第1034話 作戦漏洩の影響

統一歴九十九年五月十日、午後 - ティトゥス要塞カストルム・ティティ・ルキウス邸/アルトリウシア



 グナエウス街道を襲うダイアウルフを掃討する……そう聞けば物々しいが、作戦を立案した軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクスは人々が想像するような大々的な山狩りは考えていなかった。もしも山林にひそんだダイアウルフを狩りだそうとすれば相当な人数を要する。完全充足状態の一個軍団レギオーまるごと投入しても全然足らないだろう。西山地ヴェストリヒバーグはそれほど広いのだ。もちろん、今のアルトリウシアに、そしてアルビオンニア属州に、それだけの大兵力をたかが数頭のダイアウルフのために投入するような贅沢は許されない。ゴティクスの作戦はもっと小規模な、そして素人目にはかなり地味な作戦だった。そして小規模で地味な作戦によって確実な戦果を挙げるためには、それなりの下準備を必要とする。その下準備を始めるのが今日の予定だった。


「情報漏洩の可能性についてはゴティクスカエソーニウス・カトゥスも承知しております。

 しかし、気にしている様子はありませんでした。

 『やることは同じです』……と。」


 ラーウスはアルトリウスに対して神妙な面持おももちでそう報告する。ラーウス自身はゴティクスの決断もその理由も理解はしていたが、しかし本当に大丈夫だろうかという不安というか疑問のようなものがあったのだ。相手はダイアウルフだが、おそらくハン族のゴブリン騎兵によって操られている。人間の知能と知識を持った者が作戦に関する情報を書かれた手紙を目にしている以上、作戦が漏れている可能性は否定できない。作戦が敵側に漏れているにもかかわらず作戦を強行する……そこに不安を抱かないではいられなかった。


「当然だろうな。」


 ラーウスの予想に反してアルトリウスに動揺は見られない。


「むしろ、作戦が漏れている方がうまくいくかもしれん。」


 アルトリウスはゴティクスが立てた作戦について、事前に書面で知らされていた。当然だろう。作戦には地元の猟師ウェナトルを動員することになっていたからだ。レーマ帝国では山林は領主貴族パトリキの物であり、領主貴族が管理している。山林に存在する物は草木の一本、石の一つ、鳥の一羽、動物や虫の一匹にいたるまですべて領主貴族の所有物だ。そこで活動する猟師は領主貴族の家来であり、軍の作戦に協力させるためには領主貴族の同意がなければならない。この場合、ルキウスの許可が必要ということになるのだが、ルキウスは腰痛のために領主としての権限をすべてアルトリウスに預けていたため、ゴティクスはアルトリウスに作戦内容を説明したうえで許可を得る必要があったのだ。

 ちなみに、炭焼き職人たちも領主貴族の家来となっている。もっとも、炭焼き職人全員がではなく、炭焼き職人たちの親方が領主貴族の下級使用人として仕えており、親方以外の炭焼き職人は親方の使用人という扱いだ。そして親方は領主貴族の下級使用人ではあるが、領主貴族と直接の面識はない。下級使用人たちは領主貴族に直接接する上級使用人の指揮下にあって、領主貴族と直接会う機会も口を利く機会も与えられることは無い。


「手の内が知られている方が、上手くいくのですか?」


 ラーウスは意外そうに目を丸くした。そのラーウスにアルトリウスは小さく笑う。


「目的はダイアウルフを討ち取ることではないからな。

 要は、追い払えさえすればいいのだ。」


「こちらの出方が分かっているのなら、それなりの対応をしてくるのでは?」


 何であれ相手の出方が分かっていれば対処のしようはある。であるならばこちらの出方が相手にバレてしまえば、それに対処されてしまうということでもある。ラーウスのその考えは当たり前と言えば当たり前であった。が、アルトリウスは逆に驚いた。


「どう対応するというのだ!?」


 ギッと椅子をきしませてアルトリウスは跳ねるように上体を起こす。二日酔いの不快感はどうやらだいぶ納まったようだ。


「どうって……」


「あの手紙には作戦の概要は書いてあったが詳細までは書かれていない。

 書いてあったのはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアがダイアウルフの掃討を試みるということ、それまでルクレティアに……ルクレティア様にはグナエウス砦ブルグス・グナエイにお留まりいただくということだけだ。」


「いえ……一応、投入予定戦力も書かれています。」


「その戦力の配置や何をさせるかがわからないのなら書いてないのと同じだ。

 二十マイルはある街道を山林という戦場に面した作戦正面と考えるなら、あまりにも幅が広すぎる。どこが突撃発起点とつげきほっきてんになるか見当もつくまいよ。」


 ラーウスがたじろいでいるのに気づいたアルトリウスは少し気まずそうにすると、再び椅子に腰を落ち着けた。


「あの手紙から分かるのは最大四個百人隊ケントゥリアを投入する掃討作戦が今日から始まるということだけだ。その掃討作戦の中身は書かれていない。おまけにその手紙は簡単だが一応暗号化されている。

 戦力の配置や参加部隊の行動予定が克明に記された作戦計画書が漏れたならともかく、こちらの作戦が無効化してしまう可能性など考えなくてよいだろう。」


「……逃げられるかもしれません。

 討伐できなければ、それは無効化されたのと同じでは?」


「ラーウス・ガローニウス・コルウス。」


 言いつのるラーウスだったがそれは勇み足だった。アルトリウスに反論することに集中しすぎた結果、物事の本質を見失ってしまっている。それに気づいたアルトリウスはラーウスをなだめるようにフルネームで呼びかけ、苦笑いを浮かべた。


「言ったろう?

 要は追い払えればいいのだ。。」


「むっ」


 アルトリウスに言われ、自分の失敗に気づいたラーウスは顔をしかめる。そのラーウスにアルトリウスは追撃でもかけるように続けた。ラーウスは既に自分が何をどう失敗したか分かっていたが、ここで追い打ちをかけてしまうのはアルトリウス自身の若さゆえだろう。物分かりの良さを見せてくれなかったラーウスの反抗が癪にさわったのだ。


ゴティクスカエソーニウス・カトゥス猟師たちウェナトーレスに罠をしかけさせる。

 オオカミ用のだが、森中に、これ見よがしにな。

 そしてそれは別にダイアウルフを捕まえるためにじゃない。

 ダイアウルフにはどうせゴブリン騎兵が同行しているんだ。罠なんて見抜けるだろうし、掛かっても解除されてしまうだろう。

 その目的は……聞いたんだろう?」


「はい閣下、ダイアウルフに……というより、ゴブリン騎兵の警戒心を喚起し、行動を抑制させることです。」


「そうだ。

 敵に、こちらがお前たちを討伐しようとしているぞと、これ見よがしに罠を張ることで教えてやるのだ。それによって敵は更なる罠を警戒し、自然とその行動範囲を狭めていかざるを得なくなる。

 ならば、ここで敵があの手紙を読んだとしてどうなる?

 手紙を読んだだけで逃げてくれるのなら、むしろ好都合ってもんじゃないか?」

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