第241話 渡されたラセルピキウム

統一歴九十九年四月二十日、昼 ‐ セーヘイム/アルトリウシア



 セーヘイムの迎賓館ホスピティオでイェルナクと一定の合意に達したアルトリウスとヘルマンニは手配してあった食料の積み込みを命じ、それは即座に実行に移された。


 アルトリウス、ヘルマンニ、イェルナク、スタティウスらが見ている前で荷の積み込みが始まる。気性の荒い役夫えきふたちが邪魔なゴブリン兵をに「邪魔だ、どけ!」などと怒鳴り、反発したゴブリン兵がケンカ腰で文句を言い返し、辺りは騒然となりはじめる。

 役夫とゴブリン兵の罵り合いになり、ゴブリン兵が次々と銃を持ち出し始めると迎賓館ホスピティオの警備に当たっていた軍団兵レギオナリウスや水兵たちが一斉に武器を構える事態となった。


「待て待て待て!

 武器を納めよ!!

 閣下アルトリウスも止めてください!

 我々は軍使レガティオー・ミリタリスなのですよ!?」


 当初、ゴブリン兵と役夫たちの罵り合いを薄ら笑いを浮かべて見ていたイェルナクだったが、周囲にいる二百名近い軍団兵レギオナリウスが一言も発することなく一斉に短小銃マスケートゥムを構えるのを見て急に慌てだした。

 冗談ではない。こんなところで貴重な兵を失うわけにはいかないのだ。水兵と合わせれば二百人以上になる軍団兵レギオナリウスの一斉射撃を受けたりしたら、イェルナクの護衛を務めていた彼らなど一撃で壊滅するに違いなかった。


「イェルナク殿、軍使レガティオー・ミリタリスなのは貴官であって、あれらゴブリン兵ではない。

 私の部下は領民を守ろうとしているだけだ。それにくらべ、あのゴブリン兵たちは何をしようとしているのだ?

 あのゴブリン兵たちは貴官の護衛のはずだが、貴官はここにいるのにあんなところで何をしておるのだ?貴軍のために補給物資を積み込もうとしているわが領民に銃を向けようとしていたように見えたぞ。」


「も、申し訳ありません、閣下アルトリウス

 下賤げせんの者どもゆえ愚かなふるまいをすることがあるのです。後でイェルナク折檻せっかんしておきますゆえ、どうぞこの場は」


「ならば、あの者らに銃を降ろすよう命じるべきでありましょう。

 あの者らが銃口をわが領民に向ける限り、私の部下はあの者らに銃口を向け続けざるを得ません。」


「もちろんです!

 コラ!お前ら!!とっとと銃を降ろせ、この下賤げせんのゴブリンどもが!!

 邪魔にならんようそっちへ退いておれ!!」


 アルトリウスに言われイェルナクはやり場のない怒りをゴブリン兵たちにぶつけるように当たり散らした。ハン族の貴族に叱られ、ゴブリン兵たちはようやく武器を納め、先ほどまで役夫たちに威張り散らしていた態度がウソだったかのように大人しくなった。

 軍団兵レギオナリウスらも銃を納め、それを見て役夫たちも「ケッ」と舌打ちして荷物の積み込み作業を再開する。


 今朝、交渉が始まる前に手配されていた約三十六タレント(約千五十五キロ)ほどの食料が運び込まれる。小麦が半分を占めており、次いで燻製肉、魚の干物、野菜の漬物、岩塩、酢、油などだ。他にダイアウルフの飼料代わりに、生きたままの豚が六頭。

 貨物船クナールの積載容量的にはそれでもうイッパイだった。貨物船クナール自体は決して小型の物ではなく、中型よりやや大きいくらいの外洋航行もできるサイズの船ではあったのだが、イェルナクと護衛の兵士たちが無駄に場所をとるため、それ以上積めないのだ。


 そのうち、貨物船クナールの船員に身をやつしているブッカたちの親戚が何やら荷物を抱えて駆け寄っていく。役夫たちも事前に知っていたのか、その家族らに対しては多少邪魔になっても何も言わない。桟橋の上から目当てのブッカを呼んでは、抱えて来た荷物を渡し始める。


「待て!お前ら何をしている!?」


 船の上でブッカたちを見張っていたゴブリン兵たちがさっそく文句を言い始めた。


「差し入れだよ!なんだっていいだろ!?」


「良くない!勝手なことをするな!」


「何でお前らに文句を言われなくちゃいけねぇんだ!?

 奴隷じゃねぇんだぞ!?」


 反論するブッカたちとゴブリン兵の間でまたぞろ騒ぎが起き始める。役夫たちも手に持っていた荷物を降ろして集まり始めると、船上のゴブリン兵は多勢に無勢で文句を言われ激昂する。


「いい加減にしろ!撃ち殺すぞ!?」


「それしかねぇのか糞ゴブリン!」

「やってみろ野蛮人!」

「よく狙えよ!そいつがお前の最後の射撃だろうからな!」


 ゴブリン兵は生意気なブッカどもを黙らせるべく短小銃マスケートゥムに弾を込め始めた。


構えーっパラトゥース


 ゴブリン兵が弾を込める前におかの方から百人隊長ケントゥリオの号令が響きわたり、軍団兵レギオナリウスたちが一斉に短小銃マスケートゥムを構えた。


「ええい、待て!待たんか!?何をしておる!!」


 それを見てイェルナクが慌てて桟橋へと走っていく。本当はゴブリン兵や平民プレブスたちなんかとは口をききたくもないが、先ほどゴブリン兵たちを叱りつけに来たばかりだったため、アルトリウスらの元へ戻るより直接行った方が早かったからだ。


 何で貴族たるイェルナクがイチイチこんなことで・・・


 本来、現場指揮官となるべき士官や下級貴族らを連れてこなかったのはエッケ島での様々な作業に人員と取られていたせいだった。イェルナクは元来文官であり、貴族ではないゴブリンなんかとは普段直接口を利くことすらない。兵士を統率するなど初めての経験だった。だから事前に動くということができない。


「イ、イェルナク様、この者たちが・・・」


「黙れ!武器を下げろ!!このたわけが!!

 それで、お前たちは人足にんそくではあるまい、何をしておるのだ?」


 ゴブリン兵を叱りつけ、短小銃マスケートゥムをしまわせるとイェルナクは桟橋のブッカたちに向き直った。


「差し入れを渡そうとしただけだ!

 なのにそのゴブリン兵が邪魔をした。」


「誰の許しを得てそのようなことをした?

 勝手なことをしては困るな。

 荷積みの邪魔だから下がるがよい!」


 面倒臭そうに手をヒラヒラさせるイェルナクの態度は横柄そのものだった。平民は貴族のいう事には黙って従うのが当然と思っているイェルナクからしてみれば、直接口を利いてやっただけでも彼らは平伏して当たり前なのだが、セーヘイムのブッカたちはそうは思っていない。

 むしろイェルナクの失礼極まりない態度に反発し始める。


「差し入れ渡す事の何がいけねぇんだ?!」

「そうだ!横暴だ!」

「お前らが邪魔してんじゃねぇか!」


「いいから下がれ下民ども!

 貴族である私のいう事が聞こえんのか!?」


「何が貴族だ!」

「所詮はゴブリンだ、ゴブリンの親玉め!」

「トイミを返せ、無法者!!」


「ええい下がれ、下衆ども!!

 貴族である私に対して何たる口の利き方だ!!

 無礼は許さんぞ!!」


 場を治めるべきイェルナクが逆にヒートアップしてしまった。貴族同士のコミュニケーションは何の問題もなくとれるのだが、極端に閉鎖的な貴族社会で育ったイェルナクは平民を人間として見ることができない。彼からすればブッカたちの態度こそ無礼かつ尊大極まるものであり、到底許せるものではなかったのだ。

 これでは場を治めるどころか逆に火に油を注いでしまう。見かねたヘルマンニがやれやれとばかりに桟橋まで歩いてきた。


「双方静かにせぇ!」


 ヘルマンニの大音声に辺りは一瞬で静まり返った。


「おお、ヘルマンニ卿!

 助かりました、この無礼者たちを何とかしてください。」


「イェルナク殿、この者たちゃあ差し入れを届けに来ただけじゃ。

 何を邪魔する必要がある?」


 てっきり同じ貴族として助けに来てくれたものと思っていたイェルナクは思わず言葉を飲んだ。


「そ。そのような、勝手をされては困ります。

 我々にも都合がございますゆえ。」


「はて、イェルナク殿の説明じゃあ、こ奴らぁ自分の意思で協力しとる自由民じゃろぉ?奴隷や捕虜じゃあねぇはずだ。一体どんな都合があるんかのぉ?」


「わ、我々は…め、メルクリウス団はどのような手段で我らに追撃の手を伸ばすかわかりません。妙なものをエッケ島に持ち込んで、それがメルクリウス団による何らかの秘術の及ぶようなものであったら、何のためにエッケ島へ逃げたのかわかったものではございませんからな。

 ゆえに、妙なものは持ち込めんのです。」


「そうは言っても誰もが着の身着のまま連れてかれたんじゃろうが!?

 なら着替えくらい差し入れてやらにゃあ生活できめぇ。

 それとも、着替える必要ねぇくれぇ早々に返してくれるんかのぉ?」


「ぐっ・・・」


「そんならそれでありがてぇ。

 ワシもこ奴らに諦めぇと言えるわい。」


「わ、わかりました。

 ですが、怪しい物が無いか検査させてもらいます。」


 渋々イェルナクが了承すると、ヘルマンニはフンッと軽く鼻を鳴らした。


「そうか、それくらいならええわい。

 おう!持ってこいや!!」


 ヘルマンニがおかの方を向いて大声で叫ぶと、ヘルマンニの手下たちが木箱を抱えて来た。


「これはワシからのエッケ島へ行った住民たちへの差し入れじゃ。

 構わんかのぉ?」


「それは…何ですか?」


「何って、ラセルピキウムじゃよ。」


「らせるぴきうむ?」


「知らんのかい?

 香料じゃ、風味付けで料理に入れる。」


 ヘルマンニは木箱の中から真鍮の小瓶を取り出し、蓋を開けて少量を手のひらに出して見せると、イェルナクはウッと鼻を抑えてわずかに仰け反る。彼はラセルピキウムが嫌いだった。


「こんなにたくさんですか!?」


 イェルナクは驚きと呆れを隠さない。


「二百人以上、お主等にされとろうが?その全員分じゃ。」


「それにしたって全員に配るのですか?

 岩塩ならわかりますが…」


「岩塩は補給物資の中に入っとろうが!?

 コイツぁ補給物資には含まれとらん。

 コイツの入っとらん料理を十日も食わされとる奴らが可哀そうでのぉ」


 イェルナクの嫌そうな顔を面白がるようにヘルマンニが笑いながら言うと、イェルナクは諦めたように言った。


「ほかでもないヘルマンニ卿からの差し入れとなればダメとは言えません。それは良いでしょう。

 だが他の物のは検査させてもらいますよ!?」


「ああ、ええとも!

 おい!お前ぇ、コイツを受け取れ!!」


 イェルナクに承諾させると、ヘルマンニは船べりにいたブッカを呼び寄せた。


「おい、コイツぁだ。じゃぞ?

 使だろうな?」


 箱を受け取るために身を乗り出したブッカに、ヘルマンニは小さく低い声で言うと、そのブッカは一瞬考え、何かに気づいたようにハッとした表情を作るとそのまま力強くうなずいた。


「間違いなく、届けやす。」

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