第713話 メルクリウスの正体

統一歴九十九年五月九日、午前 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 アルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイアロイス・キュッテル立会いの下でサウマンディア軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウス・レギオニス・サウマンディイカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子によって行われたアーノルド・ナイス・ジェークに対する尋問は滞りなく進んだ。

 当初、仲間を裏切ることはできないと釘を刺されていたこともあって大した情報は聞けないのではないかと思われていたが、ナイスはむしろ先に捕虜になったジョージ・メークミー・サンドウィッチよりも色々な事を語ってくれた。「知らない」「言えない」と黙秘された部分も少なくはなかったが、カエソーとアロイスの目に映るナイスの様子からすると本当は知っているのに隠そうとしているような気配はほとんどなかったように思える。カエソーの期待以上の成果はあったと言えるだろう。


 ナイスの証言によれば、『勇者団ブレーブス』は年に数度の郊外研修旅行の途中で集団脱走したらしい。それは今年の一月のことで、大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフのダンジョンへ向かう途中でのことだったようだ。

 フローリアのダンジョンは北レーマ大陸にあり、フローリアのダンジョンへの旅行はムセイオンで教育を受けている聖貴族たちがケントルムの外へ出かけることができる限られた機会の中でも最も遠くに行けるイベントだった。それは彼らの父祖であるゲイマーガメルたちのように、自身を鍛えるための実戦形式の訓練を受けるための旅行であり、この時ばかりは普段なら持ち出すことが禁じられている魔道具マジック・アイテムなども持ち出すことが許されている。つまり、冒険に出るために必要になる武器や防具、消耗品などを持てるだけ持ち出すことができる希少な機会であり、今回の様な脱走にはこれ以上のチャンスは無かったのだそうだ。

 ダンジョン行きの一行から脱走した彼らは行方をくらますために一度北東へ針路を取り、帝都レーマへ向かったと見せかけて南レーマ大陸へ渡り、そこからチューアを縦断してサウマンディウムへたどり着いたようだ。そしてそこで彼らの潜伏旅行は限界を迎えてしまう。彼らは路銀を持ち合わせていなかったのだ。


 もちろんで育てられた聖貴族とはいえ、金銭というものの存在は知っているしその重要性も理解していた。そして結構な量の現金も持ち出してはいた。だが、ムセイオンで使われているお金はレーマ帝国で使われている物とは違っており、レーマ帝国領域内では使えなかったのだ。いや、やろうと思えば換金などいくらでもできるのだが、そんなことをすれば自分たちがムセイオンの人間だとバレてしまう。せっかく行方をくらませたのに、わざわざムセイオンの金を使って正体を見抜かれてしまってはムセイオンの脱走者が南レーマ大陸に居ますよ、チューアを南下中ですよと宣伝し、ご丁寧に追跡できるように証拠を残してやるようなものだ。

 それでも彼らは都市部から離れた田舎では狩猟をする事も出来たし、物々交換で食料を得ることも出来た。だが都市部‥‥‥特に大都市に入るとそれもままならなくなる。切り拓かれて開発しつくされた農地に囲まれた都市部では狩猟などできようはずもなく、自力で新たな食料を調達する方法がなかったのだ。目立たずに交換できそうな物はおおむね使い果たしていたしムセイオンから持ち出していた携行食もほとんど食べつくしていた。


 食うためにも何とか路銀を稼がねばならない‥‥‥


 彼らの父祖たちは冒険譚の中では地方の領主や行政長官、あるいは豪商・豪農などの有力者からの依頼クエストをこなして日銭を稼ぐようなこともしているが、身分を隠して潜伏中の今の彼らにそれをすることはできない。かといって酒場に行って仕事クエストを得ることも難しかった。

 酒場の主人が紹介してくれるのはせいぜい港や鉱山や工事現場での荷役作業など、誰にでもできるような、それでいて小銭しか稼げないような仕事ばかりだった。だいたい、どこの誰とも分からず実力も知れない彼らに重要な仕事を頼もうとする者など居るわけがなかったのだ。かといって自分たちが他を圧倒する実力者だと知らしめることもできなかったし、仕事を募集しようにも彼らが仕事を求めていることを周囲に知らしめる手段もない。

 それまでメンバーの中で一番の稼ぎ頭だったのはエンチャンターのヘンリー・スマッグ・ソイボーイで、旅の途中で手に入れられる材料からポーションを調合して売っていたのだが、都市部では自生している薬草を手に入れることなど出来るはずも無かったし、かといって材料を購入するだけの金も残っていなかった。

 『勇者団ブレーブス』の中で唯一、貧民街で生まれ育ったファドは盗みや強盗、あるいは地元ヤクザの荒事の手伝いなどで金を稼ごうとしたが、自分たちを父祖たちと同じ勇者と規定する高潔なデファーグ・エッジロードやスモル・ソイボーイらが「勇者は犯罪などに手を染めるべきではない」と強硬に反対したためにそれも出来ない。それでもファドは独断で周囲に黙ったままいくらか稼いでいたようだったが、他のメンバーにバレない範囲で稼げる金などたかが知れていた。


 父さんたちは実際にはどうしてたんだろう?


 彼らは途方に暮れてしまった。

 結局、ヒーラーであるフィリップ・エイー・ルメオが路地裏で貧民や通行人相手に治癒魔法による治療活動を始める。最初はタダ働き同然の小銭稼ぎにしかならなかったが、何せ元手のかからない商売だ。徐々にではあったが着実に利益を出せるようになっていく。おまけにムセイオンの聖貴族なのだから魔法の効果は折り紙付きで、なるべく目立たないようにやっていたにもかかわらず一週間も経たないうちに行列ができるほどの評判になってしまった。地元の神官に頼むよりも、高い薬を買うよりもずっと早く安く確実に治してくれる‥‥‥そんな治癒魔法の使い手が注目を集めない方がおかしい。

 エイーに治癒してもらった患者たちはそれでもエイーに対する感謝から、役人などへの告げ口などは行わなかったのだが、人が集まるところ、金が動くところには必ずヤクザ者も寄って来る。金の匂いを嗅ぎつけ、儲け話になりそうな予感に誘われたチンピラたちがエイーのところへ来るのにそれほど日にちはかからなかった。


 もしその場にファドが居たのなら、何とか話をまとめて穏便に済ませてくれたかもしれない。だがその時ファドはリーダーのティフ・ブルーボールやスモル・ソイボーイらと共に、格安でメンバー全員がアルビオンニアへ渡る方法を探るために港へ出かけていたのだ。そして間の悪いことに用心棒代わりにエイーに付き添っていたメンバーたちの中に魔法攻撃職のペイトウィン・ホエールキングが居た。


「誰に断ってここで商売してやがんだ?

 ここは俺たちの縄張りシマだ。とっとと店を畳んで他所へ行くか、どうしてもここで商売したきゃショバ代払いな。」


 最初チンピラたちはちょっと脅して小銭をせしめようとしただけだった。さすがに貧乏人相手に治癒魔法を使ってくれる奇特な神官を追い払ったら、地元の人間たちに恨まれてしまう。そんなことは彼らにだって分かっていたし、どんなヤクザ者だって地元の人間たちを敵に回してまで金を稼ごうとは思わない。だが地元に縄張りを張っている以上、余所者に好き勝手にさせるわけにはいかなかった。だからせめてエイーたちを脅し、わずかばかりのショバ代を納めさせて縄張りを張る自分たちのメンツを立てさせるだけのつもりだった。ショバ代だって大負けに負けるつもりでいたのだ。

 ところがチンピラたちに応対したのはペイトウィンだった。世間知らずな聖貴族は分かりやすい悪党の登場に色めき立ち、冒険譚で弱きを助け悪をくじく勇者の役を演じてみせた。


「この金は貧乏人共が汗水たらして必死になって稼ぎ、おのが命を、未来をあがなうために払った金だ。その貴重な金を、お前たち如きに手渡したとあっては貧乏人共もこの金たちも可哀そうではないか。

 お前たちに払う金など一銭たりとも無い。

 今日のところは寛大にも見逃してやるゆえ、とっとと失せるがよい。」


 そのチンピラたちの想像のはるか頭上を飛び越える尊大な態度は、チンピラたちを追い払うどころか興奮させる効果しか無かった。激昂げきこうしたチンピラたちが騒ぎ出し、あたりが騒然とし始める。そして面倒くさくなったペイトウィンは攻撃魔法を使い、一撃でチンピラたちを吹き飛ばしてしまった。


 結果、それまでとは比較にならない程騒ぎは大きくなってしまった。何せ落雷の様な轟音ごうおんが街中に鳴り響き、舞い上がった爆煙は屋根よりも高く立ち昇り、遠くからでもハッキリと見えるほどだったのである。人の声など届くはずのないところに居た市民たちですら何事かと注目し、騒ぎ始めたのだから事態は納まるどころの話ではない。周辺の人々は逃げまどい、街中から警察消防隊ウィギレスが殺到する大事件になってしまった。


 『勇者団ブレーブス』のメンバーも慌ててその場を離れ、何とか身を隠すことは出来たのだが、ここまで騒ぎが大きくなり役人たちの注目も集まってしまった以上、いつまでもサウマンディウムに留まり続けることは出来ない。『勇者団ブレーブス』はサウマンディウムを脱出するとそのまま西へ向かい、陸路でクンルナ山脈を越え、サウマンディウムからよりは遠くなるがアルビオンニアへの船便があるらしいチューアの都市ナンチンへと逃れたのだった。

 その後、サウマンディウムでは警察消防隊による事件の捜査が行われたが、エイーに助けられた住民たちが必死に誤魔化そうと黙秘したりウソの証言をするなどしたために、『勇者団』の正体については最後まで判明しなかった。代わりに、メルクリウスが現れたらしいという噂話が広まってしまい、それが今回のメルクリウス目撃騒動に繋がっている。


 やはりだ‥‥‥今回のメルクリウスの正体は、『勇者団彼ら』だったのだ‥‥‥

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