エイー・ルメオの生還

第566話 住民たちの要望

統一歴九十九年五月七日、夜 - ライムント街道ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 ブルグトアドルフの街で発生した戦闘は誰も想像してなかったほど呆気なく終了した。

 軍団兵レギオナリウスが反撃に転ずると盗賊たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのはいつものことだが、そのままのがせばまた再び今回のように事件を引き起こす際限の無いいたちごっことなってしまう。なので、なるべく捕まえられる限り捕まえたい。かといって追撃すればあまりの逃げっぷりの良さに引きずられて歴戦のベテラン軍団兵であっても深追いしてしまう危険性があった。

 軍隊の最大の強みは組織力である。集団として有機的に連携した動きが取れるからこそ、軍隊というのは強いのだ。それが勝気に駆られて敵を深追いし、味方からはぐれれば友軍との連携が取れなくなる。組織としての力が失われ、一挙に脆弱な存在へと堕してしまう。

 そうなれば、たとえ相手が素人同然の盗賊であろうとも思わぬ反撃を受け手痛い損害を被ることにもなるだろう。ましてや、今回投入されたアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの軍団兵は半分以上が新兵という、非常に練度の低い部隊だ。


 しかし、その心配は杞憂きゆうに終わった。街から逃げ出した盗賊たちは思い思いの方角へ向けてバラバラに走っていたのだが、何故か街を取り囲む農地の真ん中を過ぎた辺りで急にバタバタと倒れ始め、そのほとんどが難なく捕縛されてしまったからだった。倒れて捕まった盗賊たちはほぼ全員が昏睡こんすい状態だった。

 これなら経験の浅い新兵でも捕まえるのは容易だった。あまりに容易すぎて、街の外で倒れている盗賊たちを回収したアルビオンニア軍団兵たちも、街の中で突然抵抗を止めて昏睡しはじめた盗賊を捕えたサウマンディア軍団兵たちも、思わず呆気に取られてしまったほどだった。


 だが、いいことばかりでもない。

 経験のある人なら容易に理解できることなのだが、意識のない生きている人間を運ぶのは非常に大変なのだ。意識のある人間ならば運ぶ時、落とされないように姿勢を保ったりしてバランスをとるのに協力してくれるから割と運びやすい。だが意識のない人間はそういう事をしてくれない。全身から力が抜けて非常に柔らかくなった身体は二人掛かりでも持ち上げるだけで一苦労である。

 軍団兵たちは戦闘という危険な任務からは期せずして解放されることとなったが、代わりに予想だにしなかった重労働を科せられることとなったのだった。


 アルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニアアロイス・キュッテルはブルグトアドルフの街中の処理をルクレティアの護衛隊長セルウィウス・カウデクスに任せると、街の外側で追撃を行うように命じた各小隊にはそのまま盗賊たちの回収作業を行わせ、街に突入させた第一小隊エァスター・ツゥクを直卒して街の北、ライムント街道上で足止めを食らっていたブルグトアドルフ住民らの下へ向かった。住民たちが騒ぎだして収集が付かなくなりそうだという、現場からの報告を受けてのことだった。


 ブルグトアドルフ住民たちは自分たちの身を守ってくれているアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア重装歩兵ホプロマクスたちに決定的なまでに不信感を募らせていた。

 前回のブルグトアドルフでの事件の時はたしかに盗賊を追い払ってはくれたが、シュテファン・ツヴァイク率いる警察消防隊ウィギレスよりも来るのが遅かったし、そのせいで警察消防隊にも住民にも甚大な被害を生じさせた。翌日、シュテファンの説得を受けた住民らが街から避難する際も、先を急ぐばかりで遅れる住民たちを守ろうとはしてくれなかった。一昨日のアルビオンニウムでも住民らを守ってくれたのはアルトリウシア軍団ではなく警察消防隊とサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアだった。

 そして今日、アルトリウシア軍団は目の前でブルグトアドルフの街が焼かれ、盗賊たちが暴れているのに対処しようとはしなかった。住民たちとルクレティア一行を守るためと称して全く動こうとすらしてくれない。戦ったのはまたしてもサウマンディア軍団と、急遽駆け付けてくれたアルビオンニア軍団だった。


 あいつらホブゴブリンだからヒトの俺たちを助けてくれないんだ!


 住民たちの間でそういう認識が急速に広まりつつあった。実際、アルトリウシア軍団はホブゴブリンだが、住民たちのために戦ったサウマンディア軍団とアルビオンニア軍団はどちらもヒトの軍団である。いうまでも無く、ブルグトアドルフの住民のほとんどはヒトだった。そこで彼らの意識は当然のごとく、自分と相手のに向いていかざるを得ない。


「アルトリウシアのホブゴブリンども!

 俺たちの街より自分の命が可愛いか!?」

「ヒトのことなんかどうでもいいと思ってんだろ!!」

「盗賊なんかが怖いのか!?それとも火が怖いのか!!」

ツヴァイク様ヘル・ツヴァイク!何とかしてください!!」

「あいつら立派な武器を持ってるくせに戦わねぇ!まるで案山子だ!」


 ついにはあからさまな罵倒まで飛び始め、兵士たちの間にも動揺が広がり始める。


「よせ!止さんか!!」

「静まれ!騒ぐんじゃない!!」


 第三中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニス・テルティアであるシュテファンはアルトリウシア軍団に…もっと言えばセルウィウスに協力し、ブルグトアドルフ住民たちを部下たちと共に宥めてくれてはいたが、目の前でまるで傍観者のように自分たちに背中を向けて突っ立っているホブゴブリン兵士らに対する反感は抑えようもないほど高まってしまう。それはシュテファンでは抑えきれなくなる寸前というところにまでたかぶっていたし、当然アルトリウシア軍団の兵士はもちろん百人隊長ケントゥリオでも対処など出来ようはずも無かった。アルトリウシア軍団自身が下手に動けば、住民たちの感情を逆撫でしかねない。


アルビオンニア軍団軍団長コーフコマンダン・デス・アルビオンニア・コアアロイス・キュッテル閣下、御成~り~!!」


 この緊迫した状況はアロイスの部下による先触さきぶれで一気に変わった。


アルビオンニア軍団ダス・アルビオンニア・コア!!」

キュッテル閣下ヘル・キュッテル!!」

アルビオンニア軍団が来たダス・アルビオンニア・コア・エスト・ダ!」

万歳フーハーアルビオンニア軍団万歳フーハー・ダス・アルビオンニア・コア!」


 火勢の収まりつつある街を背景に騎乗したアロイスが近づいてくると、住民たちは先ほどまで上げていた罵声以上の勢いで歓呼の声をあげる。それはシュテファンや彼の部下たち、そしてアルトリウシア軍団の兵士らを安堵させたが、住民たちの興奮が度合いを高め、まさに沸騰し始めると却って別の心配をしなければならなくなるほどであった。

 住民たちは騎乗のアロイスに駆け寄ろうとしたが、アロイスが街から率いてきた第一小隊エァスター・ツゥクが一斉にアロイスと住民たちの間に割って入り、横並びに人垣を作ってこれを押しとどめる。アロイスの部下が両脇から松明を掲げてアロイスを照らし、アロイスが住民たちに向かって右手を高く掲げると、住民たちの興奮は頂点に達し、周囲には「万歳フーハー!」を連呼する声が鳴り響いた。


「ブルグトアドルフの民たちよ!!」


 アロイスが手を降ろしながら叫ぶと住民たちは急速に静まり、アロイスの言葉に耳を傾け始める。


「ブルグトアドルフの住民たちよ、安心するがよい!

 既に賊のほとんどは捕えられ、火災も鎮火の見込みだ!」


 おおーっと住民たちから一斉に歓声が上がる。遠くで燃えている火災の光と、兵士たちが捧げ持つ松明の明かりと、そして月明かりとによって照らされた住民たちの顔には悲嘆と怒りに染まっていたが、安堵と喜びによって塗り替えられていく。

 アロイスは住民たちのどよめきがある程度収まるのを待って続けた。


「お前たちの護衛はこれよりアルビオンニア軍団が引き継ぐ!

 シュバルツゼーブルグまでの安全は、侯爵夫人閣下デア・フュルスティンとアロイス・キュッテルの名において保証する!」


 おおぉぉぉ…今度の住民たちの反応は先ほどより明らかに小さかった。住民たちの約半数ほどが、顔に困惑の表情を浮かべている。先ほどと同じように歓迎されると思っていたアロイスが住民たちの予想と異なる反応にわずかに戸惑っていると、住民たちの中から一人の男が声を上げた。


「キュッテル閣下ぁ!」


 男はやや恰幅の良い初老の男だった。


「賊どもを追い払ったんなら、ワシらぁ街へ帰りてぇんです!!」


 男がそれだけ言うと周囲の、先ほどのアロイスの安全保障宣言に対して困惑の表情を浮かべていた者たちが次々と声を上げ始めた。


「そうです!帰りてぇ!!」

「賊はもう追い払ったんでしょう!?」

「閣下が来て下すったなら、街はもう安全なはずだ!」

「街にはまだアタシらの財産があるんですぅ!」

「家畜が残ってんだ!餌をやって、世話してやりてぇ!」

「刈り取った牧草がまだ畑に残ってんだ!

 サイロに入れなきゃ家畜どもが冬を越せなくなっちまう!」

「家へ帰らしてくだせぇ!」


 戸惑うアロイスに向かい、住民たちの声は際限なく上がり続けた。

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