとローランは顔を上げてゴブリン兵を見た。ゴブリン兵は貴婦人の視線を感じドギマギしながらも、視線は正面の壁の上の方に向けたまま答える。


「へい、聞いたところじゃ何十人も…」


「何故です、殿はいくさに行かれておられたのですか!?」

「どうなのです!?」


「それが、イェルナク様についてったゴブリン共の話じゃ、イェルナク様は勇ましくも直々に陣頭指揮をお執りになられ、銃声轟き砲煙たなびく中で敵を追い散らし、ヒトやホブゴブリンの捕虜を何人も捕まえたってぇ話です。」


「おおおっ!!」


 ビルキーは顔をほころばせて歓喜の声を上げ、ローランは不安を募らせて赤ん坊をギュッと抱きしめた。


 ビルキーがこのように喜ぶのも無理はない。イェルナクはハン支援軍を支える重臣ではあったが、ハン族の中での評価はあまり高くはなかったのだ。

 事務屋であり対外折衝を専門とする彼には華々しい戦功が無く、それでいて偉そうに威張り散らしているので支援軍アウクシリア内では良い印象を持たれていない。それどころかレーマ貴族と仲良くするばかりでこちらの言い分をろくに通さず、向こうの言い分ばっかり聞いて向こうの要求を簡単に飲んで来る腰抜けの卑怯者とさえ思われていた。イェルナクに嫁いだローランもローランの侍女のビルキーも、実は密かに肩身の狭い思いをしていたのである。

 それがイェルナクが戦場で陣頭指揮を執り、捕虜をたくさんとったとなればそうした汚名を払拭できる。ビルキーが喜ぶのは当然だと言えるだろう。


「で、では、殿様は戦功を挙げられたのですか!?」


 ビルキーは喜色満面の笑みを浮かべてゴブリン兵に詰め寄った。


「お、俺はその、聞いた話なんで良く存じませんが、イェルナク様の供回りの連中が言うには、その、そういうこと、らしい、です。」


 ゴブリン兵は言葉を濁しながら言った。彼が言ったのは彼の同僚…イェルナクと共にアルビオンニウムから船で帰ってきてから、連絡のために一人だけ一足早く迎賓館へ送られてきたゴブリン兵が話していたことそのまんまだった。そして、彼はそのゴブリン兵がホラを吹いていると思っていた。

 常識で考えればゴブリン兵がヒトやホブゴブリンの捕虜なんて、体力的にも法的にも捕れるわけがないのだ。仮にイェルナクが天下無双の武術の達人であったとしても、たった十二人のゴブリン兵を引き連れて損害も出さずに捕虜を何十人ととれるわけがない。実際、彼が問い詰めたところそのゴブリン兵は相手は盗賊だと白状したわけだ。

 だが、相手が盗賊だと言ってしまっては、せっかくよくなった貴婦人方の機嫌がまた悪くなってしまう。だから彼は余計なことは言わないように言葉を濁したのだった。それが良かったのか、ビルキーは機嫌よくローランに向き直る。


「奥様、およろこびください!

 殿様は戦働きでお手柄を挙げられたようですよ!?」


「ええ…ええ、ええ、そう…そうですね…

 それで殿は、殿に御怪我はなかったのですか?」


 ローランの態度はビルキーとは対象的であった。戦場に立つはずのないイェルナクが戦で陣頭指揮を執ったと聞いて余計に不安を募らせてしまったローランは、ビルキーにすがるように問いかける。ビルキーは主人の不安に気づき、「おおお」と口の中で小さく声を発しながら気遣うようにローランの肩に手を添え、跪いて視線の高さを長椅子に座ったままのローランに合わせた。


「奥様!大丈夫ですわよ。

 船でお戻りになられてそのまま捕虜を連れて要塞に行ったと言うのですから、大丈夫に決まっていますわ!」


「要塞に行ったというから心配なのです。

 ひょっとして大怪我をしてらして、治療のために要塞の病院ウァレトゥディナリウムに運び込まれたのではなくって?」


 ローランの指摘に自分の考えが及んでいなかったことに気付いたビルキーはそのままの姿勢で頭を巡らせ、キッとゴブリン兵を睨んだ。その視線を受けてゴブリン兵はビクッと姿勢を正し、視線を自分の正面の壁の天井近くに向ける。


「どうなの!?」


 冷や汗をかきながらゴブリン兵は答えた。


「ど、どうって、そりゃねえと思います。

 イェルナク様は無事に帰ったことを奥方様にお伝えするために伝令を走らせましたんで、御怪我なんて…まして大怪我なんてしてるわけねえです。

 ……と思います。」


「ほら、やっぱり大丈夫ですよ奥様!」

「ああ、よかった。」


 ビルキーに微笑みかけられたローランはようやく安堵し、赤ん坊を抱いたままビルキーに上体を預ける。ビルキーはローランが少女だった時のように両手を広げて優しく抱き止めた。

 すると、ビルキーとは反対側で母ローランに寄り掛かって寝ていたイルテベルは急に支えを失って倒れそうになり、目を覚ます。


「んっ…は、母上?」


「ああ、イルテベル!起こしちゃったのね、ごめんなさい。」


 ビルキーの胸にゆだねていた身体を起こし、息子イルテベルに向き直ったローランの目には涙が浮かんでいた。


「母上、どうしたの?

 どこか痛いの?」


「いえ、違いますよ。父上がお手柄を立てられたのです。」


「父上?父上帰ったの?」


 心配する息子に涙を拭きながらローランが微笑みかけると、イルテベルはわけもわからず目を大きくし、座っていた長椅子から飛び降りて周囲を見回した。父の姿を見つけることのできない息子にローランは優しく手を伸ばす。


「これから帰ってきますよ。

 父上はいっぱいお仕事をしていっぱいお手柄をお立てになられたのですから、ちゃんとお出迎えしなければいけませんよ?」

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