第683話 一つの騒ぎの終わり
統一歴九十九年五月八日、昼 - ライムント街道第三中継基地/アルビオンニウム
ブルグトアドルフの南に広がる若い森に囲まれた
彼ら住民たちは早朝、
各家一人、成人男性の代表者のみという条件で一時帰宅を許可された彼らが兵士たちに囲まれながら街へ帰り、そして無事に戻ってきた‥‥‥それだけのことだったが、戻ってきた代表者たちもそれを出迎える住民たちも、現わしている喜びようは第三者の目からは少しばかり大袈裟に見えなくもない。現に彼らを取り巻く兵士たちは遠巻きに少し不思議そうに眺めている。
それはそうだろう。盗賊たちが追い払われ、街には現在
そんな当たり前な無事を住民たちが喜んでいるのにはそれなりの訳がある。一つにはブルグトアドルフの街を突然襲った暴力の嵐があり、そして今朝のカサンドラの起こした騒ぎがあった。
街に戻ってはいけない。街には樹のモンスターが居る。おそらく森から出て来た悪魔の使いで、屋根より背が高く、手足があって自分で歩き、しかも人間を食べる化け物。胴体が籠の様になっており、その網目から食われた人間が覗いて見える。
涙ながらにそう訴えるカサンドラの話を、住民たちは「そんなバカな」と表面上は思いつつも、内心では気にしていたのだ。
もちろん、彼らはブルグトアドルフの森がここ数十年の間に出来た若い森であり、そんな
しかし、それでもここ数日で起こった暴力の嵐によって精神的に不安定になっていた住民たちには、カサンドラの話は不思議と現実味を帯びて聞こえていた。
つまらないウソをつくような娘じゃない。ごく普通の、真面目な良い娘だ。いつも祖母の世話をよく焼いていて、歳相応に家事も商売もちゃんと手伝っている。そんなカサンドラが今朝、あれだけ取り乱して必死に訴えていた‥‥‥話の内容はともかく、それだけでも住民たちが気にするには十分値した。
話の内容は
カサンドラの話、聞いた?
樹のモンスターだって?馬鹿々々しい!
でもあの子もそんなウソつくような子じゃないよ?
きっと夢でも見たのさ。さもなきゃ頭でもおかしくなっちまったんだろ。
でもおかしくないかい?
何がさ?
だって、もう盗賊だっていなくなっちまったのにさ。兵隊さんたち、やけに用心深いじゃないさ。
じゃあ、本当にモンスターがいるっていうのか?
モンスターはともかくさ、何かおっかないのが居るんじゃないのかい?
何が居るって言うんだ、お前まで頭がおかしくなっちまったのか!?
兵隊さんたちがあれだけ守ってるんだ。大丈夫だよ。
でも、盗賊どもはその兵隊さんたちを襲ったんだぜ?
樹のモンスターと盗賊どもが関係あるのか!?
わかんないぜ?樹のモンスターは
そんな凄い精霊が居るなんて話、聞いたことないぞ?
じゃあ、何で兵隊たちは自分たちだけで街に居座って、私ら住民をこっちに避難させてんのさ?それこそおかしな話じゃないか。
じゃあ本当に何か居るっていうのか?
わかんないけどさ‥‥‥
代表者たちが街へ行っている間、そんなとりとめのない話が残された住民たちの間でヒソヒソと囁かれ、不安が不安を煽り、意味もなくくすぶり続けていたのだ。
が、それも代表者たちが街へ帰った時と同様に護衛の兵たちに守られながらゾロゾロと戻って来ると一挙に
「どうだったい?」
「ああ、ウチは駄目だった。盗賊どもに荒されちまってたよ。
今年収穫した麦もジャガイモも全部持って行かれちまってた。」
「まだ食い物を持って行かれただけならいい方さ。
ウチなんか母屋が半分焼けちまって……」
「オレんトコは家は大丈夫だったが、中でだいぶ暴れられたみたいでな。家財道具が全部壊されちまって、床が血の海になってた。壁もボロボロさ。死体は兵隊さんたちが片付けてくれたみたいだったが、あんなことになっちまうなんて‥‥‥」
戻ってきた代表者の語る被害状況はどれも悲惨の一言でしかなかったが、居残っていた住民たちの興味はそればかりではない。街が荒らされて家が酷い状況だという事は予想できていたことだ。というより、逃げ出した時点で残した物は失われるだろうことは想像していたし、それは昨日目の前で戦闘が行われ、街から火の手が上がったことでその想像は覚悟と呼べるような強固なものになっていたからでもある。もちろん、諦めきれていたわけでもなかったが‥‥‥
「じゃあ、何も無かったのかい?」
「ああ、ロクなモン残っちゃいなかったよ。」
「いや、そうじゃなくて‥‥‥街の様子はどうだったい?」
「街の様子?」
「そう、その‥‥‥兵隊さんたちとかさ?」
「ああ、礼拝堂とか、その周りの家や建物を使って寝泊まりしたみたいだったな。
礼拝堂には怪我人が集められているみたいだった。」
「その、兵隊さんたちは何か言ってなかったかい?
何ていうか、怖いとかなんとか‥‥‥」
「いやぁ?
兵隊さんたちはむしろみんな元気そうだったな。
あんな戦があって、怪我人も死人も出たってぇのに‥‥‥
やっぱり兵隊さんってのは戦に慣れてんだろうな」
代表者たちの話からはカサンドラが訴えていたような樹のモンスターらしい存在やその痕跡のようなものは一切出てこない。知らないフリをして話を誤魔化そうとしているような様子もない。カサンドラが語っていた樹のモンスターなんてものはどうやらやっぱり事実ではないと確信すると、代表者たちに質問を浴びせる居残り組の住民たちの調子も、どこかおっかなびっくり様子を伺うような腰の引けたものから、次第に明るく打ち砕けたものへと変わっていく。
「樹のモンスターだって?!
お前たちあの話、マジで信じてたのか?」
「いや、信じちゃいないさ。信じちゃいなかったけどさ‥‥‥」
「馬鹿だなぁ。
そんなもん、居るわけ無いだろうが!」
「だよなぁ、もちろんそんなの居るわけないさ。」
気付けば心配していた分、その反動から住民たちの調子は随分と明るいものへと変化していた。しかし同時に、彼らとは対照的に暗く沈んだ雰囲気に包まれている者もいた。カサンドラとその家族、親戚たちである。
これ以上騒ぎを大きくして
「ホントよ。アタシ、ホントに見たのよ!」
「いい加減にしなさい!!」
なおも同じ話を続けようとするカサンドラに、彼女の家族たちは頭を抱える。
「まぁまぁ、結果的に何もなかったんだ。それくらいに‥‥‥」
「ジーモンは黙ってて!
街を出て行ったアナタには関係ないことよ!」
さすがに気の毒になったカサンドラの叔父のジーモンが家族を
「ウソじゃないわ、お願い信じて!」
「信じられるわけ無いでしょ!?
樹のモンスターだなんて、ましてこんな街が大変な時に!
不謹慎すぎます!!」
「まぁまぁ、その辺になさい。」
ひとしきり説教が続き、話の内容が二順三順と回ったところで、それまで無言を貫いていた祖母が口を開く。
「「お祖母ちゃん!?」」
孫可愛さに他人事の様に放置していた祖母がようやく参加してくれたことに安心した家族らと、そして自分のことを一番理解し一番優しくしてくれる祖母が助け舟を出してくれると期待したカサンドラが同時に声をあげ、カサンドラと家族たちの視線が一斉に祖母の集まる。祖母はカサンドラの期待した通りの優しい表情で、優しい声で話し始めた。
「カッスィや、間違いは誰にでもあることだよ。」
「お祖母ちゃん!?」
「カッスィ、神様だって罪を告白し、悔い改めよとおっしゃっている。
ちゃんと皆さんにゴメンナサイしなさい。
そしたらちゃんと許してもらえますからね。」
カサンドラが期待した理解者は、残念ながらカサンドラに味方してはくれなかった。
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