新たな捕虜

第682話 ナイス・ジェークの目覚め

統一歴九十九年五月八日、昼 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「御加減はいかがですか?」


「ああ‥‥‥最悪の気分だ‥‥‥」


 たずねてきた女性神官の顔を見上げながら、アーノルド・ナイス・ジェークは青ざめた顔を不快感に歪めながら吐き捨てるように答えた。

 ブルグトアドルフの森で《森の精霊ドライアド》に捕らえられ、最終的にレーマ軍に引き渡されたナイスが目覚めた時、まだ魔力欠乏から回復しきれていなかった。目眩めまいと頭痛、そして昨夜の戦闘の途中から目覚めるまでの記憶の欠如、それによる混乱……まるで酷い二日酔いの様な症状に苦しんでいたナイスは彼の世話をするために現れた見慣れぬ神官たちと、扉が開かれた瞬間に見えた部屋の前に立つ警備兵の姿から自分が捕虜になったことを悟り、すっかり気分を沈めていた。


 ハーフエルフほどではないにしてもこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な聖貴族たる自分の身の回りの世話を痘痕面あばたづらの女なんかにさせるなんて‥‥‥


 そんな捕虜になったみじめさを噛みしめるナイスの気持ちになど気づきもせず、純粋に魔力欠乏のせいで気分が悪いのだろうと考えた女性神官は少しでもナイスの気分が良くなるようにと気遣きづかう。


「まだ御身体の調子が回復なさらないようですので、朝食にはポレンタを御用意しております。」


「ああ、すまないな‥‥‥

 だが今はそんな気分じゃないんだ‥‥‥」


 そう言いながら額に手を当て、ナイスは目を閉じ顔を背ける。


 痘痕面のNPCなんかの用意したものなんか食いたくねぇよ‥‥‥


 もちろん、ナイスはムセイオンを脱走してからここアルビオンニアへ渡って来るまでの間、痘痕面をした平民の用意した食事を幾度となく摂っている。だがそれは彼らなりの解釈で言えば、「冒険」の一端であった。降臨を成功させ、父祖たちとの再会を果たす‥‥‥そういう目的があったとはいえ、『勇者団ブレーブス』のメンバーたちにとって今回の旅は以外の何物でもない。当人たちにその自覚は無いが、彼らにとって脱走は冒険そのものであり、旅の途中で普段は毛嫌いしている痘痕面したNPCたちとの交流もまた楽しむべきの一部だったのである。

 だが、捕虜となってしまった今のナイスにとってを楽しむ精神的余裕はない。彼の心の中では終っていた。そうすると痘痕面をした平民NPCに対して好意的な態度や感情など持ちようも無くなる。彼らはナイスにとって見下すのが当然のNPCであり、対等に口を利かれるなど屈辱以外の何物でもなかった。痘痕面の平民と直接会話せねばならないという事実は、捕虜となってしまった現実をより深刻なものとして認知させる要素の一つでしかなかったのである。


「ムセイオンから見れば世界の果ての辺境でございますので、御賞味に値する物を御用意することは難しゅうございますが、御無理にでもお召し上がりになられませんと、ますます回復しにくくなります。

 こちらへお運びいたしますので、せめて一口なりとも‥‥‥」


「‥‥‥ああ、そうだな‥‥‥そうしてくれ‥‥‥」


 気遣う神官の忠告に投遣なげやりな態度ではあったものの、ナイスは特に突っぱねるでもなくそう言って受け入れた。

 ナイスの内面は虜囚りょしゅうの屈辱に対する反発で染まり切っていたが、外から見える彼の態度は誰が見ても病人のそれであった。魔力欠乏の症状はナイス自身が自覚するよりも深刻であり、彼により積極的な反抗を行わせるほどの元気を奪っていたからである。

 結果的に、ナイスの態度はジョージ・メークミー・サンドウィッチが初めて目覚めた時に比べると素直とか従順などと評して良い態度になっていたと言える。メークミーの時の様子も目の当たりにしていた神官はそうであるがゆえに、メークミーよりもマシな人物らしいと思うと同時に、どうやら本格的に体調が悪いらしいとも思っていた。


「御召し物もこちらに整えさせていただきました。

 お許しいただけましたら御着替えをお手伝い申し上げますが?」


 心配そうな神官の言葉に、ナイスは用意された衣類に目をやった。その視線の先には底の浅い籠があり、中には見慣れた衣服がキレイに畳まれた状態で入れられている。見たところ汚れは奇麗さっぱり落とされており、ところどころ破れたりほつれたりしていた部分には修繕しゅうぜんが施されてあった。


「ふぅ‥‥‥まさか小便で洗ったんじゃないだろうな?」


 その一言はナイスが初めて示した反抗的態度であったが、神官は気分を悪くするどころか特に気にする風でもなく答える。


「いいえ、ご安心ください。

 ルクレティア様による浄化魔法で清めてございます。」


「ルクレティア‥‥‥」


 ナイスの顔に浮かんでいた自嘲じちょうの笑みはルクレティアという名を聞いた途端に消えた。


 ルクレティア・スパルタカシア‥‥‥だっけか?


 その名にナイスはもちろん聞き覚えがある。彼ら『勇者団』の攻撃をことごとく退けたあまりにも強力な《地の精霊アース・エレメンタル》‥‥‥それを使役するという若い女神官でこの世界ヴァーチャリアで最も古い血統を誇る聖貴族。血統が古すぎるがゆえに聖貴族としての力をとうに失った名ばかりの聖貴族であり、魔力などほとんど失っているNPCに過ぎないはずの人物だ。それなのに、あの夜ケレース神殿へ侵入したファドが尋常ならざる実力の持ち主として報告している。


「はい、ナイス・ジェーク様には御記憶でございましたか?」


「ああ、聞いているぞ。

 魔力についての話は聞いたことも無かったのに、浄化魔法なんか使えるのか?

 なんでそんな魔法を使える実力者がムセイオンに報告されてないんだ?」


 籠の衣類を見つめたままナイスは考え込むように尋ねる。

 浄化魔法自体は決して高度な魔法ではない。難易度からすればむしろずっと低い方で、低位の治癒魔法より少し高度といった程度だ。だが、そんな魔法を覚えるくらいなら、より高位の治癒魔法を覚えた方がマシであり、実際に浄化魔法を覚えようとする者などほとんどいない。浄化魔法を覚えるのは、高度な魔力を有する一部の聖貴族が中位以上の魔法を覚えるための下地づくりの一環として覚えることがあるくらいであり、『勇者団ブレーブス』ではヒーラーとして治癒魔法に特化して修行を重ねたエイー・ルメオだけが使えるようなマニアックな魔法である。世界を見渡しても使える者は限られた数しかいない筈だ。

 つまり、浄化魔法が使えるということは、ムセイオンに報告され、その監視下に置かれるべき実力者ということになる。だが、ムセイオンにそのような報告はされていない。されていればルクレティアはムセイオンに送致されていなければおかしい。ゲイマーガメルに匹敵するほどの魔力を持ちながらムセイオンに報告しなかったとなれば、それだけで重大な大協約違反となってしまう。

 ナイスの質問に神官はギクリと驚いた。


「いえ……ご、御報告はなされていると伺っております。

 ですが、ルクレティア様がこのような魔力を得られたのはごく最近のことですので、まだ御報告が届いていないだけかと‥‥‥」


「最近のこと!?」


 その説明はナイスにとって不可解極まるものだった。

 魔力は本来先天的なものであって、それを幼いころから修行によって伸ばしていくことは可能であっても、元々無いかった魔力を後天的に得たり、突然目覚めたりと言ったことは無い。少なくとも、そのような実例をナイスは知らなかった。例外は唯一、ゲイマーガメルや高い実力を誇る聖貴族とによって得られる場合だが、ナイスが知る限りルクレティアは未成年で未婚の筈だ。

 

 驚いたナイスはパッと神官の顔を見上げた。が、ナイスがそこから神官を追求することは無かった。ただでさえ頭痛と目眩が激しい状態で急に頭を振ったものだから、唐突に沸き起こった不快感によって嘔吐してしまったのである。


「うっ!?うぶっ!!うえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛‥‥‥」


 ビチャビチャという水音と共に酸っぱいニオイが部屋中に広がる。


「ジェーク様!?

 布巾スダリオを!早く!!」


 神官は慌てて跪き、ナイスの両肩を抱くように手を添えると、周囲に居た部下たちに後始末の手配を命じた。


「ジェーク様、どうか御無理はなさらず!

 お気を確かに!!」


 吐いたことで涙が溢れ、視界が歪む。一時的に血圧が上がったことで頭痛が一層激しくなり、目の前が暗くなる。最早、痘痕面のNPCに身体を触れられていることに対する嫌悪感を感じる余裕すらナイスには残って無かった。


「あ゛、ああっ……ああ、済まない……

 ゲホッ、ゲホ‥‥‥汚して、しまって……」


「いえ、大丈夫です。

 今、お口の周りをお拭きいたします。

 さあ、どうぞ‥‥‥ジッとしてください‥‥‥


 ハイ、拭きました‥‥‥さあ、少し横になってください。

 御着替えは後にいたしましょう。」


 まるで母親の様に世話を焼く神官に「ああ、ああ」と力なく答えながら、ナイスは素直従い、ベッドに身体を横たえた。そして天井を見上げながら、ふと気が付いた疑問を口にする。


「ところで、どうして私の名を知ってるんだ?」

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