第287話 御用商人の商魂

統一歴九十九年四月二十四日、午後 - キュッテル商会/アルトリウシア



 大規模な戦災や災害はその地域の経済に深刻なダメージをもたらす。それは自明のことだ。大きな災害によって滅びた都市や古代文明など、歴史を振り返ればいくらでも出て来る。つい最近、ここから山一つ越えたアルビオンニウムは格好の例だろう。


 多くの人が死に、家や家畜や財産を失い、田畑が荒れ、生活基盤が崩壊する…それが一人二人程度なら周囲の者が助けることもできるだろう。しかし、何百人何千人という規模になるとそれも難しくなる。助ける側の負担が大きくなり、直接被害を被らなかった者たちも間接的な被害を被ることになるからだ。仮に生活再建の目途があったとしても他にもっとひどい状況の人間が居ればその者たちから疎まれるし、最悪の場合はそうした者たちから襲われ奪われ、もっとひどい状況へ落とされてしまう。

 それを避けるためには移住するしかない。

 他の被災者の居ないところへ、助けてもらえるところへ…

 結果、被災地からはどんどん人がいなくなり、市場規模が小さくなった地域からは商人たちもいなくなる。そして住民たちの生活がますます苦しくなっていく。地域から力が失われていき、最終的に移住する力すら残されていない亡者のごとき被害者だけが残ることになる。


 そうなってからその地域を再建するのは実に大変だ。

 復旧復興のためには何と言っても金が要る。資材が要る。人手が要る。食料が要る。しかし、ただの廃墟となった土地にそういったものが自然に集まってくることなどあり得ない。その土地が豊富な資源を算出するとか、交通の要衝等地政学的な必然性でもない限り、残された住民たちは自分たちが食っていくので精一杯という状況の中で、少しずつ自らの力だけで土地を再開発していくしかないのだ。

 ゼロからのスタートよりもキツイ、マイナスからのスタートである。当然、復興するには数十年の月日を要するであろう。


 大規模な災害に見舞われながらそのような破滅的な結果を防ごうと思ったら、潤沢な資金を投じて人と資材とを投入し、被害者たちに食料を供給し、他地域に離散しなくても良いように強引に生活基盤を整えてやる必要がある。


 一昨年のアルビオンニウムではそれができなかった。火砕流や土石流による被害が甚大で、住民の三~四割がそれで死亡したと考えられている。アルビオンニア侯爵家もそれを支援するサウマンディア伯爵家も、その被害に対応できるほどの財力はさすがに無かった。おまけに火山災害は収まる気配がなく、いつまでつづくかわからない状況では、住民を避難させる以外の対策は取りようがない。住民が残ろうとするのを防ぐ必要からも、あえて都市を丸ごと放棄することを決断せざるを得なかった。


 その影響を侯爵家の御用商人であったグスタフ・キュッテルはモロに受けた。グスタフの統べるキュッテル商会アルビオンニア支部の資産は大いに目減りした。半減したといってもいいだろう。

 そこへ来て今回のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱…被害を生じたのはアルトリウシアであって侯爵家の領地とは異なるが、アルトリウシア子爵家の世話になっているエルネスティーネがアルトリウシアの被害を無視できるわけもない。

 エルネスティーネが侯爵家に嫁いだことで御用商人の指名を得て以来、グスタフは急速に商会の業績を伸ばし続けていたが、一昨年と今回の被害の影響でアルビオンニア支部開設以来の集計が赤字になりかねなかった。戦災によるアルトリウシアの衰退は避けようがないように思われたし、そうなってはアルビオンニア属州全体の経済も急速に減速せざるを得ないからだ。

 それどころか、アルビオンニウムに続いてアルトリウシアの港が閉塞すれば、アルビオンニアは南蛮との戦線を維持できなくなる可能性すらある。整備されたまともな港湾はクプファーハーフェンだけになってしまうからだ。


 グスタフは侯爵家とアルビオンニア属州内での影響力を維持したまま、商会の損害をどれだけ小さくできるかをずっと考えていた。

 商会の損害を極限するだけなら簡単だ。だが今後も侯爵家とアルビオンニア属州への影響力を維持し続けるためには、かなりな出血を覚悟せねばならない。出血し過ぎれば商会の体力が無くなって逆に影響力が低下するし、そうなっては商売が成り立たない。本末転倒だ。

 しかし、グスタフの苦悩はリュウイチの登場によって全く様相の異なるものへと変化した。


 エルネスティーネとルキウスはリュウイチから百数十万枚にも及ぶ銀貨の融資を受けている。それも無利子で。ハン支援軍アウクシリア・ハン蜂起以来侯爵家と子爵家の両家が信じられない規模の財政出動で復旧復興事業を推進していることにグスタフは不安と疑問を抱いていたが、それもようやく納得できた。


 おそらく、今回の事件によるアルトリウシア衰退の心配はしなくていいだろう。それどころか、前代未聞の復旧復興事業により膨大な量の建築資材と食料と人材がアルトリウシアに集中しつつある。キュッテル商会はその中で莫大な利益を上げることができるだろう。やり方次第では、一昨年の火山災害で被った損害を上回る利益すら上げることができるかもしれない。

 ビッグ・ビジネス・チャンスだ!


「しかし・・・」


 グスタフは単なる商人ではない。御用商人だ。己の利益だけを考えていればよいわけではなかった。アルビオンニア侯爵家とアルビオンニア属州を発展させる義務がある。侯爵家と属州を発展させることで、利益を最大化する…それが御用商人だ。制度化された政商なのである。

 当然、侯爵家と属州の発展に寄与するために、侯爵家と属州への影響力を保持し、拡大しなければならないのだ。


 ここに現れたリュウイチという降臨者…その影響力は絶大である。間違いなく、発揮しうる影響力は世界一であろう。本人にその意思はなさそうだったが、そんなことは関係ない。今後、彼の一挙手一投足に世界が注目するようになるのは明らかだ。

 そのリュウイチと影響力で競ったところでグスタフに勝てる道理はない。そもそも勝負になるまい。だが、だからといってグスタフの、キュッテル商会の影響力が侯爵家やアルビオンニア属州に及ばなくなるような事態を看過できるわけでは無い。

 リュウイチに勝つことは出来ないのは仕方ないとしても、侯爵家やアルビオンニア属州に対する影響力は保持しなければならないのだ。もし、リュウイチが何か都合の悪いことを言った時、エルネスティーネやアルビオンニア貴族たちが、リュウイチの発言を踏まえたうえでグスタフの意見に耳を傾けてくれる程度の影響力は堅持しなければならない。

 それがなければ、御用商人の存在価値は無いに等しい。


 グスタフはリュウイチの存在を知らされた時、素直に驚いた。そしてカワイイ甥っ子であるカールの病気を治してもらえたことに素直に感動もしたし感謝もした。膨大な銀貨を融資してもらえているという事実を知らされ、感謝も感心もした。

 だが同時に脅威にも感じていたのだ。


 このままではキュッテル商会の影響力が低下する・・・。


 すでにエルネスティーネはリュウイチに振り回されていると言っても過言ではないだろう。もし、リュウイチがグスタフと意見が衝突することがあれば、グスタフの意見は無条件に無視されてしまいかねない。

 侯爵家は百数十万デナリウスもの融資を受け、跡取り息子であるカールの病気を治してもらった上、カールを人質として差し出してさえいる。領主貴族パトリキとして考えられない行為だ。もう自らの生殺与奪権をリュウイチに預けてしまっているようなものでは無いか!?


 いや、むしろそれを狙っているのではないか?


 あの降臨者リュウイチはもしかしたらアルビオンニア侯爵家を懐柔かいじゅうし、アルビオンニア属州を支配しようとしているのかもしれない。そうとでも考えなければ、あの気前の良さは納得できない。百数十万デナリウス…小国の国家予算に匹敵する莫大な銀貨だ。いかなゲイマーガメルとはいえポンと出せる額ではないだろう。

 リュウイチは返さなくていいと言ったそうだが、それならカールを人質にとる必要も無いはずだ。恩寵おんちょう独占の回避のための方便とか言っていたが、他にも方法はいくらでもあるはず。だいたい、カールがあんな病気だとは世間の誰も知らなかったのだ。親戚であるグスタフですら知らなかった。だったら「借金の人質」なんて貴族パトリキにあるまじき不名誉な方便など考えずとも、極秘のうちに治療してしまえたはずだ。


 そう考えるとこれまで聞いた説明も色々と怪しい部分がでてくる。

 カールを悪魔が襲ったという話も、リュウイチは空気が汚れたせいで起きたイッサンカタヌス中毒とかいう病気だと言ったそうだが、あの《暗黒騎士ダークナイト》ほどの力を持ったゲイマーガメルならば実際に悪魔を使役したって不思議ではない。悪魔を召喚し、使役し、カールを襲わせてイッサンカタヌス中毒とかいう病気を罹らせ、自分の魔法で治療する…そういう真似だってできるはずだ。

 そうなるとあの毒麦だって怪しくなる。


 リュウイチは魔法でどんな病気でも治せるのだ。カールに毒麦を仕込んでおいて病気にして治療してみせる…《暗黒騎士ダークナイト》なら容易だろう。そして毒麦を仕掛けたという疑惑は教会へ向けられ、教会勢力を弱らせてカールはリュウイチに取り込まれる。


「それは…まずいな…」


 侯爵家が…特に跡取り息子であるカールがリュウイチに取り込まれていくのは望ましくない。これ以上、侯爵家に対するリュウイチの影響力が増大するのは防がねばならないだろう。

 しかし、リュウイチと敵対することもできない。そんなことをすれば身の破滅は必至だ。いや、だいたいリュウイチは国家予算に匹敵する銀貨をポンと出せるほどの富を持っているのだ。むしろ、こちらから取り入っていかねばならない相手でもある。


 リュウイチの侯爵家への影響力を抑え、同時にリュウイチに取り入る…そうだ、リュウイチに取り入りリュウイチへの影響力を持つことで、侯爵家に対するリュウイチの影響力とキュッテル家の影響力を相対的に均衡させるのだ。幸い、今リュウイチの存在は秘匿されていて限られた者しか知らない。

 今ならライバルもいない。


「ふ~む…やはり兄たちの助けを借りねばならんな…」


 ティトゥス要塞城下町カナバエ・カストルム・ティティの一角を占める巨大な商館の最奥で、グスタフは手紙を書くべくペンを手に取った。

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