第286話 新砦建設の協力要請

統一歴九十九年四月二十四日、午後 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 一時厳重な立ち入り制限が敷かれていたマニウス要塞司令部カストルム・マニ・プリンキピアだったが、現在は解除されており以前の活気を急速に取り戻しつつある。この立ち入り制限はエルネスティーネら侯爵家一行がマニウス要塞カストルム・マニに来るのと同時に敷かれ、退去するのとほぼ同時に解除されたため、リュウイチの存在を知っている者たち以外には侯爵家がマニウス要塞カストルム・マニに来たので警備が強化されたのだろうと考えられていた。


 エルネスティーネら侯爵家一行がマニウス要塞カストルム・マニを退去するのと入れ替わるように入城したアイゼンファウスト地区の郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストは、連れて来た近習のテオと共に要塞司令部プリンキピアの一室へ通された。


「?…子爵閣下ルキウスはいらっしゃらねぇのかい?」


 今日、メルヒオールはルキウスの名で呼び出されていた。てっきりルキウスとの会談になると思っていたのだが、彼が通された会議室にルキウスの姿は無かった。


閣下ルキウスはこちらに御出席の予定でしたが、まだサウマンディアから来られた使者の方との会議が長引いておりまして、私が代理を務めさせていただきます。

 どうぞお掛けくださいアイゼンファウスト卿」


 子爵家筆頭家令ホスティリアヌス・アヴァロニウス・ラテラーヌスが落ち着いた声と態度でメルヒオールに答えると、メルヒオールはがっかりした様子で「フン」と鼻を鳴らして席に着いた。

 ホスティリアヌスはアルトリウシアにおける領地経営の実務を総括する人物であり、ルキウスの内政面での右腕と言って良い重臣である。メルヒオールにとっては実質的に上司にあたる人物であり、その彼が代理だと言えばメルヒオールには文句を言えない。


 会議室には呼び出されたメルヒオールと秘書替わりに連れて来た近習のテオの他は、ルキウスの代理を務めるホスティリアヌス、ここしばらくの間メルヒオールとの接見担当の仕事を押し付けられている事務官カッリグラプスのセウェルス・アヴァロニウス・ウィビウス、そしてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアで工兵や補給等の後方支援を担当している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのアシナ・バエビウス・カエピオだった。

 今回の会議の目的はメルヒオールの防衛体制強化の要請に基づき、アイゼンファウストに新たに砦の建造が決まった事を報告するとともに、その工事についてメルヒオールと打ち合わせをすることだった。


「まずは礼を言っとくぜ。おかげさんで兵舎の移築は順調だ。

 一棟目は既に入居が済んでるし、二棟目は今日完成するはずだ。

 このまま、一日一棟ぐれぇのペースで移築できるんだろ?」


 メルヒオールは全員が席に着くのを待ってから鷹揚おうような態度で礼を言った。


「その予定です。

 さらに今後増援で駆け付ける予定のアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの工兵部隊が、途中でグナエウス砦ブルグス・グナエイの兵舎を解体してアルトリウシアへ移設するそうです。ただ、そちらは天候等の都合もありますので日程についてはまだ定かではありません。」


 今回の兵舎の移設計画を取りまとめているアシナがひどく事務的に答えた。メルヒオールとしては彼なりに打ち解けた雰囲気を作ろうと、あえて機嫌良さそうに礼を言ったつもりだったが、アシナはそうした機微には疎い性格の持ち主だった。


「お、おう…そうか、そいつぁありがてぇや。」


 メルヒオールは冗談やお愛想に対して予想外に糞真面目に答えて来る、こういういかにもザ・官僚という感じの人間が苦手だった。そもそも事務的な仕事が大の苦手なメルヒオールが事務仕事で食ってる人間とウマが合うはずがない。


「そ、そのグナエウス砦ブルグス・グナエイから移築される兵舎というのは、どれほどあるのでしょうか?」


 鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔になってしまっているメルヒオールに代わり、近習のテオが勇気を振り絞って質問した。ここに来る前、メルヒオールから「俺ぁ事務仕事が苦手だからよ、そっちは任せるからな」としつこいくらいに言われていたのだ。


グナエウス砦ブルグス・グナエイ軍団レギオー一個を収容できる、ほぼ要塞カストラと言って良い規模のブルギです。ですが長い事使われていないので、移築に耐えない資材もあるでしょうから、おそらく今現在マニウス要塞カストルム・マニからアイゼンファウストに移築中の兵舎とほぼ同じくらいの棟数になるだろうと予想しています。」


 メルヒオールが連れて来た初対面の若者からの突然の質問に意表を突かれたアシナだったが、事前に想定していた質問であった…というより、説明するつもりでいた内容だったため、立て板に水といった様子でスラスラと答える。


「で、では、その分の測量と整地作業も必要となりますね?」


「その通りです。ただ、移築する兵舎の大きさや形は、マニウス要塞カストルム・マニの物と同一ですから、単純に整地する範囲を広げていくだけで対応できるはずです。」


「測量や整地の人員を増やさなくても良いという事ですか?」


「兵舎の移築分に関して言えば、その通りです。」


 自分の中で満足のいく受け答えが出来たのか、テオはやや興奮気味の様子でフーンと鼻から大きく息を吐いた。


「代わりに…と言っては変かもしれませんが、アイゼンファウスト卿に作業員を動員していただきたい作業があります。」


「お、おう?」


 テオの予想外の活躍(?)に驚いていたメルヒオールは、唐突にアシナから自分にボールが飛んで来たことに気づき、間の抜けた様子で返事する。


「アイゼンファウスト卿より要請がありました防衛体制強化についてですが…」


 アシナは背後に控えていた従兵から地図を受け取るとテーブルの上に広げ、セヴェリ川の河岸でアイゼンファウスト地区の西端付近付近を指さした。メルヒオールとテオが身を乗り出して覗き込む。


「この辺りにある、すこし小高くなっている所…ここに新たにブルグスを建造することになりました。」


ブルグスだと?」


「そうです。ここに砲台を据えれば、マニウス要塞カストルム・マニの要塞砲と合わせてアイゼンファウストに面するセヴェリ川全域を射程に納めることができます。

 これなら最小の兵力でアイゼンファウスト地区を防衛することが可能であると結論しました。同時に、アイゼンファウスト卿のおっしゃった『住民を安心させる効果』も十分見込めると自負しております。」


 アシナはマニウス要塞カストルム・マニの要塞砲のおおよその射程の範囲と、新たに建造する砦の砲の射程範囲を指でなぞるようにして説明した。

 その説明の通りだとしたら、セヴェリ川はマニウス要塞カストルム・マニの南側ふもと付近からアルトリウシア湾に注ぎ込む河口まで全域を射界に納めることができる。もし、誰かがアルトリウシア平野からセヴェリ川を渡ってアイゼンファウスト地区へ侵入しようと試みたとしても、マニウス要塞カストルム・マニか新砦のいずれかからの阻止砲撃を必ず喰らうことになるだろう。現在、南からの侵入が懸念されているのはハン支援軍アウクシリア・ハン残党の騎兵隊…ダイアウルフ部隊だ。数は少数のはずだから、阻止砲撃を食らえば容易に退散するか撃破されるかするだろう。純粋に軍事的に考えても大きな効果が見込める。

 しかもブルグスは視覚的にも目立つため、住民に対して与えるであろう安心感は絶大なものがあるはずだった。


「なるほど、ブルグス建設のための人工にんくが欲しいってぇんだな?」


 メルヒオールは自身が出した要請に対して期待以上の回答が示されたことに満足し、地図を睨んだまま頬をほころばせた。しかし、アシナはメルヒオールの予想に反する答を出した。


「いえ、ブルグスの建設作業は工兵だけで行います。」


「ああん!?

 じゃあ、何に人工を出せってえんだい?」


「草刈です。」


「草刈だぁ?」


「はい、砲を据えてセヴェリ川の対岸ににらみを利かせようにも、河岸には人間の背よりも高い草が生い茂っているため視界が利きません。

 よって、この範囲の除草を行っていただきたいのです。」


 アシナが説明しながら地図に示したのは、アイゼンファウスト地区のセヴェリ川河岸全域だった。


「おいおい、何マイルあると思ってんだ、ああっ!?」


ブルグス建設は限られた人数で行いますので、完成するまで一か月以上かかります。それまでに刈っていただければかまいません。これから冬ですから新たに生えて来ることも無いでしょう。

 人数はお任せします。」


「それにしたって、結構な人数が要るぜ?」


「死体捜索は完了したんですよね?その人たちを除草作業に向けていただければ間に合うでしょう。これなら女性でもできるでしょうし」


「この冬は良いとして、ひょっとして来年以降ずっと除草しなきゃいけねぇのかい?」


 今後、これだけ広い範囲を常に除草された状態に保たねばならないとしたら、投入しなければならない人と予算は相当なものになるだろう。予想外の負担増を想像し、メルヒオールはさすがにいい気はしなかった。ブルグスは軍事施設なんだから、是非軍人さんレギオナリウスにやってもらいたいところである。


「ヤギか羊でも放牧すれば、砲撃や見張りの邪魔になるほど高く草が繁ることはないでしょう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る