第242話 最初の一手
統一歴九十九年四月二十日、午後 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア
「ご苦労様でした
では間違いなく例のラセルピキウムは差し入れできたのですね?」
一部始終の報告を受けたエルネスティーネは胸のつかえがとれたように、小さな安堵の表情を見せながら確認する。
「はい、ヘルマンニ卿が『全員への差し入れ』としてねじ込みました。
受け取ったアチラ側のブッカも、意図を理解したようです。」
アルトリウスの報告に
「これで少しは時間が稼げた…そう考えてよろしいのでしょうか?」
「構いませんじゃろう…もっとも、女どもが暴行を受けること自体は防げやせんでしょうが、少なくとも望まれん子が生まれちまう可能性は減らせるじゃろう。」
それでもなお暗いエルネスティーネの言葉に、ヘルマンニが重々しい表情のまま相槌を打った。
ラセルピキウム…それは料理の風味付けに使われる香料である。シルフィウムという植物から採れる
古代ローマの料理などを研究すると
しかし、
料理の風味付けなら少量で十分だが多く使うと眠気を催させ、更に多く使うと嘔吐などの副作用がある。何より特筆すべきは避妊効果があることだった。
通常の料理に使うラセルピキウムはシルフィウムの葉や茎から採れる
ちなみにリュキスカも娼婦になってから服用し続けていたが、火山災害の影響で流通量が激減し、入手できないまま商売を続けてしまったことで妊娠してしまったという経緯がある。
ヘルマンニが「差し入れ」として渡したラセルピキウムは、実は
要するに、
そして、一度は捕まったものの途中で脱走して帰って来た水兵マウノ・ピルカッソンのもたらした情報から、ハン族が年ごろの女性住民を狙って拉致していたことも確認された。
民族として絶滅の危機にある彼らが女性を狙ったとしたら、考えられる目的は一つしかない。すなわち、自分たちの子供を産ませることだ。
「すでに妊娠していたとしても、まだ早い時期ですからリジアスを飲めば流れるでしょう。ヘルマンニ卿が渡したリジアスがあれば、拉致された女性たちが仮に二百人いたとしても一か月は持つはずです。
追加分も念のため既に発注していますが、しかしいつまでも使える手ではありません。数か月たっても誰一人身ごもらないとなれば、何がしか疑いをかけられるでしょう。」
侯爵家筆頭家令のルーベルトが落ち着いた口調で言った。今回、ティグリス、リクハルド、メルヒオールといった自ら娼館を経営している
「それもありますが、体質的にリジアスが効かない女性もいることでしょう。
それに、ヘルマンニ卿もおっしゃったように彼女たちが暴行を受けるであろうことに変わりはないのです。時間は稼げたとはいえ、急ぐに越したことはありません。」
エルネスティーネは力強くうなずいた。
避妊薬としては強力なリジアスだがすべての人に効くわけではなかった。おそらく拉致された女性たちの中にも、割合的には二~四人程度は効かない女性が含まれているであろうと予想されている。
「タイムリミットは二か月程度と考えています。
おそらくリジアスが疑われるようになるまで三か月程度はかかると思われますが、その前に冬になってしまいます。六月を過ぎれば本格的に冬に突入してしまい、軍事的手段によるエッケ島攻略は極めて困難なものになるでしょう。六月を過ぎれば、次に攻略可能となる時期は春まで待たねばならなくなります。」
アルトリウスが軍人としての見解を述べる。これは軍団幕僚らとも意見交換して合意に達した見解だった。
「二か月以内に・・・彼女たちを救出できますか?」
「残念ながら現状では極めて困難と言わざるを得ません。
普通に攻略するだけでも、わが
それで拉致されたご婦人方の救助もとなると・・・」
アルトリウスの答えにエルネスティーネは落胆の色を隠せない。
エッケ島はかつて海賊が拠点にしていた時から難攻不落の要害だった。南側以外は断崖絶壁で寄る辺が無く、南側は防御陣地が敷かれていて守備兵の三倍程度の兵力で攻めてもなかなか陥ちなかったと聞かされている。それもアルトリウスの父グナエウスが存命で
「あまり頼りたくはありませんが、サウマンディウス伯爵にもご助力を願わねばならないのでしょうね。」
アルビオンニア貴族にとってサウマンディアにこれ以上借りを作りたくないというのは共通認識だった。サウマンディアとの関係は決して悪いわけではないし、プブリウスらサウマンディア貴族を嫌っているというわけでもない。むしろ、関係が良好だからこそ一昨年以来世話になりっぱなしの彼らにこれ以上迷惑をかけたくないという考えだった。
「昨日もご説明申し上げましたが、問題は船です。
兵がいても、それをエッケ島へ運び込む船が絶対的に足りません。」
「どれほど必要なのですか?」
「できれば百隻…それも水深の浅いアルトリウシア湾を航行できる奴をです。
攻略するだけならその半分も要りませんが、捕らえられた住民が殺害される前に一気呵成に攻め落とすとなれば兵も船もそれなりに要るでしょう。
しかし、それを説明するアルトリウスの表情は浮かない…説明している本人がそれで勝利するイメージに自信を持てないからだった。攻略するだけなら出来る。問題は拉致された住民を救出できるかどうかだ。
そして、忘れてならないのは攻略に必要となる兵員は、アルトリウシアの復旧復興事業に必要不可欠な労働力でもあるということだ。叛乱事件のせいで焼け出された住民たちに冬までに住居を提供しなければならないのである。
「しかし、百隻なんて到底用意できる数ではありません。十隻でも無理です。
なのに攻略するだけでも半分の数だなんて・・・」
侯爵家財務官のヴィンフリート・リーツマンが呻いた。
現在アルトリウシアに残された
「
難しいですが、なるべく軍を動かすことなく住民たちを奪還する方法を考えましょう。」
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