第565話 トレント

統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



 ザザザザザザザザザァーーーー・・・・


 強い風が吹いているわけでもないのに、まるで森全体が鳴動するかのように木の枝葉がぶつかりこすれ合う。それはナイス・ジェークと共にこの森を彷徨さまよいながら幾度となく聞いた木々のざわめき…すなわち、《木の精霊トレント》の気配だった。


 まさか!?


 顔を青ざめさせたエイー・ルメオが振り返った時、そこには既に群れをなしたトレントたちが居並び、エイーを、そして盗賊たちをジッと見下ろしていた。


「ヒッ!?」

「な、なん…だと…!?」


 クレーエもエンテも初めて目の当たりにするトレントに腰も抜かさんばかりに驚愕し、顔色を失ってトレント達を見上げる。

 成すところを知らぬまま立ちすくむ三人と眠ったままの一人を身動き一つしないままジッと見下ろしていたトレント達は、やがてその場で身体を、枝葉をザワザワと揺らし始めた。


『見つけた…見つけたぞ…』

『待て、多いぞ?』

『そうだ、増えてる。』

『増えてるか?』

『最初、松の葉と同じだけ居た。』

『待て、松の葉は多すぎる。松の葉は森の木より多い。』

『そうじゃない、松の葉一束の針と同じだけだ。』

『分かりづらいぞ。俺は松じゃない。』

『じゃあエンドウの花の花弁と同じだけだ。』

『エンドウって何だ?』

『この森にそんな奴いないぞ。』

『北の、森の外、畑にたまに咲いてる。咲くときはいっぱいだ。』

『そんな奴知らん。分かる奴で言え。』

『若葉の葉と同じだけだ。』

『多いのか?』

『こいつらはアヤメの花弁ほどもいる。』

『アヤメって何だ?』

『森の西、川辺に咲く花だ。』

『そんな奴は知らん、森の中にいる奴で言え。』

『そうは言ってもなぁ…』

『カタバミの葉だ。』

『ツタウルシの葉と同じだけだ。』

『まて、そこに倒れている奴もいるから違うぞ。』

『そうだ、フジの花の花弁と同じだけだ。』

『フジってたくさんだぞ!?』

『花の数じゃなくて花弁の数だ。』

『フジの花弁ってどれだけあるんだ?』

『ドクダミの花弁と同じだけだ。』

『ドクダミの花弁ってどれくらいあったっけ?』

『うるさい、とにかく多いんだ。』

『そうだ、とにかく増えてる。』

『混ざったんじゃないか?』

『気配も違う。』

『そうだ、コイツら弱い。』

『探してた奴はコイツらより魔力が強かった。』


 トレントたちは探し続けていた人間をようやく見つけたが、どうやら数も合わないし気配も違うし何かおかしいぞと念話で相談を始めた。もちろん、仲間内だけで話しているので話の内容はエイーたちには聞こえない。いや、会話していることにさえ気づいていなかった。


「な、なんだ…こいつら!?」

「バカ、旦那が言ってたトレントだろ!」

「お、襲って…こない?」

「ひょっとして…品定めでもしてるのかもな?

 クソぉ、マジでこんな化け物が居るなんて…」


「シッ!…静かにしろお前ら…」


 いつの間にか複数のトレントに半包囲される形になっていたエイーやクレーエたちは、トレントたちが自分たちを見下ろしつつも襲い掛かってこないことに疑問を抱き始めていた。


『人間!』


「「「!?」」」


 唐突にトレントの内の一体が念話で三人に話しかけ、その声が耳を通さずに頭の中に直接響き渡る。エイーはともかく、クレーエとエンテにとって念話は初めての体験であり、何が起こったのか分からずそのまま身体も思考も硬直してしまう。


『人間!!』


「何だ!?」

「しゃべった!?」

「こいつらが!?」

「お前ら、静かにしろ!」


 反応が無いのでトレントが強めに繰り返すと、それで三人とも我に返ったがエイーは返事したものの他の二人はただ驚いただけだった。


『人間、来なかったか?

 お前たちより力の強い奴だ。』


 ル、ルメオの旦那の事だ…!!


 クレーエとエンテは突然トレントと出くわしたことに混乱しつつも、トレントがエイーを探しに来た事を察し冷や汗をかき始める。エイーを追いかけて来たということは、エイーが逃げて来たと言う事…つまり、彼ら盗賊たちが束になってもかなわない『勇者団ブレーブス』ですら、このトレントには敵わないということだ。

 もっとも、このバカでかいの相手に勝てる気など到底しないが…


「し、知らない!

 俺たちは最初からここに居たぞ!

 お、お、お、お前たち以外、何も来てない!!」


 エイーが声の震えを隠しながら、振り絞るように言うと再び木々がざわめきだす。


『違うぞ。』

『違った。』

『やっぱり違う。』

『別の人間だ。』

『間違いだ。』

『あっちが本物だ。』

『こっちだと思ったのに…』

『弱い奴らだけど数が多いから、強い奴と間違えたんだ。』

『しっぱいした、あっちに行けばよかった。』


 トレントたちの会話はもちろんエイー達には聞こえない。ただ、エイーの答えを聞いた途端にザワザワ騒ぎ始めたトレントの群れに、ひょっとしてエイーの態度が気に入らなくて怒ってるんじゃないかと勝手に想像を膨らませてしまう。


「だ、旦那ぁ~…」

「お、俺たち、食われちまうんですか?」

「う、うるさい、黙ってろ!」


 情けなくも震えあがる二人の盗賊を叱責するエイーも、実はローブで隠れて見えなかったが膝がガクガクと震えていた。


『人間!何でここに居る?ここで何をしている?』


「ひぃっ!!」


 エンテは元・炭焼き職人だ。これまでたくさんの若い木を切り倒し、炭を焼いてきた。その彼からしたら、目の前の大木の化け物たちに同族殺しとして殺されるのではないかと気が気ではない。トレントの苛立ちの混じった声にエンテは情けない声を上げ、ヨロヨロと二、三歩後ずさると石ころにつまづき、腰を抜かして尻もちをついた。


「お、おい!?」


 クレーエは顔を青くし、哀れを誘うほどガクガクと震えているエンテの様子に驚き、サッと駆け寄ると銃を取り上げた。


 今コイツに銃を持たせておいたら撃っちまうかもしれねぇ…


 背後で起こっている出来事を気配で察しながらも、エイーはあえて振り向かずにトレントに向かって声を張り上げる。


「お、俺たちは、ま、ま、迷い込んだんだ!

 それっ…でっ、森から、出られなくなって…それで…それで、ここでどうしたらいいか、相談してたんだ!」


 エイーが答えると、樹々のざわめきは急速に収まりはじめる。


『人間、驚かせて悪かった。

 俺たちは悪い奴を追っていたんだが、お前たちと間違えた。

 お前たちは関係ないから、早く森から出るがいい。

 ここは、お前たちの居て良い場所じゃない。』


 そう言うと、再び森全体がザワザワと鳴動し始め、彼らの周囲を取り囲んでいたトレントたちがゾロゾロと引き揚げ始める。


「ま、待ってくれ!!」


 エイーは首を振って去り行くトレントの群れを見渡すと慌てて叫んだ。すると、そいつがそれまでエイーたちに話しかけてきていたトレントだったのだろう、一体のトレントが立ち止まりゆっくりと振り返った。


「出口が、わからないんだ!

 出ていきたいが、出方がわからない!」


 トレントはしばらく動きを止めてエイーを見下ろしていたが、やがて再び念話で話し始めた。


『出口は何処にでもある。

 ただ、。』


「どこにでも?…いや、どこへ行っても出られないぞ!?」


『ここは結界だ。

 

 …目を閉じると、出やすくなるぞ。』


 それだけ言うとトレントは再びエイーに背を向けて歩き出した。


「待て!どこへも行こうとするなってどういうことだ!?

 おいっ!待ってくれぇ!!」


 エイーはわけがわからずトレントに追いすがったが、今度はトレントは振り返らなかった。エイーが目の前に横たわる木の根を乗り越えようとまたがった頃には、トレントは既に森の闇の彼方へ姿を消してしまっていた。

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